魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)ボードレール「うつ(Spleen)」

リアンダー・ラス(Leander Russ)「ピラミッドにて」。ウィキメディア・コモンズより。

うつ:雨降り月はこの街の…(Spleen : Pluviôse irrité…)*1

1682年、ノートルダム大聖堂のブルドン「エマニュエル」の洗礼式の際のVIP席の配置図。ウィキメディア・コモンズより。

雨降り月プリュヴィオーズはこの街のあらゆるものに腹を立て
近隣の墓場に眠る亡者もうじゃらに 闇の冷気を
霧深き郊外に住む生者しょうじゃらに 死の運命を
ひっくり返したバケツから洪水にしてぶちまける

わが愛猫あいびょうは床石の上に寝藁ねわらを求めつつ
疥癬かいせんを病む がりがりに痩せた体をふるわせる
年老いた詩人の霊は 寒がりの死人の霊の
悲しげな声音こわねとともに 雨樋あまどいの中をさまよう

陰気な音で鳴る大鐘ブルドン くすぶまき歌声ぱちぱち
お風邪を召した柱時計ちくたくの伴奏による超高音ファルセット
全身がむくんで死んだ婆さんが遺してくれた

たまらない匂いの染みたトランプの面子メンツの中に
スペードの女王陛下とハンサムなハートのジャック
今は亡き恋を悔やんで 物騒な会話を交わす

うつ:千歳だった場合よりも…(Spleen : J’ai plus de souvenirs…)*2

フランソワ・ブーシェ「ポンパドゥール夫人の肖像」。スコットランド国立美術館蔵。ブーシェの人気は死後凋落し、19世紀に入ると大作でさえ捨て値で売買されたという。ウィキメディア・コモンズより。

千歳だった場合よりも多くの思い出が わたくしにはある

引き出しにしまったものは数枚のバランスシート
韻文も恋の手紙も恋歌ロマンスも訴訟書類も
レシートにそっと包んだ艶やかな女の髪も
何もかも放り込まれた大型のキャビネットとて
わたくしの頭脳以上の秘めごとを隠していない
それは一つのピラミッド 一つの地下神殿で
一集落の共同墓地よりも多くの死者を収容している
――わたくしはお月様にも疎まれた一つの墓場
痛恨の化身のごとく 細長い虫が這いずり
今は亡き恋人たちを今もなお蝕んでいる
わたくしは干からびた薔薇の花びらだらけの寝室
流行遅れの服が山と積まれ
悲しげなパステル描きと色あせたブーシェの絵とが
気の抜けた香水瓶の残り香を ぼつねんと嗅ぐ

何よりも長々しきは既に蹉跎さだたるわが人生
春を待つ年また年の 降りつのる雪に埋もれて
倦怠アンニュイという名の果実 厭世の無味な果実は
神さびた不朽不滅の様相をまとうに到る
生きている一物質よ この日より お前はもはや
朦朧たるサハラ砂漠の奥深くまどろんでいる
謎めいた ただ一塊の花崗岩たるに過ぎない
軽薄な世には無視され 地図からも忘れ去られて
激越なその性分は 残照を浴びた時だけ
歌うたう前世の遺物 スフィンクスたるに過ぎない


ノートルダム大聖堂の火災後一年の節目に打ち鳴らされる、焼け残った南塔のブルドン「エマニュエル」。電気が使えないため、手動で鳴らされた。これらの鐘を電動で鳴らす装置の配線からの出火が火災の原因とする説もある。

*1:悪の華』初版59。原文はこちら

*2:悪の華』初版60。原文はこちら