魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の参

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吉田兼見(兼和)像。國學院大學図書館所蔵。ウィキメディア・コモンズより。
④光秀、密かに吉田兼和の屋敷を訪問する

光秀は予定通り、吉田兼和かねかずの屋敷に到着します。家人に取り次ぎを頼むと、兼和は玄関まで出迎えに来ました。
明智殿、さあ上がられよ。で、安土の様子はどうです」
この兼和は、吉田神社の神主を務めると同時に、神道を司る神祇大副じんぎのたいふの役職に就き、尚且つ情報通でもあります。細川幽斎の従兄弟に当たります。後に兼見かねみと名をあらため、日記『兼見卿記かねみきょうき』を遺しています。光秀とは細川幽斎の仲介で、既に十年来の付き合いがあります。更に兼和は光秀を介して信長に謁見を果たしています。後に『兼見卿記』は兼和自身の手に依って、光秀との交流の部分が改竄されました。
部屋に上がった光秀は、言います。
「まず、お人払いを願いたい」
兼和は侍女を下がらせます。
「では、これから申すこと、他言無用に願います。よろしいですね」
兼和は、何時いつにない光秀の迫力に気圧けおされた。
「この光秀、このたび信長公より出雲・岩見の二国を拝領いたしました」
「ほう、それは目出度いことではないのですか」
「いや」
光秀はゆっくりとかぶりを振った。
「そのかわり、丹波・丹後の両国を私からお取り上げになりました」
光秀が只愚痴を言いに来たのではないことを、その様子から看取した兼和は、要領を得ないまま、光秀に話の先を急がせます。
「それで、信長公のお考えとは何でしょう?」
「私を京から追い払い、みかどを成敗されるおつもりです」
「帝を成敗?畏れ多くも、帝に対して何というお言葉を・・・」
「いいえ、言葉の問題ではないのです」
「帝を弑逆すれば五臓が腐り、呪われ死にするのですぞ」
「私は比叡山の焼き討ちの際も、同じような噂を聞いた記憶があります。呪詛の本場・比叡山を焼けば、五臓六腑が腐り・・しかし実際には何も起こりませんでした」
迷信深い兼和も光秀の言葉に黙るしかありませんでした。確かに比叡山延暦寺は加持祈祷・呪詛呪法等の一切を担い、信長との交渉に応じようとしませんでした。自らの『聖域特権』を恃んで驕慢な旧態依然の態度でした。しかし、現実主義者の信長はそれを認めなかった。呪うなら呪ってみろ。祟るなら祟ってみろ。信長は『天下布武』を非情な手段で実現します。
現実主義者信長は、目に見えない抽象的な”権威“を断じて認めず、邪魔者は排除する。焼き討ちは躊躇ためらわず行われました。抑々そもそも征夷大将軍位の権威を持つ義昭を奉じて上洛したのは信長なのですが・・・矛盾を感じないのが信長か?
「手始めに信長公は、天皇親派の私を京から追い払われました」
「あなたの領国が召し上られたのはお気の毒ですが、それが信長公が帝を成敗する証拠となりえますか?」
「もう結構。私の望みは、今の話を内裏にお知らせ願いたいということです」
「内裏と言われても、一体誰に?」
「出来れば直接帝に」
「とても無理です」
「では、帝に直接お目通りできる方に」
「心当たりが無いわけではないが、只今のあなたのお話を理解していただけるかどうか」
「兼和殿、心当たりとはいったい何方どなたなのですか?」
兼和は目を剝いて言った。
太政大臣近衛このえ前久さきひさ様でございます」
実は最近、兼和は近衛卿から、信長の身辺に少しでも変わったことがあれば報告するよう仰せつかっていました。いい機会だから、近衛邸を訪ねるのも悪くはないだろう(本来は家格の違いで、兼和の側から近衛家に訪問はできないが)。取り敢えず、光秀の領地召し上げの件だけを話しておけば用は足りる。
「わかりました。その旨、お伝えしておきましょう」
「いつですか?今すぐお願いしたい」
「相手は近衛様ですよ。無理をおっしゃらないでください」
「では手紙を渡すだけなら」
「ええまあ、手紙を置いてくるだけなら今すぐ・・・」

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矢立は携帯用筆記具容器で、墨を入れる壺と、筆を入れる筒とから成る。ウィキメディア・コモンズより。

光秀は、いきなり矢立から筆を取り出すと、懐紙にその場で短いふみをしたためます。書き終えると小さく折りたたんで、兼和の前に差し出しました。
「これを太政大臣へ。ただしお読みになられた後は、ただちに火にくべていただくよう、お伝え願います」

⑤兼和、光秀の依頼を受ける。

情報通ではあるが、腰が定まらず、政治的センスに欠ける吉田兼和には、光秀の焦燥感は伝わりません。それどころか自分も正気を疑われてしまうと不満を感じながらも、兎も角二条御所近くにある近衛の屋敷に到着します。家人に取り次ぎを頼みます。
吉田兼和近衛前久様に織田家のことでお耳に入れたいことがあり、参りました」

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引き上げられ、釣り金具で留められた蔀。法隆寺聖霊院。ウィキメディア・コモンズより。

兼和は奥に通されました。しとみを落として、昼なお暗く、燭台の灯りを頼りに御簾みすの向こう側にいる近衛前久と会話をします。
明智とは、確か坂本城主。織田家中でも名のある武将と聞いているが」
「はい、その通りでございます」
「その明智がどうかしたのか」
「つい最近、領地の丹後・丹波を取り上げられたそうで」
「それは確かなことなのか」
「本人から直接聞きましたから」
「本人?では明智は今、都にいるのか」
「はい」
御簾の向こうで暫く沈黙が続きます。
「兼和、何か思い当たることがあるのか?」
「光秀の世迷よまごとでしょうが、畏れ多くも信長は帝を亡き者にしようと計画を・・・」
御簾の中は、より一層重い沈黙に包まれた。
「帝を亡き者とするのと、領地返上とどういう関係があるのか?」
「丹後・丹波は京のすぐ近くです。しかも光秀は帝をお慕い申し上げております」
「それゆえの領地召し上げか?」
「ただの思い過ごしと存じますが・・・実は、光秀より手紙を一通預かってきているのです」
く、それを見せよ」
「しかし、世迷い言では・・・」
「よい、見せよ!」
前久の何時にない剣幕に驚いて、御簾の下から手紙を差し入れた。
再び、御簾の中は重い沈黙に支配されたが、低いうめき声が聞こえた。
次の瞬間、御簾の中がパッと明るくなった。手紙が燃え滓となったのだ。
「兼和、明智光秀をここに呼ぶことは出来るか?」
「それは勿論できますが・・・何時がよろしいでしょうか?」
「今すぐじゃ!」
兼和は近衛前久の剣幕に押され、息を切らせて帰宅した。待機していた光秀に、直ぐに仕度して、自分とともに、近衛邸に参上するのだと告げた。道々兼和は、一体自分は何をしているのだろうと思った。二人はやがて、近衛邸に到着した。今度は取次無しで奥に通された。
御簾が巻き上げられた状態で、前久と光秀は対面します。武家の光秀には破格の扱いです。
明智惟任日向守にございます」
「近衛です」
形通りに初対面の挨拶をします。
「手紙を読みました。あれは確かなことなのですか」
「確たる証拠はありません。しかし・・・」
「惟任どの、ご存じかどうか、信長は昨年より作暦にも口出しをしているのです」
「作暦・・・」
色白のぽっちゃりした顔立ちに、腫れぼったい眼をしている近衛前久は、言葉を続けます。
「朝廷には朝廷の暦、地方には地方の暦があります。朝廷の暦は公のものです。お互いに強制されたものでもなく、共存しています。しかし、それをいいことに、朝廷に地方の暦に従えというのは、本末転倒も甚だしい。もっての外です。暦の件は承知せず、信長も取り下げたが、今年になって蒸し返してきました。しかも帝は、英断を以て、信長を征夷大将軍に推挙する旨、決心された」
「信長公に将軍位を・・・」
光秀には初耳です。
「そうです。ところがにべもなく断ってきました。理由は言わず、勅使は門前払いですよ」
この数ヶ月、近衛前久は、信長の不可解な行動に悩まされ続けたが、今日光秀の手紙を読んで、正解に行き当たったと直感した。信長は天皇を廃絶するつもりだ。天皇を滅ぼす肚だ。作暦に口を挟むのも、朝廷に無理難題を吹っかけるのも、拒否すればそれを口実に攻める肚だ。
征夷大将軍位も要らない訳だ。信長の行動は首尾一貫している。
「朝廷としては、今後どうすればよいとお考えか」
前久は、心を奮い立たせて光秀に尋ねた。
「黙って手をこまねいているわけにはいかないと思います。」
近衛前久は重い沈黙の後、深く頷いた。
光秀は躊躇わずに言った。
「帝におかれましては、詔勅を発出されて、信長公を討伐するよう、天下に号令されるのが最善かと」
近衛は、一層重い沈黙の後、深い溜息をついて言った。
「もっと穏やかな策はありませんか」
光秀は沈黙を続けながら、静かに首を横に振った。
「もし信長が動くとしたら、何時頃になりますか」
「毛利攻めの後ゆえ、半年ないし一年後。猶予はありません。毛利攻めで、将軍義昭の首をあげ、返す刀で帝の首を刎ねんとすることでしょう」
余りの言葉に、兼和が光秀を諫めるが、光秀は構わず続けた。
「このまま黙っていれば、公方くぼうの首と帝の首とが仲良く洛中の見世物となってしまいます。手遅れになる前に。それどころか、この会見が露見したら、今日明日にでも御身の一大事」
明智殿に信長を諫めるのは出来ないのですか」
「私に信長公と刺し違えて死ねと仰せですか。私に死ねと仰せならば、帝から直々に“信長を討て”とのお言葉を賜りたい。直ちに檄を飛ばして、反織田家の勢力を結集いたします」
近衛は、慌てて手を挙げた。
「いや、待たれよ。私の一存では決められぬ」
光秀は、思わず前のめりになった姿勢を戻し、大きく息をついて、静かに言った。
「近衛殿、最後に一言。事を起こそうというのは、私自身の“義の心”によるものです。信長公を討つチャンスは、今日より七日間のうち、京都に滞在する日しかない。それまでの間、私に帝のお言葉“信長を討て”を賜るよう、お働きください。それでは私はこれで」
光秀は深々と頭を下げ、ついと立ち上がり、足早に出て行った。
残された近衛と兼和は圧倒されて声も出なかった。(続く)
 

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―