魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十七

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明智藪」の石碑(京都府京都市伏見区小栗栖小阪町本経寺寺領内)の奥にある案内板。矢印が藪の奥を指している。2016年1月撮影。www.travel.co.jpより。

㊺六月十三日:山崎

緊張を孕んで夜が明けた。羽柴軍と明智軍は以前として睨み合ったままだった。
お互いに仕掛ける切っ掛けがつかめない状態だった。
両軍相手の目の色が見て取れる程の近距離に構えていた。
午後四時を過ぎたころ、羽柴軍が仕掛けた。中川清秀隊が吶喊とっかんの声をあげて、川を渡った。明智軍の並河隊がそれを迎え撃った。今までの膠着状態に業を煮やしていた各隊は、この競り合いに左右から援護・加勢した。各隊とも戦死者・負傷者が数多く出たが、並河隊が中川隊を押し返した。局地的には明智軍の勝利であるが、兵員数において絶対的に劣る明智軍には大きな痛手であった。兵員数の多寡が勝利のカギを握ることを熟知している秀吉は、中川隊を捨て駒にして高山隊・池田隊・加藤隊・木村隊を次々と投入し、寡兵の明智軍を壊滅させる肚づもりだった。秀吉にすれば元々明智傘下だった摂津衆は使い捨てにするのを躊躇うような存在ではなかった。中川隊は次の命令が発令されると同時に、自殺行為にも等しい突撃をしなければならない局面に来ていた。しかし、中川隊は次の瞬間、我が目を疑う光景を見た。
その時点では優勢だった明智軍が、法螺貝の音を合図に撤退を開始したのだ。中川隊には皆目訳が分からなかった。半信半疑で明智軍を追走するも、どういう奇策があるのか、明智光秀の真意が読めるものは誰一人として居なかった。ただ迂闊に手出しは出来ないと警戒するだけだった。
明智軍は勝竜寺城まで軍を引いた。勝竜寺城に引き上げてからの光秀の行動は、実に不可解であった。まだ緒戦の段階ではあったが、戦況は明智軍に有利だった。この状況で全面撤退しなかればならない理由はどこにもなかった。次に光秀がしたことは、ごく僅かの供廻りを連れて勝竜寺城から遁走したことである。では勝竜寺城を抜け出した光秀は何処に向かったのか?一説には再起を期して坂本城に向かったとも云われている。しかし再起云々と言うほど戦況が決定的に悪化していた訳でもない。ほぼ無傷に近い一万五千の主力部隊を放置してまで遂行しなければならない火急の用とは何だったのだろうか?

㊻伊東眞夏は推理する。光秀の策謀。

著者の伊東眞夏は推理する。主殺しの汚名を着た過酷な戦場で、光秀の精神・心理は極限状態に達し、混乱し、彼自身を支えきれず、譫妄状態に陥った。逆賊のレッテルは、想像以上に光秀の精神に重圧を与えたのだろう。
伊東眞夏は次に推理する。光秀が小栗栖おぐるすの竹藪で落ち武者狩りに会い、最期を遂げたことに疑問を投げかける。
本来、落ち武者狩りというのは、戦の勝敗が定まった後に、勝者側がしかるべき奉行を立て、終戦処理の一環として、近郷近在の百姓たちに触れを出して行うものである。
山崎の戦いの緒戦では、勝敗は決定していない。なので勝者も敗者もいない。その時点では、誰も落ち武者狩りの行政命令を出せるわけが無いのである。
しかも、山崎の戦場から小栗栖の竹藪までは、現在の距離で十六キロ離れている。
小栗栖の竹藪は人家もまばらで、夜ともなれば人通りは途絶える。月明りさえ差し込まない闇の中である。そのような中で、只の百姓が竹藪を抜ける小道の脇で、竹槍を持って待ち構えているものだろうか?たまたま光秀が通るタイミングで居合わせるものだろうか?
そのような偶然が重なるものだろうか?否、百姓は、光秀がそこを通ることを知っている刺客だったのだ。光秀は小栗栖の竹藪におびき寄せられ、謀殺されたのだ。
光秀の不可解な死は、謀殺以外に説明がつかないのである。
では、誰の陰謀によって光秀は謀殺されたのか。光秀に生きていられては都合の悪い人物とは誰なのか?光秀が本能寺の変の真相を語ろうと語るまいと、光秀の存在そのものを不都合に思うのは誰なのか?
それは、光秀謀殺が行われた小栗栖の竹藪という場所が雄弁に語るであろう。
小栗栖の竹藪は勧修寺かじゅうじの庭先と言っても過言ではなかった。
勧修寺にいるのは、勧修寺尹豊ただとよ。当時八十歳を超え、出家して紹可上人と称していたが、内裏に隠然たる影響力を持っていた(出家していると聞くと、余計に恐ろしいような気がしますね)。
光秀はその勧修寺を尋ね、勧修寺尹豊と会談して、結論が出次第、勝竜寺城に取って返すつもりではなかったのだろうか。

勝竜寺城の望楼で、秀吉軍の兵員数に圧倒され、衝撃を受けた光秀は、次の一手を考えた。
援軍要請をするしかない。何処に頼むか。光秀の頭には数日前まで秀吉軍と敵対関係にあった毛利家の存在が浮かんだ。上手く話を運べば助太刀してくれる可能性もないわけではない。しかし、光秀自身の要請で毛利家が動いてくれるのか。問題はそこだ。
光秀は毛利家に面識が無いのだ。内裏を通じての天皇からの勅命なら、毛利家も援軍を出すだろう。光秀はこれに賭ける気になった。光秀はすぐさま、近衛前久誠仁さねひと親王・勧修寺晴豊宛に手紙をしたためた。旗幟きしを鮮明にしていないとはいえ、彼等は親光秀派である。又内裏での発言力も大きい実力者揃いである。その三人の揃っての進言ならば、正親町帝も否とは言うまい。やがて三人からすぐにでも、天皇に光秀の意向を伝えようとの返書が来た。光秀は確信した。これで毛利家は動く。
いや、毛利が動くという噂が流れるだけで、俄か寄せ集めの秀吉軍は統率が取れなくなるだろう。秀吉軍から離れる将兵も出てくるやもしれぬ。
どの程度の脱落兵が出るかは予想できないが、正味の秀吉軍との一騎打ちならば勝機はあるはずだ。そうと決まれば(決めれば)緒戦で秀吉軍と衝突して無駄に兵員数を損なうことは無い。光秀は勝竜寺城に引き返して、長期戦の構えを取った。つまり、何が何でも毛利家の援軍到着まで時間を稼ぎ、羽柴秀吉本人をここに釘付けにしておく必要があるのだった。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

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