魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「影(Shadow — A Parable)」

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「影――ある寓話」。Michael Grant Kellermeyerさんがdeviantart.comに投稿した画像。元画像はこちら

「おうち時間」はこういうものを読んで、ゾッとしながら過ごすとよいでしょう。原文はこちら。(2021年5月)


「たとひわれ影の谷間を歩むとも」――ダビデのうた*1

これを読んでいるあなたたちはまだ生きている。だがこれを書いている私はうの昔にこの世からいなくなっていることだろう。なぜならこの覚え書きが人の目に触れるまでに、多くの時が流れ、多くの奇跡が起きて、多くの秘密が暴かれているだろうからだ。そうしてこれを読む時、信じない人もいるだろう。疑う人もいるだろう。しかし少数の人々はここに鉄の筆もて刻まれし文字に多くの熟考すべき事柄を見出すだろう。
その年は恐怖の年であり、恐怖よりももっと烈しい、まだ誰も名づけたことのない感情の年であった。なぜなら幾多の怪現象や暗示サインが世に現れ、感染症は国をまたぎ、海を越えて広がっていた。とはいえ星に明るい人間は天が凶兆を示していることを把握しており、中でもこの私、「単一オイノス」という名のギリシャ人は、惑星ユピテル牡羊座アリエスの入口で、恐ろしいサチュルヌスの紅い環とつながるあの七百九十四年目の変動が到来したことを熟知していた。天空におけるこの特異な気運は、私の錯覚でなければ、単に地上の物体のみならず、人々の気分や、想像や、思考にも影響をおよぼしていた。
私たち七人の仲間は、その夜、プトレマイスという暗い街のとある大会堂ホールの一室で、キオス島産の赤ワインを酌み交わしていた。その部屋のたった一つの出入口には真鍮製の大きなドアが付いており、それは名匠コリンノスの手になる、意匠を凝らしたもので、内側から閉め切られていた。その陰気な部屋の黒い窓掛けドレーパリーもまた閉ざされ、月や、妖しい光を放つ星や、誰もいない街路を見えなくしていたが――災いの記憶や予感は同じようにして閉め出すことができなかった。明快な説明を受けつけないもろもろの事物が私たちを取り巻いていた。物的マテリアルなものや霊的スピリチュアルなもの――重苦しい雰囲気――息が詰まる感じ――不安――とりわけ神経質な人々が、思考力は鈍っていながら、感覚だけが鋭敏に研ぎ澄まされている時に経験するあの恐るべき状態がそこにはあった。何か重たいものがのしかかっていた。それは私たちの手足にも、室内の家具にも、美酒が注がれたゴブレットにものしかかっていた。そうして一切に負荷がかかり、重みに打ちひしがれている中で、私たちの歓楽を上から照らしている七つの鉄製のランプの炎だけが別だった。ほっそりとしたからだを直立させたまま、蒼ざめた炎は動かなかった。そうしてその光によって、私たちが着席している黒檀の円卓のおもてにできた鏡の中に、私たちはそれぞれみずからの血の気のない顔を映し、仲間の下を向いた目の不安な輝きを見た。それでも私たちはげらげら笑って、いつものようにヒステリックにはしゃぎ、アナクレオンの色情狂的な恋の歌をうたいながら、赤ワインの色が血を想わせたにもかかわらず、飲んだくれていた。というのはその席にはもう一人の客がいて、それは若いゾイラスだった。彼は死んでいて、埋葬される身支度を済ませた状態で大の字に寝そべっており、彼はこの場の善神ジーニアスであると同時に悪神デーモンだった。彼は私たちの宴には加わらなかったものの、苦痛にゆがんだその顔と、死が半分しか消し止めてくれなかった病苦の炎がまだ燃えているその目とで、すでに死んだ人間がこれから死ぬ人間のどんちゃん騒ぎに対して示すかも知れない興味を示しているかのように思われた。だがこの私、「単一オイノス」という名の者は、死者の視線がみずからに注がれているのを知っていながら 、その物凄い形相から強いて目をそらして、ただ黒檀の鏡の中をのぞき込み、テイオスの子の歌を大声で歌い続けた。だが私の歌声は次第に止んで、その余韻は黒い窓掛けドレーパリーのかげにおとろえ、やがて途絶えた。すると私の歌声が消えたその窓掛けドレーパリーのかげから一つの淡い影が現れ、それは空に低くかかった月が、人の姿を照らした際に出来るかも知れない影に似ていた。しかしそれは人の影でも神の影でもなく、私たちに見覚えのある何者の影でもなかった。それはしばらく窓掛けドレーパリーのかげでふるえていたが、やがて真鍮製のドアのおもてに移り、誰からも見える位置に来た。だがその姿は形を成さず、人間の影どころか――ギリシャの神の影でも、カルデアの神の影でも、エジプトの神の影でもなかった。そうして影は真鍮製のドアのおもて、弓なりの上部装飾エンタブラチュアの下にいて、何もせず、何も言わず、そこに静止し、定着した。また私の記憶に間違いがなければ、その真鍮製のドアと向かい合わせの位置に、死んだゾイラスの足があった。だが私たちはこれが窓掛けドレーパリーのかげから現れたのを横目で見ていながら、怖くて正視できず、下を向いたまま、ただ黒檀の鏡の中を見つめていた。そうして遂にこの私、「単一オイノス」という名の者は、影に低い声で語りかけ、「あなたは誰。住所はどこ」とたずねた。そうして「私はシャドウ。私の住所はこの街の共同墓地カタコンベの近く、不潔な三途カロンの川に面した安息の地ヘルシオの暗い野原のあたりです」とその影が答えた時、私たち七人はことごとく蒼ざめて椅子を離れ、身をふるわせながら立ち尽くした。なぜならその声の調子トーンは一つの声の調子トーンではなく、複数の声の調子トーンで、それが一音節シラブルごとに数珠つなぎとなり、すべて私たちがうしなった多くの大切な人たちの忘れ得ぬ、懐かしい口調アクセントとなって耳に響いたからである。

 

*1:旧約聖書詩篇23:4。ポーの詩「エルドラド(Eldorado)」参照。