表題の作品について、一天一笑さんからレビューをいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。
伊東潤『武田家滅亡』角川文庫を読了して。
これは、死力を尽くして滅亡の運命から勇敢に脱出しようと試みて、敗れた男の物語である。
光栄ある敗者の物語である。
武田勝頼の出生
先ずは武田四郎勝頼の出生から紐解いていきましょう。
日本史の教科書に良くも悪くも有名な武田信玄・法性院の四男武田四郎勝頼です。
生母は諏訪頼重の娘・諏訪御前(湖衣姫)です。武田信玄の信濃征服の為に滅ぼされた諏訪頼重が差し出さざるを得なくなって成立した婚姻です。敗者の娘の立場ですから、当然?側室です。比類なき佳人であったと伝えられている湖衣姫は、重なる屈辱に耐えきれなかったのか、勝頼を生んで間もなく亡くなります。これだけでも複雑なのに、勝頼を巡る事態はもっと複雑怪奇になっていきます。猜疑心の強い、自分は生まれてきてよい人間だったのか葛藤を抱える、周囲の人間の誰を信じてよいのかわからない、若しくは信じきれない、その内面を臣下に見透かされて利用されてしまうのが、人間武田四郎勝頼です。
武田信玄の正室は京都の公家三条公頼?の娘・三条の方です。この婚姻には同じく、公家中御門家出身の寿桂尼(今川氏親正室・今川義元の母)の斡旋があったとも言われています。順当ならば、この二人の間の嫡男太郎義信が、武田家頭領になるはずでしたが、父子の確執か、武家の宿命で家中が割れたのか、いずれにせよ太郎義信は自刃に追い込まれてしまいます。生母の三条の方も急死します(毒殺の噂あり)。
桂姫の輿入れ
この歴史小説は、1557年北条氏康の娘桂姫(北条氏照の同母妹)が、武田勝頼に輿入れする場面から始まります。小田原北条家と甲斐の武田家が、お互いの領国には攻め込まない約定に則った人質でもあります。
それ以前の1500年代に相甲駿の三国同盟により、北条氏康の娘が今川氏真に嫁ぎ、今川義元の娘が武田義信に嫁ぎ、武田信玄の娘が北条氏政に嫁ぎます。ややっこしいですが、戦力保持の為のトライアングルですが、いずれも事が破れれば、花嫁送り返しの行列の籠に乗るか、滅びゆく家と共に滅びるか、あとは稀に出家するぐらいしか道は無いと思われます。
本編のヒロイン桂姫も武田家に殉じて勝頼と一緒に天目山に散る人です。この物語は桂姫の視点から著されています。桂姫は北条と武田を結ぶ役目を果たそうと、勝頼の連れ子の信勝と打ち解けようとしますが、既に人間関係ができあがっているので難しいです。同母弟の仁科五郎盛信とは、最初は手古摺ったものの何とか良好な関係を保つようになるのですが、何故か嫉妬深い勝頼には桂姫と仁科五郎がまるで男女の仲ででもあるかのように、歪んで取られてしまいます。これは夫婦であっても、城主とその奥方ということで、二人が直接会話をすることが難しく、絶えず誰か(第三者)の思惑・先入観が入るということでしょうか。
反目する家臣たちと財政的窮状
いずれにせよ、勝頼は再婚で、桂姫は初婚の年の差夫婦です。しかも信玄亡き後の武田家です。また勝頼は武田家中を纏めきれません。四男で、一度は諏訪家を継いで諏訪勝頼を名乗った事や、信玄の血は引くが、名前に通字の信がないため、武田宗家の人間ではないと周囲に認識されていたことなど様々な事情があります。しかも、諏訪家は武田家より格下と見られています。
当然武田家内部でも、信玄亡き後、四郎勝頼を武田家宗家に据えるのかと反動が起きます。特に一門衆の穴山梅雪(異母姉の嫁ぎ先)は信玄亡き後の宗家は自分であると頭から信じ込んでいたので、勝頼を御屋形様とよぶのは相当の抵抗があったようです。
この穴山梅雪は勝頼を裏切って生き延びますが、天正10年本能寺の変の後、家康と共に伊賀越えをするのですが、別れて進む途中、明智光秀ばりに土民に殺されてしまいます(悪い事はできませんね)。
それはさておき、勝頼跡目相続の武田家は三つの勢力に分かれてしまいます。信玄公以来の宿老派(春日虎綱)・親類衆(筆頭穴山梅雪)・勝頼派(勝頼側近)にです。
勝頼にしたら、一緒に暮らした記憶の無い、馴染みのない、けれども半ば神格化された偉大なる父武田信玄と、自分を引き比べる重臣はうっとうしい(春日虎綱)。元守り役の長坂釣閑は勝頼を形ばかりの主君にし、武田家を牛耳ろうと野心を燃やす。が勝頼は、逆らえない関係になってしまいます。
そして武将として、君主として暗愚ではないが、時代には恵まれなかった。曲者の家臣ばかりで、人のめぐり合わせにも恵まれなかった勝頼の境遇にはため息がでます。
加えて武田家を支えてきた鉱脈が尽きてしまい、金の産出量が激減して、軍資金に事欠く事態になります。新しい鉱脈はおいそれとは見つかりませんでした。結果年貢を上げざるを得ません、領民には恨まれます。商人に向かっては、重商主義を強調するのですが、理想的・空想的すぎて賛同者はいません。
戦国時代の後半は戦術が変わり、鉄砲が幅を利かせます。数量を揃えようとすれば、多額の軍資金が要ります。また慣れた砲術師を雇わねば、騎馬戦を得意とする武田武士には鉄砲を使いこなせません。どうやってもお金の問題は解決できません。
天目山の戦いと恵林寺焼き討ち
総てがちぐはぐなまま時間は過ぎ、勝頼は桂姫に、最初は躑躅が丘の館で「そろそろ小田原に帰る支度をしなさい」と皮肉混じりに言っていたのが、とうとう新府館で「小田原へ落ちろ」の状況にまで追い詰められます。織田軍を相手に敗色濃厚、巻き返しは無理の状況です。桂姫は、兄北条氏照からの秘密裏の使者の誘いも断り、滅びゆく武田家と命運を共にする肚を決めます(私は武家の仁義を通して、初婚の桂姫を、厳しい道程ではあっても送り返すべきだったと考えますがね)。
この頃には朝起きるたびに、周囲にいた人数が減っています。勝頼は一層無力感に打ちひしがれます。同母弟仁科五郎もただ勝頼の最後を引き延ばすために、高遠城で絶望的な防戦を展開し、討死していきます。
そして、新府館からまるで葬列のように討って出た勝頼一行は、有名な天目山の戦いへとなだれ込み、皆武家の者としての壮烈な最期を遂げます。辞世の句を詠みます。
この天目山では戦いらしい戦いは無く、最後の形を作っただけと見ることもできます。
後は、信長の武田仕置きで片が付きます。この時信長は恵林寺を焼き討ちにします。武田家が滅んだことを世に知らしめる狙いがあったようです。
この時住持の快川紹喜が詠んだとされる有名な漢詩が「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も自ずから涼し」です。
恵林寺焼き討ちから3か月後の織田信長の運命は、歴史に興味のある方ならば、ご存知の通りです。そして織田家の運命も。
迫力ある歴史小説の読みたい方、戦国時代の婚姻政策に興味のある方などにお薦めします。
一天一笑
- 作者: 伊東潤
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2009/12/25
- メディア: 文庫
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