六月十四日~六月十五日:秀吉、光秀の首を探索する。
十四日の朝、秀吉軍は勝竜寺城を攻めた。前日の不可解な動きに用心して、何か奇策があるのではないかと、或る意味戦々恐々とした攻撃ではあったが、勝竜寺城は実にあっけなく落ちた。城に突入した将兵たちは光秀の姿をくまなく探したが、見つからなかった。
秀吉軍がいぶかり始めたころ、捕虜となった明智軍の将兵が、光秀は昨日城を出奔したと申し述べた。まさかと思い、なおも城中を探索させたが、ついぞ発見されず、光秀出奔が事実だろうとの結論に至った。城を出て向かった方角が東北方面という密告が得られたので、おそらくは坂本城に向かったのだろう、との推測に基づき、その街道沿いに落ち武者狩りの触れが出された(実はこの時点で光秀は既に落命している)。
そうこうしている所に、異様な風体の男がふらりと現れて告げた。
自分は明智光秀の消息を知っているから、秀吉に直接目通りしたい。
秀吉は即刻返事をした、それが確かなら今すぐ会おうと。男は秀吉の前に引き出された。
「で、光秀は何処にいる」
「既に死んでおられます。もう生首になっておられます」
「その生首はここにあるのか」
「いいえ、しかし私の手元にございます」
「今すぐここに持ってこい」
「お渡ししてもよろしいのですが、その前に一つお約束して頂きたい事があります」
「何だ」
「その前にお人払いを」
男は秀吉を前に、臆することなくぬけぬけと言った。
秀吉は、興味惹かれる男だと思い始めた。警備の者数人と、秀長だけを残してあとは退席させた。男は秀長が残っているのが不服そうだった。
「秀長はわしの弟で、分身のようなものだ。何も問題は無い」
男は、しばらく秀長の顔を眺めていたが、納得した様子で口を開いた。
「この度の騒動については、天皇家や公家衆に対してのご詮議、ご無用に願いたい」
「ほう」
秀吉は予想外の言葉に、どう答えたらよいものか迷って、背筋を伸ばしながら、横の秀長に目をやった。秀長も名案は浮かばなかった。
「天皇と公家衆に詮議が及ばぬように、ということは、信長公襲撃にその者たちが関わっていたということか」
「そういうご下問にはお答え致しかねます。そうした疑問も含めて、一切のご詮議ご無用に願います」
「う、うむ」
「もしこのことをご承知いただけぬ時には、光秀の首は手に入らぬとお考え下さい。我らにとって光秀の首など、何ほどの価値もない。処分するには何の造作も要りません。しかし、そちらにとっては、城を落とそうが、敵を何千何万殺そうが、光秀の首が無いことには、信長公の弔い合戦に勝利したという大義名分が成り立たないのではありませんか」
話をしているうちに、秀吉の目が次第に嶮しくなっていった。
「その方、誰の回し者だ」
男は薄笑いをし、首を小さく左右に振った。
もとより、その様な問いに答える筈もなかった。
「もし、こちらの要求を呑んでいただけるならば、一両日中に光秀の首はお手元に届けます」
「天皇と公家衆に詮議するなということか」
「はい」
「わかった。要求を呑もう」
「たしかでございますか」
「二言はない」
「ありがたき幸せ。光秀の首は明日にでもお手元に。それでは」
男は一礼して帷幄を後にした。秀長は直ぐに人を呼び、今出ていった男の尾行を命じた。
しかし、男は帷幄を出るなり、風のように姿を晦ました。
その報告を聞いた秀長は、そうであろうと半ば諦めたように頷いた。
どこの誰であろうと、易々と尻尾をつかまれるようなヘマはしないだろう。
六月十五日:秀吉、園城寺に進駐する。
丁度昼飯時分、秀吉は湯漬けを啜っていた。そこに長兵衛と名乗る百姓が、片手に麻袋を下げ訪ねてきた。犬を殺してはその肉をあぶって食べているというので「犬殺しの長兵衛」と渾名されている、表情の乏しい、薄気味悪い大男であった。いつも手にしている麻袋の中に犬の死骸を詰めているらしい。絶えず身体から獣の脂の臭いを発していて、周囲からは恐れられ、疎まれている男であった。
秀吉は、湯漬けの箸の手を停めた。長兵衛に麻袋を開けるように促した。
長兵衛は無造作に麻袋を開け、腐りかけている生首を取り出した。
首は顔に縦横に走る刀傷があり、それが腐り、異臭をまき散らすほど、損傷が激しかったが、光秀の首であることが、かろうじて判別できた。
秀吉の側近が長兵衛に質問をした。
いつ、どこで、どのようにして、この大将首(光秀の首)を上げたのかと。
「十三日、小栗栖で」
と長兵衛は答えた。側近は改めてその日時を確かめた。
十三日の夜、小栗栖の竹藪を抜ける道で、竹槍で突っ殺した。長兵衛は舌足らずながら、悪びれず、自然に応答した。
秀吉軍が「光秀、勝竜寺城を出奔す」の情報を得たのは、十四日の昼過ぎである。それから大慌てで近郷の村々に落ち武者狩りの触れを出したが、その時点では、もう光秀は長兵衛の竹槍に斃れていたことになる。話の辻褄が合わないではないか。
側近はもう一度長兵衛に尋ねた。お前はどうしてその時、小栗栖の竹藪にいたのか。竹藪を抜けてゆくとき、何故それが大将首(光秀)だと分かったのか。
長兵衛は、一言も返事をしなかった。側近は、さらに尋ねようとした。
その時、秀吉が決然と言った。
「もうよい。その男に褒美を取らせよ」
長兵衛は大枚の金子を得た。しかし別段嬉しそうな顔をするわけでもなく、来た時と同じように、寺を後にした。
やがて光秀の首は丁重に片付けられた。秀吉はすぐさま膝で遊んでいた箸を拾い上げ、何事もなかったかのように改めて湯漬けを啜り始めた。
後記
読者の皆様、お疲れさまでした。
主君・織田信長に見いだされ、粉骨砕身して仕え、外様ながらも異例のハイスピードで昇進を果たした明智光秀。同じく信長に見いだされ、光秀とは違う持ち味・能力をフルに活かし、昇進を果たした秀吉。信長横死後、天下人の座に就くのは誰か。
光秀が何の目的で(どんな願いをもって)本能寺の変を起こしたのか。その後、何故迷走状態に陥り、小栗栖の竹藪で百姓の槍に斃れたのか。
その「何故」に、多数の映画シナリオを手掛けた伊東眞夏が独自の見解をもって応える。
実は内裏の奥深い所からの陰謀ではなかったか。会心の長編歴史小説、お薦めします。
東海地方出身の筆者には、関西弁の微妙なニュアンスの理解が難しいので、会話には東海地方の言葉を使用しました。
最終回までお付き合い頂いた事、心より感謝致します。一天一笑
一天一笑さん、長期連載、まことにお疲れ様でした。