表題の時代小説につきまして、一天一笑さんからあらためて紹介記事をいただきましたので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。なお前回の記事はこちら。
岩井三四二『おくうたま』(光文社)を読了して。
この歴史小説は、戦国時代の敗軍の将、浅井長政の側室の男子として生まれた浅井喜十郎是則が、武将として家督相続してお家再興に生きるのか、名もなき外科医として生きるのかを自ら決めて新たに旅立つまでの物語です(当時は武士の方が外科医より社会的地位が高かった)。全六章で構成されています。
年代的には1573年~1583年頃、主人公喜十郎が12歳~22歳頃の話です。手仕事を覚え始めるには手のひらが柔らかく、人格的にも可塑性がある、丁度よい年頃ではあります(本人がそう望んでいるかどうかは別として)。
疵医師(きずくすし)田代瑞石に弟子入り
1573年、浅井長政は、長年敵対関係にあった織田信長に討ち負け自刃します(小谷城内赤尾屋敷跡に碑があります)。この時、継母のお市の方と異母姉妹の浅井三姉妹は、小谷城を出て織田信長に引き取られます。織田信長とお市の方は同母兄妹で、信長は浅井三姉妹からは伯父に当たります。浅井家と織田家の同盟の証拠としての婚姻関係でした。
落城が避けられない状況下、遠藤備前守は、喜十郎と乳兄弟弥次郎を連れて、足利学校卒?の変人と評判の京都の疵医師田代瑞石宅を訪れます。詳細は何も告げず、ズバリこの二人を弟子入りさせてくれ、養い親になってくれです。無論養育費は持参しています。
この時、異母弟の萬福丸は、伯父織田信長の命令により、豊臣秀吉に探し出され、磔にされます。わずか10歳です。
僧侶兼外科医見習いとなる
喜十郎と弥次郎は、般若心経を大音声で唱える弟子入り試験?に通り、頭を丸め、僧衣を纏います。瑞石の弟子として名前も雲石と変え、薬箪笥を背負い乳鉢を手にします。瑞石の治療の下準備の湯を沸かしたりします。朝の勤行も拭き掃除も炊事もします。教養書『庭訓往来』を読むように渡されます。
そのような日々も終わりを告げます。織田家の捕吏の追跡を受け分衛という托鉢僧の一行として逃げ、瑞石の工夫により、朽木六兵衛を介して、羽柴小一郎に仕え長島の一向一揆の討伐に従軍医師として帯同することになります。
長島での日々
長島で瑞石は、いくさ場で大枚をはたいて臨時診療所を設営する。ある日弥次郎は、浅井家旧臣、下野七郎とめぐり逢います。七郎の口から、父遠藤備前守の最後とある噂を聞きます。浅井家の御曹司(喜十郎)は、小谷城から落ちる際に、浅井家の再興に備え何がしかを持って出たと。おまけに、負傷して担ぎ込まれた内村藤八は旧浅井家家臣で喜十郎の弓矢の師匠でした。喜十郎や弥次郎の顔がわからないはずがありません。困り果てた瑞石は、喜十郎の顔を殴って人相を変えさせます。殴られた痛みと共に、喜十郎は浅井の子以外に自分の価値はないのか?父に似ているというだけでこのような目に遭わなければならないのか?と考えます。
陣を引き払う折に、一揆衆に襲われた喜十郎達を助けたのは、内村藤八でした。藤八は、喜十郎達を逃がすために、防ぎ矢をして死んでいきます。最後の言葉は”若お達者で、お家の再興を“です。喜十郎は何かとんでもなく重い荷物を肩に載せられた心持になります。
りんとの出会い
喜十郎と弥次郎が、瑞石に弟子入りして約4年経過しました。秀吉の中国平定の戦に伴い姫路にいます。医者修行は進み、教科書は『医家千字文』になりました。瑞石によればまだ初歩で、医師になるならば更に『和剤局法』と『察病指南』を読み込むは必須条件らしいです。喜十郎と弥次郎はやはり浅野家再興に心が動きます。旧浅野家家臣も何処からか集まってきます。下野七郎と鉄砲の稽古をしていると、井手大炊介に坊主にしては不自然な点が多いと疑われます。大身の武家の出ではないのかと。一方医師見習いの仕事で、目の前で夜盗に母親を斬殺された娘りんの面倒を見ることになります。大炊介は手柄欲しさには長谷川秀一(家康と峠越えを一緒にした)に上申します。
瑞石と別れ、浅井家御曹司の名乗りを挙げる
井手大炊之介の追求はしつこく、喜十郎と旧浅野家家臣を面通しさせますが、何故か皆浅井家の若殿の顔はよく覚えていないとして喜十郎は開放されますが、内科医半井道雪に紹介状を書いてもらい、因幡に旅立つことになります。関所を通過するために、瑞石は命の次に大事な薬箪笥を捨て、二手に分かれ、りんと喜十郎は夫婦もの、瑞石と弥次郎は旅の雲水との編成で関所調べを乗り切ります。
喜十郎は道中、自分は武将となり、りんを正室に迎えるのも悪くないと空想します。何とか一向宗道場(信長抵抗勢力)へ無事合流した喜十郎は、瑞石の“まだ浅井家再興の意志を持っているか”の問いに“はい”と答えると、瑞石は遠藤備前守から預かった金と餞別と、“今まで弟子としてよく尽くしてくれた、礼を言う”との言葉と共に、喜十郎と弥次郎と別れ、鎌倉へ向かいます(キチンと道理を通す瑞石です。何故薬箪笥を捨ててまで、喜十郎を守ったのかは読んでのお楽しみです)。
加賀で信長軍と戦う
2年が経過し喜十郎は、加賀で一向一揆衆と共に、鈴木出羽守の寄騎となる。家臣は僅かだが、領地の無いまま名のみの浅井家再興を果たす。信長配下の柴田勝家、鬼玄蕃と異名をとる佐久間玄蕃と戦う。鈴木出羽守は和睦を望むが、果たして首尾は?喜十郎の子を出産したりんは、生来の我の強い性格を丸出しにして弥次郎とは最悪の関係にななります。
信長死後
それから2年後、喜十郎は、一向宗の若門主教如の客将として、織田軍と戦うも戦果ははかばかしくなく、弥次郎と曲直瀬道三門下の医師としてのふれこみで、生計を建てている有様です。
本能寺の変勃発の報せを聞いて帰郷し、徳勝寺の暁胤を通じ、旧主の息子の立場で因縁のある阿閉淡路守と面会し、明智光秀の旗下にはせ参じます。対するのは秀吉軍です。何ともイヤなめぐりあわせですね。
この山崎の戦いには、斎藤利三や高山右近、並河掃部、津田与三郎等の武将が出てきます。
この戦いで弥次郎が鉄砲で撃たれます。弥次郎は最後に父遠藤備前守が主人浅井長政から預かったという印籠を「中を開けたらきっと道が開ける」との言葉と共に喜十郎に差し出します。中には何が入っているのでしょうか?
一人になった喜十郎は、落ち武者狩りを潜り抜け、以前医師として滞在した五個荘に滞在します。りんも合流します。養生を続ける喜十郎の下に、柴田勝家からの使者が来ます。用件は、継母のお市の方が柴田勝家と再婚したので、仕えるつもりがあるなら早目に来いとの事です。もう一度浅井家旗揚げの夢をみるか?柴田家の領地は雪深いので早く出発しなければなりません。ここで医者として人生を過ごすか?折しも目を離せない子供の急患が来ます。
果たして喜十郎のとる道は?書名のおくうたまの意味は?お楽しみください。
覇王織田信長に翻弄された敗軍の将の遺族の物語です。戦国時代や戦国武将、織田信長の戦い方や人となり、一向一揆、豊臣秀吉の異母弟羽柴秀長(小一郎)等に興味のある方にお勧めします。
一天一笑