魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

風野真知雄『密室本能寺の変』(その五)

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牧谿もっけ筆『観音猿鶴図』(国宝、大徳寺蔵、三幅対)のうちの一幅、「白衣観音像」。ウィキメディア・コモンズより。

「世に二つとない名物茶器が、信長公の手元に揃っているとの噂ですが」
近衛前久が調子のいい口調で言った。
「なあに、それほどでも」
信長も満更でもなさそうだ。
「勿論、今から全てご覧に入れるが、殿上人の好みではないでしょう」
「まあまあ、それは見せて頂いてから」
「持って参れ」
信長が小姓に命じた。すぐさま大小の木箱がズラリと並べられた。
さっき島井宗室との茶会で使用したものも含め、全部で三十八種。
「これが九十九つくもかみ茄子なすだ」
いちばん最初に取り出して見せた九十九髪茄子は、もともと足利義満が所有していた丸茄子の形をした茶入れである。信長が松永久秀から召し上げた逸品だ。
「お高いのでしょう」
九条兼孝が遠慮なく尋ねた。
「松永は、これを千貫で買ったらしい」
「千貫!」
九条兼孝は、これが千貫という驚きの顔をした。
信長は構わず、次々と名物茶器を取り出し、公家達に回覧させた。
「これが円座肩衝えんざかたつき。これが白天目茶碗。これが松本茶碗」
珠光じゅこう茶碗。高麗茶碗。牧谿もっけ慈姑くわいの絵。同筆濡れ烏。千鳥香炉。相良さがら高麗火箸。五徳開山。杓立しゃくたて柑子口こうじぐち宮王みやおう釜・・・。
次から次へと出てくる名物茶器に、公家達はゆっくり鑑賞する間が無い。中には茶器を取り落としそうになって、慌てて信長の顔を窺い見る粗忽な公家もいた。たとえ彼等が時間をかけて鑑賞したとしても、心の底から感嘆する事は無いだろうと、先程から末席にいた蘭丸は思った。「みやびではない、美しくもない、鮮やかさがない」との声が耳に入った。
末席の公家が言った。
茶の湯の神髄は、わびとさびにあるそうだ」
「わびとさび?貧相だ」
言われた公家たちは、まるでわからないといった顔をした。
「だが、豪華絢爛たる安土城に住み、派手の極致とも言える馬揃えを行なった信長どのが、わびさびを好むだろうか?」
一人の公家が遠くから信長の顔を見ながら言った。
蘭丸はふと思った。上様は、本当に茶の湯を好まれているのだろうか。気になって正客の島井宗室の顔を見たが、無表情だった。
信長が、無表情の島井宗室を試すように言った。
「この島井宗室が、<楢柴>の肩衝たつきを持っていて、わしにくれるらしい」
心なしか島井宗室の顔が歪んだ。
「冗談だ。島井」
島井宗室は安堵した顔になった。
「島井、よかったのう」
九条兼孝がそう言うと、他の公家たちも思わず笑った。
茶の湯は良いものだと、何でも身体の養生のため始まったと聞き及んでおります」
「さよう。九条さまでもそう思われるか」
信長がからかうように言った。
「戦に出る武士はたしなむべきですが、ただ、大男が茶を嗜むところは滑稽ですな」
「わたしは昔、斎藤義龍の茶会に招かれたことがありまして。はて道三の孫でしたか」
せがれです」
信長はニコリともせずに言った。
「巨体でしたでしょう」
「ええそれはもう、バケモノみたいな大きさですが、知恵は豆粒ほどでした。しかし、あれが茶の湯などやりましたかな?」
「それが、したのですよ。こう背中を丸めて、大きな茶碗も小さく見えて。その不格好さに思わず噴き出してしまいました」
九条兼孝がそう言って笑うと、
「大きくて悪かったですな」
やはり大男の部類に入る近衛前久が、じろりと睨んだ。
「あ、いや近衛さまは」
その慌てぶりに、信長も公家達も笑い転げた。

丹波亀山城

城主明智光秀は、天守の窓からそぼ降る雨を見つめていた。緑が多く、枯山水風の庭園に置いた石にしろ、敷いた砂利にしろ、水を含むとしっとりと黒ずむのだった。光秀は、この落ち着いた庭園が好きだった。
「どうだ、上様の様子は?」
光秀は二条に京屋敷を持っていた。そこから随時信長の動向を探らせていた。家来が報告に来た。
「はい。本日は大勢のお公家さんが訪ねて来られて、宴が開かれました」
「誰だ」
近衛前久さま、藤原内基さま、九条兼孝さま・・・」
「まるで御所が引っ越してきたような騒ぎだな。帝は置き去りか」
光秀は苦笑した。
「さらに博多の島井宗室が、茶会に出ました」
「公家達も?」
「お公家さまたちは茶会に加わらず、宴を」
「ふうむ」
光秀は嫌な気持ちになった。島井宗室は常に二心を持つとの評判の商人だ。しかしこれから先、九州を治めるとすれば、必要な人材なのだろう。信長は必要とあれば曰く付きの人物でも使う。不必要なら見向きもしない。危ういな、と光秀は思った。
「また戻ります」
「うむ、頼むぞ」
光秀は家来を見送った。

「本能寺はまずいな」
懐刀(筆頭家老)の斉藤利三(内蔵助)に言った。
「わたしもそう思います」
「本能寺は茶会だけで、宿泊は二条御所だと思ったが。蘭丸が手当したとはいえ、警護の人数が圧倒的に足りない。どこかに伏兵はいないのか?」
「本能寺周辺にはおりません」
光秀は閃いた。
「そうか、上様は家康殿を討ち果たそうとの魂胆だろう」
「えっ!まさか」
「そのまさかだ。何れ家康殿は手強い敵になる」
「それはともかく、家康殿は常に警戒しているのでは?」
「だからこそ、来ざるを得ない形を作ったのだ。三十人の警備しか持たない上様に、京に遊びにと招待されて、断れる奴はまずいない」
「何と危ないことをなさる」
「それが上様だ。危機に身を置いて、自分が生きている手応えを確かめようとなさるのだ」

古来、騎月雨は霧雨になると言われている。
光秀は、騎月雨に促されるように信長との初対面を回想した。
1565年、足利義昭の使いとして、岐阜城に義昭の供奉の要請に行ったのだ。光秀の従妹に当たる信長の正室濃姫のうひめも同席した。光秀は、ざっくばらんにあるいは直截に、供奉の意義や、諸国の様子を力説した。
「京に入りわしの名を天下に・・・」
「将軍の威光を守りながら、京近辺を平定されるのがよろしいかと」
口数は圧倒的に光秀の方が多かった。信長はぼうっと聞いていたようだが、時折別段面白くもないだろうという箇所でニヤリと笑った。
「わかった。近いうちに返事をする」
見送りに出た濃姫がささやいた。
「わらわの父上以上に妙な人だから、とんでもない生涯を送るかも。光秀、助けてあげて」
それ以降、成果主義の信長に仕え、信長のために奔走してきた。
上様は、今や人生最大の危機に瀕している。手練てだれの刺客たちの標的になっているのは間違いないと思った。(続く)

密室 本能寺の変 (祥伝社文庫)

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