魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

アレクサンダー・ポープ訳「サッフォーよりファオンへ」

言いなさい 美貌の少年よ(第1行~第80行)

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クリムト作「サッフォーとクレイス」。ウィキメディア・コモンズより。

言いなさい 美貌の少年よ ファオンなら言ってくれるはず
「誰がサッフォーの筆跡を見忘れることがあろうか」と
それともここに わたくしは 名を記さねばならないか
愛と一緒に記憶さえ 君は失くしてしまったか
ここに哀歌の形式を選ぶ理由を問うなかれ
今はリュートとリリックに 胸はずませる時でない
恋は わたくしをいつもより つらい調べで嘆かせる
わたくしの声は 恋ゆえに エレジー向きに枯れたのだ
ほら わたくしは燃えている たとえば 風にあおられて
小麦畑が一面の炎の海と化すように
燃ゆるエトナの彼方へと ファオンよ 君が去ってから
エトナにまさる猛炎が このわたくしを焼いている
音楽をそぞろに奏で 慰めを求めても駄目
音楽は 心に傷のない者を 慰めるだけ
ただ一人 自然を愛でるひとときも 今は色あせ
恋が邪魔して わたくしは怏々おうおうとして楽しまぬ
レスボスの貴婦人たちも 今はわたくしを惑わさぬ
わたくしが かつて道ならぬ思いを寄せた 彼女らも
すべての愛は ファオンへの愛を残して消え失せた
おお心ない若者よ せめて憐れめ 忘恩の徒よ
その早咲きの美しさ そのすばらしい体つき
その涼しげなまなざしに 心乱れぬ者はない
ハープと弓を フィーバスのごとく その手に取るならば
ファオンは さらに美しいフィーバスと化すことだろう
流れるようなその髪を 蔓草つるくさで留め飾るなら
バッカスでさえ ファオンには とても勝ち目がないだろう
ただフィーバスもバッカスも 切ない恋を知っていた
神も ダフネや クリータの女に心奪われた
容姿にかけては 神々も 君にはかなわないように
かの美女たちも 詩歌では なおわたくしの敵でない
優しさの極みの歌を わたくしに ミューズは教え
ために世界は わたくしを讃える声に満ちている
偉大なるアルカイオスは わたくしよりも気宇壮大
琴線を強く鳴らして 感激を歌うけれども
ヴィーナスの手ほどきにより ヴィーナスの恩寵を得て
花咲いたわが歌草は 優るとも劣りはしない
わたくしはあまり美しい女ではない その代わり
わたくしは より長命な 詩文の才に恵まれた
身長は子ども並みでも 詩人サッフォーの名声は
天まで届き 広大な地の果てまでも及ぶのだ
色も黒いが その昔 ペルセウスとの熱愛で
名を馳せたのは エチオピア産の美女ではなかったか
色の異なる鳩と鳩 亀と亀とが結ばれる
白い真珠が 黒玉とセットにされる例もある
それとも 君に劣らない美貌を持っていなければ
どんなに君を愛しても 報われないとするならば
どんな美人も美男子も 空しく胸を焦がすだけ
君を愛して 君からも愛されるのは 君だけだ
とは言え 君はわたくしを 愛してくれたことがある
君のすべてのよろこびは わが抱擁のうちにあり
そんな当時の思い出は その数尽きることがない
恋する者は 限りない記憶を貯めているものだ
そのころ 君は音楽を 寝てもさめても楽しめた
わたくしの声は ことごとく 君の耳には音楽で
そうして君は口づけで わたくしの歌の邪魔をした
わたくしのこのくちびるは 歌よりもなお甘かった
とりわけ 君はわたくしの 大事なものが好きだった
一番大事だったもの それは最後のお楽しみ
君は言葉やまなざしや 肌の色づくありさまを
楽しみながら 飽き足らず なおも求めたものだった
そうして夢を見るように 時は流れて ぐったりと
よろこびのあまり 燃え尽きたからだを 二人よこたえた
今ごろ 君はシシリアの女性を 愛でているだろう
出来ることなら わたくしも シシリアに生まれたかった
とは言え シシリアの美女たちよ うぬぼれるのもほどほどに
彼の心は旅人だ わたくしもまた捨てられた
甘い言葉を浴びたとて 溺れぬようにするがいい
そはサッフォーにささやいた口説き文句と心得よ
しかしておん身 シシリアをよみする 愛の女神さま
憐れみたまえ ヴィーナスよ 愛の詩人の苦しみを
また傷口をひらかせる この哀愁の主旋律
くりかえし くりかえし 打ち寄せる 悲しみの波
わたくしは 遠い昔から 不幸せには慣れていた
父の遺骨に泣いたのは いまだ幼いころだった
次には 兄が名を落とし 全財産を失って
世にも恥ずべき行ないで みずからの身を滅ぼした
そうして今は わがむすめ わが幼な子の容態に
ごく平凡な母として 胸を痛める日が続く
とは言え どんな運命も 君が浴びせた仕打ちほど
苛酷ではない おおわが人生の 最後にして最大の不幸よ

パープルのワンピースは もはや(第81行~第178行)

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シャルル・メンギン作「サッフォー」。ウィキメディア・コモンズより。

パープルのワンピースは もはやこの身を包まない
ダイヤモンドが 燦然と 指に輝くこともない
わが丈長たけながの巻き髪が アラビア産の香水の
世に珍しい花のを 夜風に放つこともない
金糸で編んだ組み紐が 髪をまとめることもない
く気もしない乱れ髪 風になびいているばかり
誰のためとて身を飾る 誰の心を惹くために
ファオンはいない 誰よりも魅せたい君は もういない
ほんのふとしたきっかけに 揺れてときめくこの心
深きいわれもないままに 恋のとりこと成り果てる
運命により わたくしは 世に生まれ出たその日から
世に在る限り ヴィーナスの奴隷と定められたのか
歌詠みとして 繊細な抒情を心がけるうち
われみずからの感性も 繊細の度を増したのか
こんなわたくしならずとも 君の美貌を前にして
誰が平気でいられよう 誰が正気を保てよう
「夜明け」の神は ケパロスを捨てて ファオンを愛でたろう
恋の想いが 薔薇色に 東の空を染めたろう
君の寝顔に魅せられた 節操のないシンシアは
エンディミオンに 夜もすがら 羊の番をさせたろう
天のお城へ ヴィーナスが 君を引きずり込んだなら
そのご亭主も いやらしい目つきで 君を見ただろう
おお 大人でも子どもでもない年ごろよ
恋を恋とも知らぬ季節よ
青春の華よ 血筋の栄光よ
この腕に抱かれて 熱い抱擁で溶けておしまい
忘れられても わたくしが 君を忘れることはない
「愛して」なんて言いません ただ愛されてほしいだけ
ごらんなさいな わたくしの文字が 涙で消えてゆく
意識は薄れ 目はかすみ 恋しさだけが身を焦がす
せめて最後に欲しかった 別れを惜しむ一言が
たとえ嘘でもかまわない それはたやすいことのはず
愛する人よ さようなら」そんな言葉が欲しかった
もっと冷たく「レスボスの女よ さらば」それもいい
涙もなければ別れの口づけもなく
わたくしがどんなにやりきれない思いをするか 知りもせずに
君は形見の品ひとつ 受け取ってくれるどころか
この不条理と不幸とのすべてが 君の置き土産
今さら何も言いません 今のわたしに言えるのは
たったこれだけ「わたくしを忘れ給うな 元気で」と
今わたくしは 崇むべき九柱くはしらの神 さてはまた
君にかしずく愛の神 その名にかけて申します
あの時 あれは誰でした 誰かは思い出せないが
わたくしに告げた「お姉さま ファオンが島を去りました」
わたくしはただ彫像のごとく 静かにたたずんでいた
悲しみのあまり 血は凍り 胸は鼓動を打ち止めた
溜息も出ず 一粒の涙も頬を伝わらず
不感無覚の状態で ただ呆然と突っ立っていた
しかしひとたび激情が点火されるや わたくしは
わが髪の毛をかきむしり 胸をたたいて悲しんだ
わめきちらして 涙して 呪って そして哀訴して
時に雄々しく憤り 時に女々しく泣き崩れ
それは 初めて産んだ子の葬式の日の母親が
焼き場で見せる乱心のていより もっとひどかった
よろこんだのは兄だった ほくそえみつつ現れて
わが悲しみに勝ち誇り わが心痛を侮辱した
その悪相は今もなお わが目の前を行き来して
あざけって言う「何を泣く 娘は息をしているぞ」
恋に敗れて 絶望に心乱れたわたくしは
みずから服をひきちぎり 胸をあらわに見せながら
妹たちの目の前で 君をののしり 悲しんだ
それほど 愛とはじらいは そりの合わないものなのだ
君はわが憂いのすべて わがよろこびのすべてだった
君を思って日は暮れて 君を夢みて夜は明けた
夜は楽しい 燦々と照る日ざしより心地よい
いるはずのない人間が 夜はふたたびそばにいる
夢ならではの優しさと美しさとに飾られて
そしてこの身はもう一度 裏切り者を抱きしめる
このふしだらな両腕を 君のうなじに巻きつけて
そうして君の両腕も わが首筋に絡みつく
あらゆる甘いささやきを 絶えず耳にし 口にして
あらゆる熱い口づけを 絶えず浴びせて 浴びせられ
さてその先を歌おうとすると わたくしは顔を赤らめる
口に出来ないうれしさは おのずと顔にあらわれる
されど甘美な幻想の また霧散する夜明け方
すべての者が元気よく 溌剌と目をさますころ
わたくしだけが もう一度 取り残されて 打ち沈み
そしてふたたび目を閉じる 夢の続きを見るために
そしてにわかに起き上がり 悪鬼のごとき形相で
寂しい野辺や 物音のしない木立をさまよった
それは二人の秘めごとを のあたりにした場所場所に
この悲しみを慰めてもらおうとでもするように
あの洞穴ほらあなは わたくしと君とが愛し合った場所
誰も知らない石の部屋 石の天井 石のゆか
緑の苔に覆われて 世にも名高いフリュギアの
大理石よりも パロス島産の磁器よりもなお美しい
その暗がりに身をひそめ ふたり逢瀬を楽しんだ
されどファオンのいない今 それは単なる暗い闇
くぼみのついた草むらは 見せびらかしているようだ
ひとつになって横たわる 恋人たちの狂態を
土の上には今もなお 君のからだのあとがある
わたくしはそこに口づけて 草を涙で濡らすのだ
高い木立が 何かしら 憂いに満ちて見えるのは
それは小鳥がいないから さえずる声がしないから
深いしじまに包まれた このまっくらな叢林は
ただわたくしと 夜鳴鶯ピロメラの嗚咽が こだまするばかり
わたくしたちは唱和して 声を限りに泣き叫ぶ
鳥はテレウス わたくしはファオンを恨み 嘆くのだ

美しい泉があって その透明な水の底(第179行~最終行)

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エルンスト・シュテュッケルベルク(Ernst Stückelberg)作「サッフォー」。ウィキメディア・コモンズより。

美しい泉があって その透明な水の底
魅せられた目に 宝石のような小石を見せている
蓮は花咲き 華やいだ枝を四方にはりひろげ
水のほとりを暗くして 深い繁みをなしている
水のほとりは苔むして 常緑により飾られて
聖なる森の守護神の 手厚い保護を受けている
わたくしはそこに横たわり ひとりぼっちで泣いていた
ふと気がつくと 水色のむすめがそこに立っていた
「あわれなひと」と処女は言う「あなたの恋は叶わない
ここを離れて ルカートの岬を指してゆきなさい
それは突き出た岩頭の その切り立ったいただきに
アポロゆかりの神殿が 海を見下ろす岬です
傷心の恋人たちが そこから海へ飛び込むと
心は癒えて それまでの苦しい恋を忘れます
デュウカリオンはその昔 絶望的な恋をした
ピュラに恋して容れられず つれなくふられたのでした
とは言え 彼が地を蹴って 身を躍らせたその日から
今度は ピュラが片恋に苦しむ番となりました
急げ サッフォー ルカートの岬へ はやく馳せつけて
身を投げなさい 足もとの景色に怖気づかないで」
処女の姿は掻き消えた からだを起こし 立ち上がり
笑みを浮かべたわたくしの頬を 涙が伝わった
それでは行こう ニンフらよ 海が証明するだろう
この臆病なわたくしが いかにファオンに夢中かを
それでは行こう 狂おしい愛がみちびく その場所へ
恋の病いに冒された女に 怖いものはない
きれいな君に嫌われたわたくしは 海へ飛び込もう
海と断崖絶壁に より好き運を見出そう
流れる風よ 舞い落ちるこの身を 軽く抱き上げて
大わだつみのただなかへ そっと着水させ給え
しかしておん身 愛の神 その両翼を開花させ
わたくしをして 水上をのどかに飛行させ給え
願わくば 恋する者の死によりて 海は汚名を蒙るなかれ
さればわたくしは神殿に この竪琴を捧げよう
その祭壇には このような碑が刻まれることだろう
『歌手より 歌の着想を授け給いし御神へ
サッフォーはここに フィーバスへ その竪琴を献上す
わが意にかなうこの品は また神意にもかなうべし
「神」「人」「物」の三者 合意す』

とは言え むごい若者よ そも何ゆえに 何ゆえに
このわたくしを 断崖へ追い詰めようと図るのか
わが求愛の対象は 海ではなくて君なのに
わたくしにとって君は神 フィーバスよりも崇めたい
君に溺れた女への これがファオンの断罪か
海よりも断崖よりも 君は冷たくつらいのか
この胸は 二度とその胸に 重なることも出来ぬまま
あの絶壁の岩に触れ 砕けて散って終わるのか
そう この胸はその昔 君が大好きだった場所
愛が戯れ 詩が宿る場所…
わたくしはもう歌えない 歌など歌う気がしない
琴線は切れ 愛用の楽器は声を失った
わが音楽は倦み疲れ 流れるすべを忘れ果て
わが楽想は 悲しみの重みに負けて 絶え入った
おおレスボスの乙女らよ さては高貴の夫人らよ
わが詩のテーマ わたくしの尽きせぬ思慕の対象よ
おん身ら もはやわが歌を 木陰に愛でることもなく
またわが指のかき鳴らすいとのひびきに 酔うこともない
ファオンが去って わたくしの詩のみなもとは枯渇した
(ああわたくしとしたことが 「私の」ファオンと書きかけた)
帰っておいで きれいな子 わが魂によろこびを
わが歌声に 在りし日の張りとつやとを 返しておくれ
ファオンなしでは 詩人うたびとの霊感の火は消えてゆく
その一方で 恋しさが この身を焼いて焼き尽くす
歌よ 祈りよ 溜息よ あの少年の魂に
愛をはぐくむ心得を 説いて聞かせてくれまいか
歌と祈りと溜息を わたくしは 風に運ばせた
風はファオンを吹く前に すべてをそらに失った
それとも 君は戻る気か 日和を待っているだけか
いつになったら 君の乗る船の帆影が見えるのか
もし戻る気があるのなら 何をぐずぐずしているの
急いでおくれ さもないと サッフォーは消えてしまうかも
船出しなさい 恋人よ 神のご加護があるでしょう
愛の女神は ふるさとの海を平らにするでしょう
船出しなさい 恋人よ 風を恐れることはない
キューピッドこそ 順風で 帆をいっぱいにするでしょう
それとも 君が逃げるなら (どうして それはありえない
彼がこの身をいとうなど そんなことなどありえない)
もしもファオンがレスボスへ 二度と戻らぬつもりなら
わが魂の平安を わたくしは海に求めよう
ひとりぼっちのわたくしを 怒れる海が待っている
君を忘れて生きるのか 死ぬのか それは誰も知らない

*アレクサンダー・ポープ訳「サッフォーよりファオンへ」の原文はこちら