宴
「世に二つとない名物茶器が、信長公の手元に揃っているとの噂ですが」
近衛前久が調子のいい口調で言った。
「なあに、それほどでも」
信長も満更でもなさそうだ。
「勿論、今から全てご覧に入れるが、殿上人の好みではないでしょう」
「まあまあ、それは見せて頂いてから」
「持って参れ」
信長が小姓に命じた。すぐさま大小の木箱がズラリと並べられた。
さっき島井宗室との茶会で使用したものも含め、全部で三十八種。
「これが九十九髪茄子だ」
いちばん最初に取り出して見せた九十九髪茄子は、もともと足利義満が所有していた丸茄子の形をした茶入れである。信長が松永久秀から召し上げた逸品だ。
「お高いのでしょう」
九条兼孝が遠慮なく尋ねた。
「松永は、これを千貫で買ったらしい」
「千貫!」
九条兼孝は、これが千貫という驚きの顔をした。
信長は構わず、次々と名物茶器を取り出し、公家達に回覧させた。
「これが円座肩衝。これが白天目茶碗。これが松本茶碗」
珠光茶碗。高麗茶碗。牧谿筆慈姑の絵。同筆濡れ烏。千鳥香炉。相良高麗火箸。五徳開山。杓立柑子口。宮王釜・・・。
次から次へと出てくる名物茶器に、公家達はゆっくり鑑賞する間が無い。中には茶器を取り落としそうになって、慌てて信長の顔を窺い見る粗忽な公家もいた。たとえ彼等が時間をかけて鑑賞したとしても、心の底から感嘆する事は無いだろうと、先程から末席にいた蘭丸は思った。「雅ではない、美しくもない、鮮やかさがない」との声が耳に入った。
末席の公家が言った。
「茶の湯の神髄は、わびとさびにあるそうだ」
「わびとさび?貧相だ」
言われた公家たちは、まるでわからないといった顔をした。
「だが、豪華絢爛たる安土城に住み、派手の極致とも言える馬揃えを行なった信長どのが、わびさびを好むだろうか?」
一人の公家が遠くから信長の顔を見ながら言った。
蘭丸はふと思った。上様は、本当に茶の湯を好まれているのだろうか。気になって正客の島井宗室の顔を見たが、無表情だった。
信長が、無表情の島井宗室を試すように言った。
「この島井宗室が、<楢柴>の肩衝を持っていて、わしにくれるらしい」
心なしか島井宗室の顔が歪んだ。
「冗談だ。島井」
島井宗室は安堵した顔になった。
「島井、よかったのう」
九条兼孝がそう言うと、他の公家たちも思わず笑った。
「茶の湯は良いものだと、何でも身体の養生のため始まったと聞き及んでおります」
「さよう。九条さまでもそう思われるか」
信長がからかうように言った。
「戦に出る武士は嗜むべきですが、ただ、大男が茶を嗜むところは滑稽ですな」
「わたしは昔、斎藤義龍の茶会に招かれたことがありまして。はて道三の孫でしたか」
「倅です」
信長はニコリともせずに言った。
「巨体でしたでしょう」
「ええそれはもう、バケモノみたいな大きさですが、知恵は豆粒ほどでした。しかし、あれが茶の湯などやりましたかな?」
「それが、したのですよ。こう背中を丸めて、大きな茶碗も小さく見えて。その不格好さに思わず噴き出してしまいました」
九条兼孝がそう言って笑うと、
「大きくて悪かったですな」
やはり大男の部類に入る近衛前久が、じろりと睨んだ。
「あ、いや近衛さまは」
その慌てぶりに、信長も公家達も笑い転げた。
丹波・亀山城
城主明智光秀は、天守の窓からそぼ降る雨を見つめていた。緑が多く、枯山水風の庭園に置いた石にしろ、敷いた砂利にしろ、水を含むとしっとりと黒ずむのだった。光秀は、この落ち着いた庭園が好きだった。
「どうだ、上様の様子は?」
光秀は二条に京屋敷を持っていた。そこから随時信長の動向を探らせていた。家来が報告に来た。
「はい。本日は大勢のお公家さんが訪ねて来られて、宴が開かれました」
「誰だ」
「近衛前久さま、藤原内基さま、九条兼孝さま・・・」
「まるで御所が引っ越してきたような騒ぎだな。帝は置き去りか」
光秀は苦笑した。
「さらに博多の島井宗室が、茶会に出ました」
「公家達も?」
「お公家さまたちは茶会に加わらず、宴を」
「ふうむ」
光秀は嫌な気持ちになった。島井宗室は常に二心を持つとの評判の商人だ。しかしこれから先、九州を治めるとすれば、必要な人材なのだろう。信長は必要とあれば曰く付きの人物でも使う。不必要なら見向きもしない。危ういな、と光秀は思った。
「また戻ります」
「うむ、頼むぞ」
光秀は家来を見送った。
「本能寺はまずいな」
懐刀(筆頭家老)の斉藤利三(内蔵助)に言った。
「わたしもそう思います」
「本能寺は茶会だけで、宿泊は二条御所だと思ったが。蘭丸が手当したとはいえ、警護の人数が圧倒的に足りない。どこかに伏兵はいないのか?」
「本能寺周辺にはおりません」
光秀は閃いた。
「そうか、上様は家康殿を討ち果たそうとの魂胆だろう」
「えっ!まさか」
「そのまさかだ。何れ家康殿は手強い敵になる」
「それはともかく、家康殿は常に警戒しているのでは?」
「だからこそ、来ざるを得ない形を作ったのだ。三十人の警備しか持たない上様に、京に遊びにと招待されて、断れる奴はまずいない」
「何と危ないことをなさる」
「それが上様だ。危機に身を置いて、自分が生きている手応えを確かめようとなさるのだ」
古来、騎月雨は霧雨になると言われている。
光秀は、騎月雨に促されるように信長との初対面を回想した。
1565年、足利義昭の使いとして、岐阜城に義昭の供奉の要請に行ったのだ。光秀の従妹に当たる信長の正室濃姫も同席した。光秀は、ざっくばらんにあるいは直截に、供奉の意義や、諸国の様子を力説した。
「京に入りわしの名を天下に・・・」
「将軍の威光を守りながら、京近辺を平定されるのがよろしいかと」
口数は圧倒的に光秀の方が多かった。信長はぼうっと聞いていたようだが、時折別段面白くもないだろうという箇所でニヤリと笑った。
「わかった。近いうちに返事をする」
見送りに出た濃姫がささやいた。
「わらわの父上以上に妙な人だから、とんでもない生涯を送るかも。光秀、助けてあげて」
それ以降、成果主義の信長に仕え、信長のために奔走してきた。
上様は、今や人生最大の危機に瀕している。手練れの刺客たちの標的になっているのは間違いないと思った。(続く)