シグナスさんのブログで、カーペンターズ版の「プリーズ・ミスター・ポストマン」を聴きました(http://blogs.yahoo.co.jp/rmnjr654/25314093.html )。まあこれも好みの分かれるところでしょうが、カーペンターズ版も悪くはない。
カーペンターズのことで今でも時々思い出すのは、クイーンのセカンド・アルバムが出た時、歌詞カードにメンバーへのインタビューが付いていて(当時のクイーンはまだ無名に近かった)、その中の「あなたの嫌いな音楽」と言う欄に「カーペンターズ」と答えているメンバーがいたことです(誰だったかは忘れましたが)。
音楽に限らず、ある時代の文化的状況(あるいは雰囲気)というものは、違う世代の人たちに理解してもらうのは難しいので、誰かきちんと書き残しておいて欲しいのですが…たとえば当時のハードロック・ファンにとって、このカーペンターズというのは不倶戴天の敵であった。この安っぽいポップ感覚、このなまぬるい小市民性、たとえば「イエスタデイ・ワンス・モア」などで端的に表現されているような「ほのぼの」「しみじみ」といった曖昧で不潔な感傷、これらは当時(1970年代)のわれわれ(つまりパープルとか、ツェッペリンとか、初期のクイーンとかに興奮していた者ども)には問答無用に「ムカツク」ものでありました。
あの、断っておきますが、私もともとカーペンターズの音楽は(「イエスタデイ・ワンス・モア」も含めて)嫌いではありません。殊にこうして久しぶりに聴くと、胸に沁みるようです。
結局カレン・カーペンターもフレディ・マーキュリーも非業の死を遂げて「伝説の人」となり、いずれの音楽も仲良くナツメロ入りして新しいリスナーを獲得しつつある様子を見るにつけても、時間とは不思議なものよのぅ…と感慨ひとしおの今日この頃です。