入院時の体験で新たにした認識
日夏耿之介は、確かどこかに「人は自分の詩を病的だと評するが、病気そのものだと言ってもらいたい」というようなことを書いていたと記憶します。確かに彼は生来病弱だった由、たとえば第二詩集『黒衣聖母』の序文にもくどくどと書いてありますね。いわく、
…この心の逆境は多く性格の退嬰性と肉身の羸弱とから発した。生来病弱を極めし体力は十歳の頃より生理的に頭脳の頽廃を招き、二十六七歳頃まで不断の眩暈と稀れに来る卒倒との連続を結果し、更に、五年前よりのアストマは完く自分の肉体的独立性を奪ひ、心性如何に湧躍するも猛烈な病痾に一切の健康を奪はれた人間が如何に力無きものであるかを染み染み味ははせられた、云々。
それでは彼の詩の全部が全部、彼の持病による特異な体験の所産かと言えば、とんでもない話で、また触れる機会もあろうかとは思いますが、彼の第一詩集『転身の頌』を繙きますと、確かに「病気そのもの」のような詩もある反面、結構世俗的&官能的悦楽に耽溺する姿勢も見受けられる。実際、病苦の体験などというものは、基本的には同じ苦痛を経験した者同士でしかシェアできないものですから、その記録自体はたとえ貴重なものだとしても、これを万人の胸を打つ形態、たとえば文学作品の形にして発表するには、また格別の才能と努力が必要だろうということは、容易に想像がつくところです。
ところで私は先日、入院中にある体験をして、その結果、日夏のある詩をあらためて「凄い」と評価しなおす機会がありました。といっても別に変わった経験をしたわけではなく、ただ手術後、原因不明の頭痛に悩まされたのです。私はもともと「頭痛持ち」ではなく、それどころか若い頃は「頭痛」と「肩こり」は自分とは無縁だと思っていたほどですが、今回、全身麻酔が解けてからのこの頭痛の激しさはまったく初めての経験で、念のためにと撮影された頭部CTの結果も異常なく、まあそのうち治るでしょうということで、頭痛薬(アセトアミノフェン)を与えられましたが、薬が効いている間はいいのですが、効き目はすぐに切れ、次の服用の時間まで我慢するのが大変で、しかもこれが三日三晩続きましたので、大袈裟なようですが、私にとっては地獄の苦しみでした。それで結局どうなったかと言うと、見るに見かねた主治医の先生がロキソニンという薬を下さり、それを飲んだらぐっすり眠れて、それ以来、頭痛は嘘のように収まってしまいました。原因は睡眠不足だったのでしょうか?
そしてこの激しい頭痛の影響下にあった三日三晩のうちに、私の脳裏に浮かび、あらためて「凄い詩だ」と感心しなおした詩、それが以下に掲げる日夏耿之介の「青面美童」です。
「青面美童」(全文)
それでは日夏耿之介の第二詩集『黒衣聖母』(1921年)第一章「煉金秘儀」より、古典的名作「青面美童」の全文を引用します。こちらの記事でも触れた通り、日夏の作品の著作権はまだ生きているので、著作権者に無断で全文を引用するのは厳密には違法ですが、著作権が切れるまで待っていてはこちらの寿命が持ちませんので、ここは大目に見ていただきたいと思います。テキストは新潮文庫版をもとに、今の若い読者が取っつきやすいよう、旧字体を新字体に置き換えたり、振り仮名を補ったりしております。
青面美童
Ⅰ
夜となれば……
仄ぐらい書斎に この軀 臥しよこたへ
『貴い妄語』に倦みなやむ
己が頭脳を癒そうとのみ
眼瞼かろく閉ぢてあれば
銀光の灯 ぽつとうす昏みて
陰影のごとく 災殃のごとく 礫のごとく
青面の美童 角笛を吹き
古像のやうにあらはれる
Ⅱ
その夜の霄は
星辰を鏤め
濛濛と香霧を降らし
艸木うれしみ夜気を吐くのに
人間ひとり その家居もただ冥冥と愁ひ臥し
晩禱の聖鐘はやく
語尾を慄き
南方はるか落ち延びたころほひをば
青面美童
陰影のごとく 災殃のごとく 礫のごとく
踊り狂ふ 角笛を吹く 踏歌する
Ⅲ
夜は夜もすがら……
莨を燻り
黄金の靸ふかぶかと穿ちまとひ
黒き帯しめ
朱珊瑚の馬鞭を振ひ
わが大脳の皺襞を亂り鼓ち
角笛を吹き また咳して
陰影のごとく 災殃のごとく 礫のごとく
悠然と 従容と 高歩する
Ⅳ
月あかい宵は
青い寛袍に水銀の雫したたり
襞襀をすべつて黟い床に煌とくだく
心寂しい雨の夜も
黄絹かろく身に纏ひ
陰影のごとく 災殃のごとく 礫のごとく
青面美童
わが皺襞の扉口に彳つ
Ⅴ
心善き腐儒 われ
銀の洋燈のとぼる
黟い槲の大卓に軀を凭れて
肉つかれ心悩み
苛毒を受けた病者のやうに身悶えすれば
いづくともなく
粛然と歩み出で 青面美童
鋭い角笛の声 嚠喨と吹き鳴らす
小ぐらい密房の――その姿は
陰影のごとく 災殃のごとく 礫のごとく
「ゴシック・ローマン詩体」における「設定」
私は注釈家という柄ではありません。ただ日夏の詩に馴染みのない読者の参考になればと思い、幾つか気が付いた点を述べるだけです。
さて、この作品はいわゆる「ゴシック・ローマン詩体」の一典型と言っていいものですが、この「ゴシック・ローマン詩体」にはある種のパターンというか、設定上のルールのようなものがあります。試みに列挙してみますと、
②語り手は、多くの場合、夜の密室の中に、独りでいる。
③語り手は学者あるいは僧侶で、形而上学あるいは神学といった、およそ時代遅れの研究に没頭している。
④語り手は、多くの場合、大変苦悩しているが、それは現世的な「煩悩」(恋愛や金銭問題など)とはかけ離れた苦悩である。あるいはさような「煩悩」を嫌悪し、さようなものから遠く離れた場所に身を置きたいという願望そのものに悩み苦しんでいるという風にも見受けられる。
読者は「青面美童」の第一節において、これらの設定が、特に説明的になることなく、実に手際よく展開されていることを理解されるでしょう。ちなみに「災殃」という言葉は、一般には「禍津日」の字を当てます。もとは記紀や祝詞に見える非常に古い日本語で、ここでは「不慮の災難」というほどの意味ですが、これは「妖言」などと同様、日夏の愛用語の一つで、ポーの「大鴉」の訳詩にも、
その人、惨たる災殃うち重なり、云々。
などと用いられています。このように死語に新しい生命を吹き込む技術は、日夏耿之介のもっとも得意とするところです。
不滅の美を誇る第二節と、主題が明らかになる第三節
第二節は極めて美しい詩句がいっぱい詰まっています。特に第六行から第八行、
晩禱の聖鐘はやく
語尾を慄き
南方はるか落ち延びたころほひをば…
の三行は、日夏が遺した詩行の中でもっとも美しいものに数えられます。
第二節の最後の行に「踏歌」 という言葉が出てきますね。これは李白の「汪倫に贈る」と題された有名な七言絶句に見える言葉です。この一語が実に正確な位置に配されていることをご確認下さい。
そして第三節第六行。この「真っ青な顔をした、いたずら好きの、見も知らぬ美少年が、真っ赤な鞭で私の脳を乱打する」という表現にまでたどりつくに到って、初めて読者はこの詩が頭痛の苦しみを歌ったものであることに気づき、その着想の絶妙さに(今風に言えば)鳥肌が立つ、というわけです。第四節の最終行、この小悪魔が、
わが皺襞の扉口に彳つ…
という言い回し(「彳」は「たたずむ」「たちどまる」という意味の漢字)も、あの頭痛が本格的に襲ってくる直前の「今にも頭が痛くなりそう」な感覚を、リアルに表現したものであることは、おそらく頭痛持ちの方々には納得していただけることと思います。
強烈な印象を残す第五節
第五節第一行。この「腐儒」という言葉も日夏の好きな言葉で、一般には「頭でっかち」な人というか、知識はあるが、屁理屈ばかりこねていて、行動力が欠如している学者のことを言うようですが、日夏の用法は少しニュアンスが違っていて、たとえばのちの「薄志弱行ノ歌」(第四詩集『咒文』所収)に出てくるような、世間からは相手にされない「幻視者」の類を指すものの如くです。
第八行。「嚠喨」という言葉は、角笛の澄み切った甲高い「音」をポジティヴに修飾した言葉ですが、この聴覚的形容が、そのまま頭痛の激烈さの適切な比喩となっている点にご注目下さい。この力強い語をクライマックスに持ってくることで、宿痾の圧倒的な苦痛を前にした語り手の絶望がなまなましく、しかも美しく表現されています。
最後に、この第五節の第五行、
苛毒を受けた病者のやうに身悶えすれば…
には、いささか個人的な思い入れがあります。
イギリスのロックバンド、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の7枚目のアルバム『プレゼンス(Presence)』の1曲目「アキレス最後の戦い(Achilles Last Stand)」は、今日では「クラシック・ロック」に分類すべき名曲とされておりますが、この曲の3分42秒ごろから5分15秒ごろにかけての約1分30秒におよぶギターソロは、私の耳には音楽というよりも、心身を深く傷つけられ、立ち直ろうとして立ち直れず、まさに「苛毒を受けた病者のように」七転八倒している一つの肉塊の克明な描写だ、という気が、いつもしたものです。突飛な比較だと思われる方は、リンクを貼っておきますので、実際に音を聴いてみられることをおすすめします。
起ち 坐り 歩み出て また仆れ…
――日夏耿之介「密房沙門」(第三詩集『黄眠帖』所収)
以上、「青面美童」を鑑賞される上で、参考にしていただければ幸いです。