一天一笑さんによる霧島兵庫の小説『静かなる太陽』の紹介記事、第二回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。
杉山書記官、惨殺される。
北京駐在の各国公使の要請により、日本は砲艦「愛宕」から将兵25名を派兵しますが、まだまだ足りません。巡洋艦「笠置」からも75名が派兵される予定だったが、鉄道が不通となり、事実上増員は不可能な状況です。陸軍参謀部の福島安正は今後の任務を推定した。北京在留邦人83名の保護や、清国正規軍との武力衝突等、振れ幅の大きい任務が自分を待っていると覚悟した。ロンドン・タイムズの特派員で、「戦争屋」の異名を持つ強面のジョージ・モリソンは、すでに滅びたサムライ階級の出身で、「革命」(明治維新)で抵抗勢力とされ、滅ぼされた会津藩出身でもある柴五郎中佐に注目します(何か面白い記事が書けるネタになるかも)。
東交民を守る為、天津から北京へと向かった英国東洋艦隊司令官シーモア率いる一隊の出迎え役に、日本公使館から杉山書記官が、安藤大尉と水兵7名に護衛されて馬家堡駅に出向いたが、シーモア隊は現れず、無駄骨に終わった。鉄道も電信も使えない。
西公使は翌日、もう一度杉山書記官に出迎えを命じた。午後、正装した杉山書記官は、護衛も付けず、馬車に乗った。北京の城内外の境界となる永定門の門番の制止(門の外は身の安全が保障できない)にもかかわらず、馬車を走らせた。結果、清国正規軍董福样の部下に惨殺されてしまう。青筋を立てた西公使は、清国政府信ずるに足らずと楢原書記官を通じて正式に抗議をする。モリソンはすかさずメモをとると同時に、会津生まれの帝大教授の服部に会津の苦難の道のりのレクチャーを依頼する。日本公使館として確定したことは、陸戦隊と素人とで編成された義勇隊で邦人83名を守らなければならないということだった。これをきっかけに柴五郎は、有事に備えて、六条湖同の武官官舎を引き払い、日本公使館で寝起きするようになった。
杉山書記官の死亡が確認された夕刻から、日本を含めた各国は即席の防御工事をすることになった。馬車を倒してバリケードを設置し、敷石をはがし、或いは土嚢を積んで、東交民の中央通りを封鎖する。義勇隊の取り敢えずの武器の準備をする。銃の入荷は望めないので、今ある猟銃で間に合わせ、大至急、長槍二十本を鍛冶屋に打たせて義勇隊に支給した。軍医の中川医師の指導により臨時診療所を設けた。陸戦隊本部に天幕を張り、臨時司令部とした。
柴五郎は、原大尉と共に、粛親府を中心に設けた4個の哨所を点検して回る途中、柴を含めて4人しかいない(交代要員のいない)日本人将校の健康管理は難しく、長期戦になればなるほど、公使館の防御は困難を極めるだろうと予測せざるを得なかった。
飲料水の確保については、ゼンジ府の中にある古井戸(日本公使館の隣・スペイン公使館の裏手)の水を活用すべく、水質検査と、毒などを投げ込まれるのを防止するために、見張りをたてる手配をした。出来る限りのことはした。
柴五郎が、籠城戦になる場合の準備の点検に忙殺されている間に、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
先ず、偵察目的をもって、馬車で公使館通りを通り抜けようとした義和団の一味を、散歩中だったドイツのケテラー公使がステッキで散々に打ちのめした。白人至上主義者のケテラー公使は、腹の虫が収まらず、まだ一味を打ち据えているという。
同日夕刻、銃声がし、火の手が上がった。前日まで柴五郎が宿泊していた武官官舎が焼き討ちされたのだ。(続く)