魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の七

f:id:eureka0313:20200801161330j:plain

『泰西王侯騎馬図』(サントリー美術館本、部分)。1610年ごろ。ウィキメディア・コモンズより。

 

⑫六月一日昼、本能寺で茶会が開かれる。前久は敗北感を感じる。

広大な本能寺では、信長主催の茶会が開催された。招待客は総勢四十人の公家です。
広間には毛氈が敷かれ、信長所蔵の三十八種の名物茶器が並べられていた。公家達は早速順路に従い、列をなして、お道具拝見となった。近衛は自分と同じ殿上人として、他の公家たちの態度を情けなく思った。九十九髪つくもがみの茶入れを物珍しそうに見入る、権中納言高倉永相ながすけの子息・永孝ながたか。又この茶会の主催者が、筑前博多の豪商・島井宗室であることも気に入らなかった。
この時代の身分制度は、貴族か農民しかなく、まだ商人のカテゴリーはなく、あったとしても、市の立つ日に集まる行商人程度であり、所謂賤業扱いを受けていた。前久にとっては、金を持った海賊の親玉ぐらいの認識であった。その主賓・島井宗室の後を、四十人の殿上人・貴族がぞろぞろと後をついて行く。これは屈辱であるはずだが、それを忘れるほど、座敷に陳列された三十八の茶道具は、金銭的にも、美術・工芸品としても価値が高かった。
ルイス・フロイスが、見た目には貧弱ではあるが、その価値はダイヤモンドにも等しい「至宝」と呼んだ逸品ぞろいなのだ。公家達の多くは、こうした貴重なものを特別に拝観させてもらえることに優越感を覚えただろう。現に高倉卿の子息は、田舎大名同然にはしゃいでいるではないか。これは貴族に対する優遇措置ではない、信長の狙いはその辺にあるのだろう。内裏の文化を否定した上で、ズバリ内裏の存在意義を問うているのだ。その問いは、謂わば喉元に突き付けられた短剣だ。前久は信長の思惑に気が付いても何も出来ない自分に苛立ち、歯噛みした。一行は控えの間に移動した。
そこには、一双の屏風が飾られていた。異国の港の風景が描かれていた。建物も人物も初めて見るものばかりです。右には紺碧の海に浮かぶ赤い十字の帆の南蛮船。左には白砂青松はくしゃせいしょうの港に舶来の文物ぶんぶつが荷揚げされている様子が明るい喧騒と共に生き生きと描かれていた。
その脇には華麗な衣装をまとった船長カピタンが控えていた。余白は大和絵風の雲で埋められているが、その全部に金箔が押され、まばゆく輝いていた。その屏風の前では、四十人の公家の誰もが、足を止めて見入った。しかし、大広間に進むと更に目を奪われるものが、信長が着席する予定の上段の間に飾られていた。それは当時最も正確と信じられていた世界図屏風だった。東の端に日本があり、海を隔てて朝鮮、明国。南に呂宋ルソン、天竺、ペルシャ、アラビアに続いてアフリカ大陸が広がっている。更に地中海を挟んで北に欧州、ホルトガル、スペイン、ローマ。そして海の彼方のアメリカ大陸まで描き込まれている。
前久はその屏風を目にした瞬間に限りなく美しいと感じた。その瞬間に自分たち公家の花鳥風月を主題として愛でる文化の限界を感じずにはいられなかった。千年続いた文化の障壁が崩れる音が聞こえるように感じられた。科学に裏打ちされた人を惹きつけずにはかない強い力をもつ二双の屏風の美しさの前に、なすすべもなく崩れたのだ。我々公家は文化の戦に負けたのだ。信長の持ち込んだ兵器は、鉄砲だけではなかった。前久は、長篠の戦で、鉄砲隊に歯が立たず敗れた武田騎馬隊の悲哀を思った。

信長は公家たちを睥睨し、世界全図が背中に位置するように腰を下ろした。信長の着席を合図に、茶頭さどうが深々と礼をして茶事がはじめられた。
茶頭は、基本通りにお道具の説明から始めた。茶筅ちゃせん茶杓ちゃしゃくなつめ。何れも名物ぞろいなのだ。そして、茶が淹れられた。正客しょうきゃくの鳥井宗室がにじって進み、亭主の信長に礼をして一服頂いた。その所作は無駄が無く流れるように優雅だった。宗室以降の次客は、茶頭の点前てまえを小姓が運ぶ点出たてだしとなったが、公家たちは何れも、点前を運ぶ美形の小姓達の衣装や風情に見とれてしまった。しかし運ばれた茶をいざ目の前にすると、皆作法が判らず、ぎこちない所作で茶を頂くより他なかった。前久は思った。どうやら、これは信長の罠にはまったらしい。朝廷独特の作法を盾に散々に田舎者と笑いものにしてきた逆襲を受けたとも取れる。ここで前久はそっと信長の表情を窺った。公家たちの無様な悪戦苦闘を笑うわけでもなく、信長は無表情だった。強いて言えば、悲哀と虚無を感じさせる目の色をしていた。
十人程の公家に茶が振る舞われた頃、信長がやおら座を立って言った。
「最前より別室に勅使を待たせている。しばし中座するが、茶事はこのまま続けられよ」
皆緊張が解け、私語が始まる。近衛前久は言った。
「確か勅使と言いましたが、お使いは誰なのでしょう」
正親町おおぎまち天皇の側近の大納言、飛鳥井あすかい雅教まさのり卿が答えた。
「お使いは勧修寺かじゅうじ晴豊はれとよさまです」
「どういう内容の勅使でしょう」
「そこまでは私も。おそらくは征夷大将軍推挙の件だと思いますが・・・」
なるほどと前久は納得したが、勅使を迎えるのにこの様な宴席が必要だろうか、あまつさえ中座して勅使に会うとは不敬ではないかと内心思った。
程なく信長は何事もなかったように戻ってきた。信長が戻って来るのを待っていた鷹司たかつかさ卿は言った。
「この盛大な茶会を寿ことほいいで一首献上させていただきます」
と用意した短冊に和歌を書きつけ、小姓に託した。小姓は戸惑いながら受け取り、信長に差し出した。
今まで無表情だった信長の顔に不快の色が浮かんだ。
「ご返歌をお願いいたします」
彼なりの社交を務めている鷹司卿は得意げだった。
「鷹司」
信長が静かに怒りを含んだ声で言った。自分の名前を呼ばれた鷹司卿は、呼び捨てにされたにもかかわらず一瞬優越感を感じたが、次の瞬間信長の目の色に気が付き、背筋が凍る思いをした。信長は、
「でしゃばるな。下がっていろ」
と言うと、手にした短冊を無造作に、弊履へいりのように投げ捨てた。鷹司卿は消え入るように戻った。
前久は、鷹司卿を気の毒だと思いながら、信長の意図を明確に掴んだ。天皇とその周辺の文化を否定しているのだ。千年受け継がれた文化を何ほどにも思っていないのだろう。その光景は、前久の気持ちをさらに重くさせた。

⑬前久、帰宅後直ぐ二条御所に参内する。

前久は、今までにないほど精神的に疲れ果てて屋敷に帰ってきた。屋敷に近づくと中から家人が転がるように飛び出してきた。これ以上の厄介ごとは御免だと芯から思った。
「ご主人さま、今お使いが」
「・・・」
誠仁さねひと親王さまからです」
誠仁親王・・・どういうご用件です」
「今すぐお会いしたいということでしたが、本能寺のお茶会から戻っていないと申しましたら、戻られたら直ぐ御所においでくださいとのことで」
前久は嫌な胸騒ぎを覚えたが、何故かそのことが心を奮い立たせる結果になった。
「分かりました。今すぐ行ってみましょう」
「お召替えはおよろしいので?」
「かまいません」
誠仁親王二条御所は、前久の屋敷のすぐ隣に位置している。
前久は直ぐに親王の前に通された。人払いした部屋にいる親王は、脇息に肘をもたせて俯いて、かなり憔悴しているようだった。
「畏れながら、信長に勅使を遣わされたとのことですが、首尾はいかが」
親王は、深い溜息をついた。もともと白い顔が一層血の気が無く、蒼白く見えた。余程の心労が前久に取って見えた。
「勅使を務めた勧修寺の申すところでは、信長は勅使をさんざん待たせた挙句に下座に置いて応対しようとした。勧修寺も気色ばんで『私はいやしくも帝の使いである。下座では口上は述べられない』と言った。信長は只一言言った。『言上できないならさっさと帰れ』」
「それで、勧修寺さまはいかがされましたか」
「いくら肚に据えかねても、そのまま帰るわけにもいかず、堪忍して口上を述べたという」
「口上の内容はやはり、征夷大将軍推挙のことですか」
「うむ、どうして信長が推挙を断ったのかを聞きにやらせた」
「それで、信長の答えは」
「それは、明日直接帝に述べるそうだ。しかし、それよりも信長は急に閏月のことを蒸し返してきたそうだ」
「なんとまあ・・・終わった話ではないか」
ここで言う閏月のこととは、信長が作暦に口を挟んだことだ。信長は、何が何でも十二月に閏月を入れたいと主張する。これは、東国で使用されている三島暦と京都で使用している京暦の違いが対立を生んでいるのだ。しかし、問題の本質はそこではなく、暦に限らず天地・天文をつかさどるのは、天孫降臨天皇のみである。勧修寺晴豊は、いかに信長公とて作暦に口をはさむのは、越権行為も甚だしいと顔を赤らめて主張した。信長は、軽く手を挙げて勧修寺を制し「お前のような者に話をしても始まらぬ。これも参内の折に話をする」と言い、座を蹴るようにしてその場を退出した。
「近衛、やはり光秀の話は本当だった。信長は朝廷を滅するつもりなのだ」
「はい」
「光秀は今どうしている」
「亀山に待機して中国攻めの準備を進めているとのこと」
「光秀に、信長を討つつもりはあるのか」
「それが」
「何だ」
「聞くところによりますと、荷物を中国に向けて発送しているとか。今日明日にも出陣とか」
「何と・・・」
前久は誠仁親王の驚きように恐縮した。
「では光秀は我らを見捨てるのか」
「まだそうと決まったわけではありません。事実、光秀は信長の動向を逐一知らせるよう言ってきています」
「もし光秀に見捨てられたら、我らは・・・」
親王は袖に目をあて、ハラハラとこぼれる涙を拭った。
「それほどご心配なら、光秀宛に書状を」
「しかし、どのみち光秀の決意は、今日明日にはハッキリするのであろう?」
「はい。明日光秀が中国路を進めば、もはやあてにはなりません」
「近衛、光秀はどう出ると思う」
「今は何とも」
重い沈黙が二人を包んだ。
親王、もし光秀があてにならない時はこの私が」
親王は涙に腫れた目を前久に向けた。
「明日、信長が御所に出仕した折には、刺し違える覚悟で」
「前久」
「何、覚悟を決めれば、ヒ首の一振りで事は足ります」
前久は静かに頭を下げた。親王は前久ににじりより、前久の手を固く握りしめた。その手に涙が一雫落ちた。
「殿下、もったいない」
親王は、それでも前久の手を放さず、いつまでも泣いていた。

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―