魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)エドガー・アラン・ポー「悲劇ポリシャン(Politian - A Tragedy)」第4場

ピエール・ミニャール「死せるクレオパトラと後を追う二人の侍女」。ウィキメディア・コモンズより。

ポーが遺した唯一の戯曲。一応「悲劇」ですが、この(全11場中の)第4場の「お嬢様」に対する「メイド」の生意気な口の利き方があんまり可笑しいので、ちょこっと訳してみました。原文はこちら


登場人物:ラレージ、ジャシンタ、僧。

ローマ。貴婦人の私室。窓が開いていて、庭が見える。女主人のラレージが深い悲しみに沈みながら机に向かって読書しており、机の上には何冊かの本と手鏡とが乗っている。うしろにメイドのジャシンタが椅子に無作法に寄りかかりながら控えている。

ラレージ:ジャシンタ、そこにいるの?
ジャシンタ:(大声で)ここにおります、お嬢様。
ラレージ:気づかなかった、ごめんなさいね。
腰かけて、今は一緒にいておくれ。
私つらいの。
ジャシンタ:(傍白)やれやれ。

(ジャシンタは椅子に横向きに腰かけ、背もたれに肘をついて、さも馬鹿にしたような目でラレージを見る。ラレージは読書を続ける)

ラレージ:彼は言った。「かの遠き国においては
黄金こがねの色の花が咲く。だがこの地では無理だ」
(間。ページをめくって、読書を続ける)
「そこには冬はなく、雪もなく、雨が降ることもない。
ただ西からの烈風だけが、
人の心を爽やかにしようと、海を越えてくる」
美しい。実に美しい。私が胸を焦がして
恋い慕う天国の眺めそのまま。
おお、さちある国よ。(間)死んだ。ヒロインが死んだ。
おお、さらにさちあるひとよ、世を去ることが
許されるとは。――ジャシンタ?
(ジャシンタは答えず、ラレージは読書を続ける)
これも似た話。
海を渡った国に住む、美貌の姫の物語。
フェルディナンドというひとがこんな台詞せりふを口にする。
「姫のいのちは短すぎた」するとボッソラというひとが、
こう答える。「私には姫が過酷な運命を
あまりに長く耐え抜いてこられたような気がします」
おお、かわいそうに。――ジャシンタ?(返事なし)
こちらはもっとひどい話。にもかかわらず、
とても似ている、同様にまるで救いのない話。
絶世の美女とうたわれたあのエジプトの女王様。
何の苦もなく男らを手玉にとってもてあそび、
そうして遂にみずからも堕ちて溺れる恋をする。
このひとも死ぬ。話は終わる。彼女の二人のメイドたち、
二つの優しい名を持った二人の優しいメイドたち、
エイラスとカルミオン――「虹」と「鳩」とが、
亡きがらにすがって泣くのだ。――ジャシンタ?
ジャシンタ:(うるさそうに)何用ですか、お嬢様。
ラレージ:悪いけど、階下に降りて、図書室の
聖書を持ってきておくれ。
ジャシンタ:わがままばかり!(退場)
ラレージ:もしもどこかに、心の傷を
治す薬があるとするなら、それはギリアデ。
わが眠れないなの痛みを癒やす妙薬が、
「ヘルモンの丘に置く、一連の真珠のごとく
甘美なる露のしずく」が、そこにあるはず。

(ジャシンタ再登場、本を机の上に投げ出す)

ジャシンタ:持ってきました、お嬢様。
(傍白)世話が焼けるわ。
ラレージ:(びっくりして)今何と言ったのかしら、
可愛いジャシンタ、何か困らせたなら、ごめんなさいね。
お前はこれまで何年も仕えてくれて、いつもいつも
行儀がよくて、頼りになった 。(読書を続ける)
ジャシンタ:(傍白)この女、まだ宝石を
持っているのか、いないのか――全部私にくれたはず。
ラレージ:今何と言ったのかしら、ジャシンタ。そういえば、
お前このごろ婚礼の話をしなくなったけど、
ユゴはどうしているかしら。結婚式はいつかしら。
このわたくしに何かしら、もっと力になれること
ないのかしらね。
ジャシンタ:(傍白)よくもそんなこと。
お嬢様、いつも私に宝石で
恩を売るには及びませんわ。
ラレージ:ジャシンタ、わたくしは今の今まで
宝石のことは忘れていたわ。
ジャシンタ:そうでしょうとも!
当然といえば当然。何よりもユゴが申すに、
あの指輪、あの宝石は安物のガラス玉とか。
またユゴが申しますには、伯爵があなた風情に、
本物のダイヤモンドをくれてやる道理などない。
何よりも確かなことは、お嬢様、今のあなたに
宝石は不必要です。当然といえば当然。(退場)

(ラレージ、机の上にわっと泣き伏す。しばらくして顔を上げ)

ラレージ:あわれな私、こんな仕打ちを受けるとは!
元気を出そう。あのメイド、あいつはただの毒ヘビだ。
何年も、私は可愛がってきた、私自身を
毒牙にかける裏切り者を!(手鏡を取る)
ハ!これが友だち。物心ついた頃からの
友だち以上のお友だち。友は誰をもだまさない――
真っ正直な鏡さん、お前は口がきけるはず。
話しておくれ、お話を――たとえ悲しい話でも
かまわないから――すると鏡は答えてくれる。
落ちくぼんだ目、こけた頬、
見る影もないこの素顔。
見果てぬ夢となりはてた
希望を思い出させつつ、今は惨めな運命と
あんぐりと口をひらいた墓穴はかあな

傷物にされたむすめを待つのだと、低く悲しく重たい声で、
けれど確かに教えてくれる――お前は人をだまさない――
儲け目当てで近づかず、害意をもって接さない――
伯爵は私をだまして捨てた――
お前はだまさない――彼はだました!だました!だました!
(ラレージの話し中、僧が入室し、気づかれずに忍び寄る)
:美しいお嬢さん、
あなたの救いは天にあります。永遠とわ生命いのちを思いなさい。
一切を懺悔に捧げ、ただ一心に祈るのです。
ラレージ:(あわてて立ち上がり)私はとても祈れない。心は神と戦っている。
虚しい夜のよろこびに満ちた階下の賑わいは、
わが神経をかき乱す。私はとても祈れない――
窓より来たる花のは、私の胸を悪くする。
あなたがいると不愉快よ。あなたがまとう黒服は
気味が悪くてたまらない。あなたが首にげている
黒十字架もぞっとする。
:聖なる事どもを考えなさい。
ラレージ:考えて、幼い頃のわが日々を、
今は亡きわが両親を――閑静なわが家の前を
さらさらと流れて止まぬ美しい小川のことを。
考えて、離ればなれとなりはてた姉妹のことを。
考えて、私のことを、私の夢と希望とを。
彼の約束――私の末路――私のこんな身の上を
思いやってよ――出て行って!
――待って。今
あなたは説いていたかしら、
悔い改めと祈りとを――あなたは口にしたかしら、
信仰と、神の前での誓いとを。
:しかと申した。
ラレージ:それはよかった。
それでは神の御前みまえにて、立てたい誓いがございます。
それは絶対至上なる、神聖にして不可侵の
誓いなのです。
:お嬢さん、それは大した心がけ。
ラレージ:神父さま、それは大したではなくて、
一大事なる心がけ。
あなたはこれに適した十字架をお持ちですか?
このように固い誓いを託すべき
十字のものを。(僧は自分の十字架を差し出す)
(身ぶるいしながら)違う!違う!
聖者どの、何度も申し上げますが、
あなたの服と、その黒い十字架とにはぞっとするのよ。
下がれ!まことの十字架を持っているのはこの私。
わが十字架こそは
実行と誓いに適し、実行の象徴であり、
実行を登記するにもふさわしい。
(十字架型の持ち手のついたダガーを抜き、高く掲げる)
見るがいい、これぞわが誓いのごとき誓いを天に
書き記すべき十字架ぞ。
:お嬢さん、君の言葉は狂気の人の
妄言だ。凶行に及ばんとする凶悪犯の
口上だ。そのくちびるの
色は青ざめ、君の目は
血走っている――天罰を恐れるがよい。
早まるな。手遅れになるその前に、思いとどまれ。
その誓い、誓うでないぞ――誓っては
ならぬというに!
ラレージ:もう誓ったわ!