魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

再読・伊東眞夏『ざわめく竹の森』其の十三

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落合芳幾画「平蜘蛛を割る松永久秀」。この姿は人間ではありませんね。ウィキメディア・コモンズより。

⑲六月二日:妙心寺

妙心寺に到着した光秀は、静かに信長公遺体発見の知らせを待った。
信長の遺体と首級が無ければ、光秀は反逆者と認定される。何が何でも探し出さなければならない。それはその後の天下を掌握するためには必要不可欠なものなのだ。
しかし、その知らせは遂に届かなかった。

テレビや映画などでは、燃え行く本能寺から脱出せず、“是非に及ばず”と言って幸若舞こうわかまいを舞いながら炎にのみ込まれる場面がよく見られるようですが、著者の伊東眞夏はここで、通常では考えられない信長の遺体消滅を想像します。それにはどの様な方法があり得ただろうか?
可能性の一つとして、信長爆死を考える。以前、戦国時代の梟雄きょうゆう松永久秀が信長に対して使った手法である。“平蜘蛛の釜”をめぐって、信長軍の目の前で、当てつけのように爆死しているから、当然細かな報告は信長に上げられたであろう。
死の寸前に大量の火薬に点火すれば全て跡形もなくなる。信長ならその程度の火薬を準備することは造作もなかっただろう。信長は爆死の方法を熟知していたと思われる。二条御所の信忠の遺体は火薬の量が少なかったのか爆死未遂で発見されている。信忠の爆死は未遂に終わったが、爆破しようと試みた痕跡がある。このことは、有事の際は爆死すべしとの申し合わせが信長・信忠父子の間で成立していたのではないか。だから明智軍の必死の捜索にもかかわらず、信長の遺体は消失し、遂に発見されなかったのではないか。
本能寺が一時、通常の火事では考えられない火の勢いに包まれたのも、謎が解ける。火災も爆破によって起きたと推定される。そもそも夜陰に紛れて行軍し、打倒信長を旨とする明智軍は、本能寺に火をつける必要は無く、武器を使って信長主従を討ちとればよいだけの、至ってシンプルな事案だったのだ。はやる気持ちは兎も角、何も放火するまでには及ばなかったろう。

光秀としては、信長の遺体が発見できなかったことは手痛いが、そこにばかりかかずらわってはいられなかった。
信長を討った以上、やらなければならないことが、山ほどあるのだ。
その一つが、正親町天皇への上奏文を書き上げることです。その主旨は信長を討つのは正義であるという言い訳でした。
これに駆り出されたのが妙心寺の役僧だった。日頃の落ち着いた佇まいとはまるで別人のように血走った眼をして、興奮冷めやらぬ態の光秀(頭がクールダウンしていない状態)に口述筆記を命じられた妙心寺の練達の役僧もさぞかし困惑したことでしょう。
かくして出来上がった上奏文は、全くもって焦点のボケた、精度の低い出来映えとなってしまった。ちなみに内容は、先ず信長の悪行をくどくどと述べる。次に光秀の出自の良さをこれでもかと書く。つまり明智家は代々朝廷に仕える家柄で、天皇を守るのは自分の責務と言いたかったのだろうが、読むと只々己の血筋自慢をしているのみで、そこから更に血筋の良さが正義に通じ、自分は正義を行なったとの独り善がりの残念な文章になってしまった。
これならば、いっそ形だけの上奏文のほうがましだったかと思われる。
光秀は、思い込んでいたのであろう、近衛前久の助力(?)もあり、自分の真意は正親町天皇の周囲には認識されているだろう。言葉で足りないところは彼らが補ってくれるだろう。また今度の変事を歓迎する雰囲気は朝廷内に整っているだろう。
光秀には、日本史に連綿と打ち続く朝廷独自の生き残り策を警戒している余裕はなかった。朝廷は自分に応えてくれるはずだと信じて疑いませんでした。

上奏文を書き終えた光秀が次にしたことは、毛利家と、越前に檄文を書き送ることだった。
光秀の目論見は、信長を倒した自分が檄文を送れば、毛利を始め、織田家と敵対関係にある陣営は、一も二もなく、自分に呼応するだろうと思い込んでいた。なので、自分は何の為に信長を討ったのかの説明は一切省いていた。
光秀の檄文は、只自分は信長を倒したの一点のみに触れていた。つまり自分がお前たちの窮地を救ってやったんだと言わんばかりの内容でした。
少なくとも光秀は、檄文の内容はこれで充分だと思っていた。

上奏文と檄文が出来上がると、光秀は見直しもせず、さっさと軍の移動の手配をし始めた。
京の周辺には最低限の守備兵を配置し、主力は安土城にむけて移動を開始した。
結果、六月二日午後四時頃の京都には、明智軍の兵士は殆ど残っていなかった。

結果的には、この論点の整理されていない上奏文と、一方的な檄文とが後の光秀を抜き差しならぬ状況に追い込むことになるのですが、高揚感と焦燥感に駆られる光秀がそれに気が付く余裕はなかったもののようです。(続く)

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―

ざわめく竹の森 ―明智光秀の最期―