⑧五月二十七日、愛宕神社に参詣
光秀の希望に反して、詔は出ないと決まった。光秀は翌日、長男光慶を連れて、愛宕山頂の愛宕神社を参詣する。肚を括れない光秀は悩む。やるかやらないか、それだけだが悩む。
自分は天皇が滅ぼされても、今まで通り、信長に犬のように仕えるのか。仮に蹶起して、しくじったとしても、朝廷は頬かむりを決め込むことだろう。そうしたら問答無用で八つ裂きだ。
そうまでして天皇に義理立てすることはないではないか。結局、どちらに賽を振るか、決められない。
何時になく、明智軍一万五千の軍勢の喧騒が気に障って仕方がないので、愛宕神社に参詣を決めた。落ち着いて自分らしい道を選択したかった。
社殿に到着した光秀は、社務所前で巫女に声を掛けた。
「籤を引かせてもらうぞ」
巫女は、光秀の告げた番号の籤を差し出した。受け取った光秀の顔色が変わった。籤は“凶”。
上ずった声で言った。「もう一度だ」光秀はあらためて籤を引いた。巫女が番号を読みあげた。光秀に籤を差し出す巫女の手が細かく震えている。再度“凶”だ。
もはや光秀は、籤遊びを楽しむ心のゆとりを失っていた。気味が悪い。天皇を守る為に信長を討つ。それは私心からではなく正義のためだ。なのに神はそれを”凶“だというのか。光秀は、自分が愚弄された気持ちになった。何かが間違っている。「もう一度」結局三度、籤を引いた。”吉“が出た。
心なしか、巫女がほっとした表情をした。光慶が「父上、大丈夫ですか?」と声をかけ、何か怖いものを見ているような視線を、父光秀に向けた。光秀は長男光慶の視線で、やっと自分の異常な精神状態に気が付いた。
「何でもない、何でもない」
光秀は手にした籤を、細かく千切り、風に飛ばした。そしてやっと微笑んだ光秀に声をかけた人物がいた。
「これは日向守さま。お越しなるなら一言お声かけ下されば」
行祐法印だった。
「いや、ついぶらりと来てしまいました。そう言えば、法印どの、今夜一晩ここに泊めていただけませんか。少々静かに考えたいことがあるので」
「それは勿論結構です。では早速仕度させましょう」
「忝い」
光秀は一人静かに愛宕神社の奥の坊に入っていった。
光秀は思った。詔勅が出ないなら神を頼ろうと、籤を引いたのは己の弱さだ。凶ならば凶の極みで、打倒信長を果たすまでだ。自分に私心がないというのは、やはりきれいごとだ。その裏に隠れている“覇道”(天下簒奪)の心を認め、主殺しも成し遂げてやる!と迷いを振り切った。そして明日、自分が主催する戦勝祈願の百韻連歌の発句を考えた。光秀は句の中に“天皇”を仄めかす言葉を詠み込みたいと思った。ハッキリそれとわからなくても、神に通じればそれでいいのだ。
光秀は集中し、用意してあった和歌の腹案と、お手本にする和歌を頭の中で手繰り寄せた。後醍醐天皇の
さしてゆく笠置の山を出でしより天が下には隠れ家もなし
を参考に、予てからの腹案どおり、『太平記』に出てくる楠木正成に擬えようと思った瞬間、思わず口を衝いて出た。
時は今 雨がしたしる 五月かな…
⑨五月二十八日、愛宕百韻を開催
翌朝、光秀は気持ちよく目覚めた。朝風呂に入り、湯漬けと香の物の朝食を済ませた。
連歌会の面子は、宗匠の里村紹巴とその弟子の昌叱および心前、連歌師の猪苗代兼如、更に愛宕神社の住持・行祐法印など全部で九人です。
先ず光秀が筆を執り、用意した発句を短冊にしたためた。
時は今 雨がしたしる 五月かな
何とも不思議な空気が座を流れた。光秀はその雰囲気を意に介さず、泰然としていた。
「ではわたくしがいただきましょう」
行祐法印が手を挙げた。
水上まさる 庭の松山
それに紹巴が続けた。
花落つる 池の流れを せきとめて
光秀の雨からの連想で水に関連した句がつけられた。連歌は、途中、夕食休憩をはさんで続けられ、百首まで詠み終わりました。最後の句は、里村紹巴の
国々はなほ のどかなるとき
の歌でした。
百首は、無事に神社に奉納され、後は宴会となった。宴会で紹巴は、光秀の発句「雨がしたしる」の着想は、何処で得たのかをさかんに尋ねていた。しかし光秀は、静かに笑っているだけだった。暗号とは本来そういうものだ。事後、あれはそういう意味だったと気が付く。
参加者の誰しも、光秀の発句は意味ありげだと思ったろう。後に里村紹巴は、光秀の発句を微妙に改竄している。改竄部分の「雨がしたしる」と「雨がしたなる」の真贋は、どちらが光秀の本当の発句なのか、誰にも判らない。(続く)