魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の弐

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大英博物館に展示された江戸時代のからくり人形。「茶坊主」ってこんな姿をしていたんでしょうか。ウィキメディア・コモンズより。
③光秀、饗応役を外される。

茶坊主に取り次ぎを頼んだのは、光秀のまかなかたの若者でした。彼は青い顔をして言いました。
「さきほど、上様が台所に見えまして、今夕の家康殿歓迎の宴会に馳走する予定の魚(鯛)の事で、まかながしらをかなりの勢いで叱り、惟任これとう日向守ひゅうがのかみ光秀)を呼んで参れとおっしゃいました」
それで慌てて光秀を探していたのでした。光秀は、兎に角台所に急ぐこととし、うわずった声で「急用ができた」と家康に別れの挨拶をしました。
台所に駆け込んだ光秀は、普段と変わりない様子に拍子抜けしますが、恐縮のていの賄い方責任者、弥市やいちに話を聞きました。
信長激怒の真相は、賄い頭の片付け忘れが原因です。用心の良い光秀は、もてなし用の魚を、堺と、少し遠い瀬戸内の二箇所から仕入れていたのでした(もてなしに使う鯛は一尾だけです)。光秀の指示どおりに、瀬戸内産の魚は捨てたはずでしたが、賄い方の迂闊なのか、単なる横着なのか、魚は台所棟の軒下に放置され、腐臭を放っていました。何時いつになく家康へのもてなしに意気込んでいる(喜んでいる?)信長は、その臭いを咎め、『お前は腐った魚を出すつもりか』『惟任の指図か、直ちに呼んで参れ』と立腹したわけです。
その後、今夜の宴会に出す魚を見て納得した信長が気を静めたと聞いた光秀は、心の底から安心しました。
夕刻から始まった宴会に、光秀は、紫の地に桔梗紋ききょうもんをあしらった直垂ひたたれ、頭には風折烏帽子かざおりえぼしをつけて、廊下に控えていました。正装です。
宴会は、家康と梅雪との上洛へのねぎらいの言葉、本領安堵の言葉とともに、順調に進み、信長もいつになく上機嫌で、盛り上がりました。
信長は皆に「そのまま宴会を続けよ」と言いおいて、中座して小姓に光秀を呼びにやらせ、小書院こじょいんに姿を消しました。そして光秀にあっさり告げます。
「接待の役、大儀であった。役を解く。明日にでも坂本へ帰れ」
光秀は驚いて顔を上げました。
「私に何か落ち度がありましたか?」
信長は答えず、中国戦線で毛利と戦っている秀吉の書状をポンと投げつけた。
「私は毛利攻めに出向く故、その方にも出兵を命じる。坂本に帰って戦仕度をせよ!」
かしこまりました。で、出発はいつ?」
「六月の一日。私は二日程遅れて進軍する。その方は先んじて秀吉と合流し、到着を待て」
「しかしながら、戦仕度は五日あれば充分でございます。何故接待の役を降ろされるのでしょうか?用意した魚のことで不調法ぶちょうほうがあったと聞き及んでおりますが」
「話はそれまでじゃ」
信長は立ち上がり、怒りのあまり蒼白となった顔で光秀を見下ろした。
「もうよい。下がれ!」
「は!」
信長の凄まじい殺気を感じた光秀は、転がるように書院を出ましたが、控えの間に移動しても胸の動悸は収まりませんでした。
家康への接待は、五月十五日から二十日にわたって行われたが、光秀は初日で降ろされました。
信長はまさか、光秀と家康が、いずれ共同謀議を図るとでも想定したのでしょうか。
ここで筆者が思うのは、信長と光秀とは人として相性が悪かったのではないかということです。光秀ほど信長に打ち据えられた家臣も珍しいのではないでしょうか。
信長よりやや年嵩の家臣の光秀は、常に正論を言い、落ち着いた挙措動作をします。主君の信長は、神出鬼没で常に動く人です。そして感情の起伏も激しく、家臣には恐怖政治を敷いています。信長は理屈抜きで光秀の落ち着いたたたずまいが癪に障って、「この訳知り顔の金柑きんかん頭が」等の言葉が口を衝いて出てきたのではないでしょうか。

④坂本への帰還

光秀は、五月十七日昼前に坂本城へ帰り、正室のおひろの方や家臣の明智左馬之助・斎藤内蔵助利三等の出迎えを受けます。家臣に中国戦線の仕度と日時を指示すると、二の丸で寛ぎかけたタイミングで、信長からの上使が来ます。
上使青山与三右衛門よそうえもんは、坂本城客殿で信長の書状を読み上げます。
『此度、惟任日向守儀、岩見、出雲をたもうものなり。丹波、丹後両国は、これ召し上げ候ものなり』
青山は、書状を裏返して、光秀に、差出人信長の文字と印とを確認させると、逃げるように帰ってゆきました。
光秀は混乱します。たまわるとはいえ出雲と岩見は攻略中で、平定しない限り、領国にはなりえません。そして、召し上げられる丹波・丹後はこの十年、自ら心血を注いで、丹念に国作りをしてきたところです。上様は、家臣や家族を抱えたこの私に死ねとの仰せなだろうか。他にも狙いがあるのだろうか?
その夜、光秀は、身体中に汗をかく嫌な夢を見ます。比叡山焼き討ちの際、自分も信長に生首にされ、延暦寺の僧侶たちと一緒に燃やされる夢です。逃げたくても胴体がありません。聞こえるのは信長の哄笑のみ。思わず恨み言を投げつけます。
そこでお煕に揺り起こされました。この時、遠くにぼんやりと見える比叡山が近づいてくる幻覚に陥りました。お煕が声を掛けます。
「あなた、大丈夫ですか?」
「ああ大丈夫だ。今日はどうかしている」
光秀は床を抜け出し、庭石に腰を掛けて、独り言をいいます。
「あの時もそうだった」
「あの時?」
思わずお煕も聞き返します。
比叡山の焼き討ちの時も信長公は、一人で決められた。私はやるだけだった。信長公は思い付きで動いているように見えて、何か月もしくは何年も前から計画して、行動している」
光秀が普段の様子でないなら、お煕も普段通りではなく、光秀の仕事に口を挟まずにはいられません。
「どうかなさいましたか?」
光秀は両手で顔を覆って言った。
「やっと分かった」
「何がお分かりになりましたか」
「お前は知らぬ方がいい」
お煕は素直に頷きました。
「私は一両日城を空ける。誰にも知られてはならない。尋ねる者があれば、病気だと追い返せ!」
「はい!」
光秀は頭を抱え、
「なんということを・・・」
と、何かに取り憑かれたかのように、繰り返し呟いた。
翌朝、光秀は京都に向けて馬を疾駆させます。坂本から京都までの近道、比叡山の急峻な坂道を駆け上がり、駆け下りる道を選びます。(続く)

 

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

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