表題の歴史小説につきまして、一天一笑さんから紹介記事を頂いておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。
武内涼『敗れども負けず』(新潮文庫)を読了して。
現在、産経新聞で「厳島 ITSUKUSHIMA」を連載中の武内涼の「歴史小説傑作選」の中から、短編「もう一人の源氏」を選んでご紹介いたします。
「もう一人の源氏」
この物語は、1219年1月27日、征夷大将軍・源実朝が、鶴ケ岡八幡宮で真夜中から明け方にかけて行われた右大臣拝命の儀式を終え、階段を降りてくる途中、銀杏の木のかげに隠れていた甥の公暁に殺害され、その首を持ち去られるところから始まります。
その公暁はほどなくして、三浦一党によって誅殺され、自身が首となり、北条義時や三浦義村らと対面します。実朝の首の行方がわからないのと同様、公暁が誰の指示によって動いていたのかは今もって謎のままです。
苦悩する北条政子
尼御台・北条政子は思う。このようなことが現実にあろうか。頼朝との間に授かった最後の子、次男・実朝が、長男・頼家の庶子、公暁(孫)に殺される。
亡き頼朝との間に授かった四人の子供たちすべてが自分より先にあの世へと旅立った。
政子は、自分以外にはわかりようもない苦しみの中、弟の義時とその息子泰時、そして時房を集め、会議を開く、議題は、源氏の正統が絶えた今(実朝には子が無かった)、次期将軍をどう決めるのか、その交渉はどう進めるのか。喫緊の課題である。
もう一つ、実朝暗殺には黒幕が存在したか。もしそうならばそれは誰か?
確かに鎌倉幕府は、仏道とは対極にある修羅の道を歩み続けた結果に出来上がった坂東武者による武家政権で、北条家はその一翼を担う。
政子は日頃、御家人からは“お袋様”と敬意をもって呼ばれている。政子は公人と私人との両面を持つが、“お袋様”は公人か私人かの線引きでは微妙な呼称だろう。御家人たちにとっては、他意はなく、半ば習慣だろう。頼家を伊豆・修善寺に追放したのは自分も同意してのことだった。
庶子ではあっても、頼家の子供だ。情の面と、鎌倉幕府の創立者の一人としてのパワーバランスを考慮して、政子は公暁を実朝の猶子にした上で、受戒させ、近江の三井寺の公胤の下で仏道修行に勤しませた。更に最近死去により、空きのできた鶴ケ岡八幡宮の別当阿闍梨(最高位)に就けたのも政子だった。真っ直ぐ、きつい瞳で政子を見つめる孫の公暁が、自分によく似た気性の行動の人であればこそ、配慮したつもりだったのに。政子は重ねて思う。
もし、誰かが公暁を唆して実朝を殺させたのならば、私はそいつを許さない。
政子は、密偵を放って実朝暗殺の黒幕を調べさせる。嫌疑がかかったのは三浦義村、北条義時、後鳥羽上皇(朝廷)、足利家であるが、結局決め手はなく、黒幕追及よりも、今は鎌倉幕府の箍を締めなおすことが優先とされ、沙汰やみとなった。
勿論朝廷とは、皇子を次期将軍として鎌倉にご東下願えないかとの交渉も始めている。
その前に政子には課題がある。亡夫・頼朝の後始末だった。頼朝は、傑出した武人・政治家でもあったが、それと同じくらいに都育ちの貴種の人だった。彼の祖父も父も、正室・側室を問わず沢山の子供たちを儲けている。ここにきて、頼朝と常陸介・藤原時長の娘の間に生まれた庶子・貞暁――仁和寺を出て高野山に入ったとされる頼朝の最後の実子に対面し、還俗の意志の有無を確かめる必要があった。
時房と政子は紀州へ向かう
時房と政子は、二手に分かれて鎌倉を出発する。政子は秘密裏に、時房は千人の兵をもって。同時に義時の手配した四十人程の刺客が出発する。指令は「貞暁が還俗するなら、青山峠にて討ち果たせ」である。
3月15日頃に鎌倉を出で、4月5日、伊賀から大和へ抜けた政子は、京都から南下してきた時房と長谷寺で合流した。
先触れを走らせておいたので、九度山・慈尊院俊義坊と名乗る山伏を始め、十数人の山伏が政子と時房を緊張して迎えた。そして挨拶ももどかしく、政子が人に邪魔されずに会談する場所の段取りをした(高野山が女人禁制の影響もある)。
日程整い、俊義坊に案内され、参道を行く政子は、柔和な面差しをした四体の苔むした地蔵に手を合わせる。亡き四人の子を思ってか、政子はいつにない感情が自分の中に生まれてくるのを感じた。義時も「不思議な場所よ」と漏らしていた。
やがて、丹生都比売神社に到着した。政子は命令する。勿論時房も同席している。
「相分かった。貞暁上人だけ通せ」
修行で締まった体格も武士に近いような気がする。
「お初にお目にかかります。貞暁です」
声の主の精悍な顔を見た政子は、亡き夫が出家したかのような幻覚にとらわれた。
貞暁は、行勝との過酷な修行を語った。辛抱強く聞いた時房は貞暁に問うた。
「我ら武士の頂点に立っていただけないか」
政子も頭を下げる。
「この通りだ。今さら虫が良いと思われるかもしれないが、将軍になっていただきたい」
貞暁が言った。
「頭を上げてください。私は還俗はしません。山岳修行に励み、源氏の者として、平家の圧政を終わらせ、世に安寧をもたらした父・頼朝と、不幸にして早世した四人の冥福を、ここ高野山で祈りたいと思います」
貞暁の真っ直ぐな視線と落ち着いた声音は、ますます政子に頼朝を思い出させ、それが政子を混乱させた。時房は疑念を持った。
「山岳修行では、勧進の廻国はなさるでしょう」
「成程、私に将軍にならないなら、高野山を出るなと仰せですね。私にひとかけらの野心もないことを証明しましょう」
貞暁は懐中から一振りの短刀を取り出した。
「七歳で鎌倉を出た私に父が授けた形見です」
次の瞬間、貞暁は、自分の左目に短刀を突き立てた。政子と時房の目の前で、声を立てずに目を抉り続ける。そうして血まみれになった眼球を政子と時房に見せて、言った。
「これが、武士にならぬとの覚悟」
体を痙攣させながら、貞暁は言った。
「この世の栄華を極めるだけが、人の生き方ではない。野の花一輪にも仏はござる。この左目でその仏を観る。よろしいですね」
さすがの政子も頷くしかなかった。まるで頼朝の声を聴いているようだ。
気絶した貞暁が気が付いたのは、二日後だった。政子はずっと看病していた。
「貞暁殿、あなたの見せた覚悟は、武門の棟梁にふさわしいものでした」
「私は還俗しませんよ」
「あなたを鎌倉から追い出した私が悪かった。許してください。私を受法の弟子にしてください」
「喜んでそうさせていただきましょう」
貞暁は政子の手を強く握った。
「行勝上人との思い出深い大峰に、勧進に行くのを許してください」
「どうして私がそれを止めましょうか。でも、二人の姫の冥福は私に祈らせて」
貞暁と別れた政子と時房は、紀の川を東に向かう船客となった。遠くに紀伊山地が見える。
政子はずっと見ていた。
やがて思い切るように、九条家の三寅(藤原頼経)を次期将軍に迎える指示を出した。
時房は言った。
「姉上、これでわれらの勝ちですな。御家人も抑えられる。幼児の三寅殿をもらい受ければ、朝廷も手出しはできない」
貞暁は、源家三代の五輪塔を建立し、皆の冥福を祈った。殆ど高野山を出なかった。
尼将軍として君臨した政子は、高野山や丹生都比売神社に寄進を続けた。
貞暁と交わした会話や流した涙が嘘か本当かは誰にもわからないが、政子は貞暁に帰依することによって、僅かながら変わった内面を抱えつつ、自らの意志をもって、修羅の道を歩んでいったことであろう。
一天一笑