
なぜなら彼は決してだまされなかったからだ。この民主主義の氾濫のさなかに、泰然として「人民は、法に従う以外、法と関わるべきではない」*1と書いたヴァージニア人*2が、近代の英知なんぞの犠牲者だったとは、とても思えない。――またいわく「大衆の鼻、それはその想像力だ。これさえ掴めば、いつでも簡単に引きずり回すことができる」*3――その他、百にも及ぶ、集中砲火のごとく間断なく、それでいて無頓着かつ高飛車に、揶揄嘲笑を雨と降らせる寸言の数々*4。――たとえばかつて、あの純真な幻視家たちが、『恋する悪魔』の著者のうちに、自分たちの秘教の指導者の姿を認めたごとく*5、スウェーデンボルグ派の人々は、『催眠術の啓示』*6を読んで、これを物した人物を褒めちぎった。彼らは、ポーが公表した偉大な真理について、ポーに感謝した。なぜなら彼ら(検証できない事柄を検証する人たち)は、ポーがそこに記した一部始終が、紛れもない事実であることを発見したからである。「もっとも」とこの善良な人たちは言うのだった。「初めのうちは、ただの作り話ではないかと疑っていたのですが」するとポーは答えた「もちろん、作り話さ」と*7。――ポーの精神の覗き部屋とも言うべき、この愉快な「マージナリア」を百遍も読み返しながら、別の短い一節を、ここに引用する必要があるだろうか。いわく「知識のあらゆる分野における書物の激増は、現代における最大の災厄のうちの一つである。なぜなら、それは確実な知識を獲得する上で、きわめて深刻な障害となるからだ」*8――家柄よりも天性によるこの貴族、このヴァージニア人、この南部の男、この暗黒街に迷い込んだバイロンは、その哲学的平静を常に失わなかった。愚民の鼻を云々しようが、インチキ宗教の信者たちを虚仮にしようが、図書館を愚弄しようが、彼は常に真の詩人の態度を崩さなかった。――すなわち、附和雷同することを潔しとせず、西の夕空に花火が上がれば東へと走り去るがごとき、人目を欺く奇抜な真理、外見上はまったくの非常識であり続けた。
だがもっと大事な点がある。この思い上がった世紀の落とし子、それも他のどの国よりも輪をかけて思い上がった国の落とし子が、人間の生まれながらの邪悪さについて、これを明確に認識し、平然と断言したのである。ポーいわく、人間の内部には、現代哲学が認知しようとしないある謎めいた力がひそんでいる。だがこの名もない力、この根源的な傾向を想定しなければ、人間の多くの行為が説明のつかないまま、不可解なまま、残されてしまうだろう。それらの行為はただ邪悪だからこそ、危険だからこそ、魅力的なのだ。それは深淵のごとく人を魅了する。この原始的で抗い難い力こそ、人が持って生まれた倒錯性なのであって、それは人を絶え間なく、時を同じくして、自殺者に、他殺者に、暗殺者に、処刑者に変える。――「なぜなら」とポーはほとんどサタニックな狡猾さをもって付け加える。「ある種の邪悪にして危険な行為は、理に適った動機が絶対に発見できないところから、これらは悪魔の指嗾の結果と見ていいだろう――もし神がしばしば、これらの行為から、悪人の懲罰と社会秩序の確立とを導き出したもうことを、歴史と経験が示していなければ」*9――当の悪人どもを共犯者として利用して!これは隠微にして必然の含意として、私の頭に浮かぶものだ。とはいえ私としては、今のところ、この人間が持つ根源的な倒錯性を、忘れられていた偉大な真理と見なしたいのであり、古代の知恵の漂流物が、意外な国からわれわれのもとへと帰ってきたことに、ある種の満足感を覚えずにはいられない。あらゆる人間性の阿諛者たち、甘言者たち、「私は善良に生まれついた、あなたもそうだ、われわれは皆生まれながらにして善人なのだ!」などと、可能な限りあらゆるトーンで復唱するあらゆるペテン師たちの顔面に向かって、このような昔ながらの真理を炸裂させてやるのは痛快である。この勘違いした平等主義者たちは忘れている、いや忘れたふりをしているのだ、われわれが皆、生まれながらにして悪の烙印を捺されている事実を!
*1:訳者注:この言葉、ポーのいわゆる「名言」の一つとして、今でもネット上で流布している言葉ですが、正確な出典は確認できませんでした。ただ、ソクラテス以降、同じようなことを言っている人はたくさんいるみたいです。
*2:訳者注:ポーの出身はマサチューセッツ州ボストンですが、短い生涯のうちの比較的恵まれた期間を、ヴァージニア州リッチモンドで過ごしたため、本人は「ヴァージニア人」を自称しておりました。
*3:訳者注:エドガー・アラン・ポー「マージナリア」ポリン版No.226。
*4:訳者注:ポーは1844年から最晩年にかけて「マージナリア」(「欄外注」の意)というタイトルのもとに、短いエッセイをあちこちの雑誌に売り飛ばしておりました。バートン・ラルフ・ポリンという人が1985年にまとめたものによると、その総数は300を超えるようです。ボードレールはおそらくポーの死後、ルーファス・グリスウォルドがまとめたものを『故エドガー・アラン・ポー作品集』第三巻(1850年)で読んだのだろうと思われます。
*5:訳者注:名高いゴシック・ファンタジー『恋する悪魔(Le Diable amoureux, 1772)』の著者ジャック・カゾットは、一時期マルティニストなる神秘主義者たちに勧誘され、その活動に参加していたことがあるそうです。
*6:訳者注:「催眠術の啓示(Mesmeric Revelation, 1844)」はポーの短編小説。
*7:訳者注:「スウェーデンボルグ派の人たちが手紙で知らせてくれたところによると、私が『催眠術の啓示』という雑誌記事に書いたことは、すべて事実なのだそうだ。もっとも彼らはその信憑性を、初めのうちは強く疑っていたらしい。私に言わせれば、疑うのが当たり前で、あれは徹頭徹尾、純然たるフィクションなのである」(エドガー・アラン・ポー「マージナリア」ポリン版No.130)
*8:訳者注:エドガー・アラン・ポー「マージナリア」ポリン版補遺No.6。原文は「知識のあらゆる分野における書物の激増は、現代における最大の害悪のうちの一つである。なぜなら、それは読者の行く手にガラクタの山を投げ出すので、それで読者は偶然が散在させた有益な知識の断片を手探りで探さなければならず、結果として、正確な情報を獲得する上で、きわめて深刻な障害を顕在化させるからだ」
*9:訳者注:エドガー・アラン・ポーの短編「倒錯の悪魔(The Imp of the Perverse, 1845)」の中にある言葉。こちらの記事をご参照ください。