魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の二十二

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プラザデラオ比日友好公園(マニラ)の高山右近像と記念碑。ウィキメディア・コモンズより。

㉞光秀、御所にて任命式を済ませる。

「殿・・・殿・・・」
遠くで声がする。
どうやら自分は仰向けに寝かされているようだ。光秀は前久に匕首で刺された筈の脇腹に触れてみた。その手は自分の血糊ではなく、糊のきいた束帯(絹)の感触を捉えた。無論身体の痛みも無い。次第に頭がハッキリしてきた。
「信長公は何処に行かれた」
周囲の者たちは戸惑いと不安の表情を隠せなかった。光秀は直ぐに言ってはならない事を口走ったと理解した。
「起こしてくれ、ここは何処だ」
家臣に助けられて、上体を起こした光秀は尋ねた。
妙心寺の控えの間にございます」
妙心寺・・・そうか」
「・・・」
「今日は何日か」
「九日でございます」
「九日・・・六月九日か」
「大丈夫でいらっしゃいますか」
「ああ、大丈夫だ。しかし、わしは何故ここにいる。何があったのか」
家臣の話によると、光秀が倒れていたのは僅かの間であった。吉田兼和を下がらせた後、しばらくして御所からの迎えが来た旨、報告に上がると、光秀は独り床几から崩れ落ち、床にうずくまるようにして気を失っていたという。
「これからの予定はどういたしましょうか」
「うむ」
家臣たちを押しのけ、身体を起こして立ち上がった光秀は、立ち眩みがするわけでもなく、異常無しと思った。
「何も予定を変える必要はない。これより御所に出向く」
「は」
家臣達は慌ただしく動き始めた(光秀は気が触れたかと思った家臣もいたかもしれません)。
御所での京都守護職の任命式は滞りなく行われた。その間、光秀は、夢の中の出来事をもう一度なぞるような不可思議な体験をする。まず、今日が初対面であるはずの勧修寺かじゅうじ晴豊はれとよ卿は、夢の中で出会った晴豊卿と、何一つ変わるところが無かった。退席する途中、光秀は、夢の中と同じように、官吏に呼び止められた。官吏の口上は「太政官近衛前久卿が直々にお目通りしたいとのことで、暫時控えの間にお進み願いたい」であった。光秀は思った。夢では近衛がわしの脇腹を刺したが、まさかここでの刃物沙汰は無いだろう。しばし待つうちに近衛卿が現れた。
「これはこれは」
笑いながら近づいてきた近衛卿は、光秀に恭しくお辞儀をした。
「この度は、京都守護職ご就任、まことにおめでとうございます」
「・・・」
「いや、光秀どの程のお人に、京都守護職では役不足かと思いましたが、快くお引き受けいただき、私たち一同、有難く思っております。ここだけの話ですが、帝は今年中には右大将の位を、ゆくゆくは征夷大将軍の位を、と。ただそれには少し時間が必要ですが、何とか来年のうちには・・・」
「近衛相国しょうこくどの!」
「はい」
「もしわたしが本能寺を襲わなかったら、相国どのは信長公に何をなさるおつもりでしたか」
「いやいや、何をおっしゃるかと思えば、そのようなことを」
近衛は只笑うばかりで、一方的に話題を変えた。
「ところで誠仁さねひと親王は、こたびいたく感銘されて、是非光秀どのにと、預かってきたものがございます。どうぞお納めください」
近衛はわきに控えていた小者こものからはこを受け取り、光秀に恭しく差し出した。
中には厚い袱紗ふくさの上に、見事な螺鈿らでんの装飾を施された宝剣(小刀)があった。

御所から帰る道すがら、先程の夢を忘れられない光秀は考えていた。自分のしたことは本当に正しいことだったのだろうか。“天皇とは信長のことである”の一言で崩れてしまうような脆いものなのか。吹けば飛ぶようなものを後生大事に守ろうとしたのか。身震いするほど恐ろしいことではあるが、初めて光秀の中に疑問が浮かんだ。例え夢の中であっても、あの時自分はどうして文字通り身を挺して前久の匕首から信長を助けようとしたのだろうか。或るいは自分の中に信長に賛同する何かがあるのだろうか。しかし自分は信長を弑逆した。思っていることと実際の行動のベクトルが真逆ではないか。そうまでして自分は何をしたいのか。光秀は輿の揺れに身を任せながら、自分に言い聞かせた。正しかろうと、間違っていようと、信長を本能寺でほふった事実は、取り返しがつかない。走り始めた以上、走り続けるしかないのだ。こんな弱い心でどうする。あの日の決意を、気持ちのたかぶりを思い出さなければ。光秀の耳にあの日の内蔵助の言葉が蘇った。
「今日より我らがお館さま、惟任日向守さまは天下さまになられる。みなみな悦びたまえ。天下さまじゃ、天下さまじゃ」
あの時から自分は走り始めた。ここは迷わず走り抜くしかないだろう、自分が生き延びるためには。

㉟光秀、妙心寺に帰還する。

妙心寺に帰りついた光秀を、筒井順慶の使者が待っていた。
光秀は直ぐに使者に会い、筒井順慶からの手紙に目を通した。手紙の内容は、信長公を討ち果たしたことは熟慮の上と拝察する。ついては、今夜中にも光秀どのの軍に加勢するために、合流するとのこと。この時点では光秀の軍は坂本を発って、下鳥羽に集合していた。光秀は、いの一番に呼応する返事をした筒井順慶に、何か褒美を取らせてもよいと思った。
光秀自身も夕方には下鳥羽に向かう予定だったので、順慶の使者には下鳥羽でお会いしようと告げた。筒井順慶の使者が辞去すると、入れ替わりに、丹後の細川藤孝からの使者が到着した。盟友の細川藤孝は諾の返事を寄越したに違いない。しかし光秀は細川の使者と会う前に、距離的に一番近く、最初に返事が来て当然の筈の高山右近からの返事が気になった。そのことを家臣に聞くと、使者はとっくに帰ってきている。
書状も確かに渡したが返事はもらえなかった。それどころか、高山右近自身に会うことも叶わなかった、と言った。光秀には何が起こったのか理解できなかった。つまり高山右近の返事は“NO”である。拒否である。何か理由があるのだろう。光秀の頭脳は右近がそんなことをするわけがないとの思い込みで一杯だった。
やがて、細川藤孝の使者が光秀の前に現れた。
「大儀」
光秀は殊更に機嫌よく使者を迎えた。
「で、使者どのの口上は」
「はい、しかしその前にこれをお受け取りください」
使者は懐紙に包まれた、細長いものを取り出した。これは何だろう。思いの外に重い。金属ではなさそうだ。おもむろに懐紙を開いた。包みの中から、びん付け油をたっぷりと吸い込んだ、根もとからバッサリと切られたまげが出てきた。
「うっ、これは・・・」
「主・細川藤孝は、信長公ご逝去を悼み、剃髪いたしました。名前も幽斎と改め、仏門に入りましたので、殺生は許されません。こたびの明智どのの召集にも応じかねるとのことです」
「藤孝殿が出家された・・・ではご子息の忠興殿(娘婿)は如何なされた」
「は、忠興殿も父君に倣って仏門に入られました」
「では家督はどうなさる」
「それはまだはっきりとしたことはわかりません。細川家の内も此度の事でひどく混乱しておりまして」
「要するに兵は出せぬということか」
「は、このような事情ですので、出兵の儀は平にご勘弁を」
使者は、平蜘蛛のようにひたすら平伏をした。
「わしはこのようなものを見たくて、書状をしたためたのではないぞ!早々に持って帰れ」
光秀は持っていた髷を、力一杯使者に投げつけた。
嘗て莫逆の友とした細川藤孝までが俺を見捨てた。光秀は自分が袋小路に入ってゆくのを感じた。何かが大きく違っている。どうしてなのかわからない。

余談ですが、細川藤孝は、光秀自身が思う程、光秀を買ってはいなかったのでしょう。少なくとも細川藤孝の最重要使命は、細川家に疵をつけずに存続させることだったのでしょうか。
それに比べたら、盟友・莫逆の友・嫁の実家などの存在価値は軽かったようです。
元々土岐氏の流れをくむとはいえ、光秀は一代で足利家の幕臣織田家の出頭人となった、云わば俄か幕臣です。足利累代の幕臣細川藤孝とは、身に付いた教養・立ち居振る舞いが違ったのでしょう。明智光秀もそれなりに有職故実を身に着けたようですが、そこは独学の悲しさで、やはり細川藤孝からしたら、こいつは解ったふりをしているだけの気持ちが腹の底にあったのかもしれません。しかも現実にはもともと自分の引きで出世の糸口をつかんだような光秀に、出世競争で追い抜かれてしまい、面白くない気持ちも作用したのではないかと推察されます。細川藤孝には機を見るのに敏な一面と、嘗ての主君・足利義昭が病死した際、責任を持って葬儀を出す等、筋を通す一面との両面が見受けられます。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

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