六月一日:茶会前、公家達の様子
公家達は、信長の機嫌がそれ程悪くなさそうだと見て、安堵した。
「こちらこそ、大勢でお邪魔しました。本来ならば、昨日五条大橋までお迎えに上がるつもりでしたのに」
関白の藤原内基がおずおずとほほ笑んだ。
「ははは!皆さまこの信長ごときにそれほど会いたがるとは、余程お暇と見えますな」
「いえいえ、信長どのと会えるなら、例え千里の道とて」
関白のおどけた物言いに、公家達はひとしきり笑い転げた。
「おっほっほ。実は我らから信長どのに贈り物を差し上げようと思いまして」
その途端、
「とんでもござらぬ」
信長の大声がした。
幾人かの公家が持っていた笏を取り落とした。真っ青になり、震えだす者もいた。
「いやいや、世にも稀なる品、きっと喜ばれるだろう。それそれ」
関白は振り向いて、若い公家に合図した。
「いかん!行くな」
信長の一層甲高い、震える声がした。若い公家はどうしたらよいかわからず、立ったままだった。
「織田どの」
「何としても受け取れぬ」
関白の哀願も拒絶した。
強硬な拒絶に蘭丸は思った。上様は中身をご存じなのか。
「・・・」
関白はもはや泣き顔になっていた。しばらくして言った。
「我らは帰った方がよろしいか?」
信長は打って変わった柔らかい声で、ほほえみながら言った。
「何を申される。饗応もせずお帰りいただいたら、この信長、帝に叱られます。贈り物の心配などなされず、ごゆるりとお過ごしくだされ」
「そうか」
関白も安堵し、パタパタと笏を動かした。
「ただ一つだけ困ったことがある」
「何でしょう?」
今度は近衛が尋ねた。
「島井宗室を正客とした茶の湯の席を予定しておりまして」
「博多商人の島井宗室ならば、海賊のような者と聞いたことがある」
「そうでしょうな」
信長はだから何だと言わんばかりの声を出した。
「まあ、我らは余計な事を言うまい。遠慮なさるな」
「いや、遠慮なさるなと言われても、殿上人と地下人をご一緒にさせるわけにはいかぬ。はてさて、どうしたものやら」
「織田殿、ならば茶の湯はそれ、そっちの部屋で」
と関白はこの脇の部屋を指さした。
「われらは、茶会が終わるまでこの部屋で寛がせていただく。なあに、襖を閉じれば別世界、差支えありません」
「それでよろしいですか」
「むろんじゃ。おっほっほ。茶の湯はどうも堅苦しい。その方がよろしい」
と公家達は口々に言った。誰かひとりが喋ると後一斉に喋り始めます。
この時代の茶の湯は、武将の道楽の位置付けがなされて、朝廷では顧みられていなかった。
上様は、どういうおつもりなのであろうかと一人で気を揉んでいた蘭丸は、この成り行きにほっとした。公家達の気分は子供のようにコロコロ変わるらしいとも思った。
蘭丸、茶会の警備をする。
「上様、島井宗室さまがおいでになりました」
勿論、蘭丸も後に続いた。襖が閉められて、公家達の姿が見えなくなった。
ここは畳に囲炉裏が切ってあり、何故か本日の茶会の茶頭を務めるらしい長谷川宗仁が、既に仕度を整えていた。普段信長の茶席の茶頭は、他に今井宗久、津田宗及の三人だった。何れも、堺の豪商である。長谷川宗仁は京の有力な町衆だった。
「おう、島井。わざわざすまんな」
「いいえ、お招きにあずかり、光栄に存じます」
声の主は、四十くらいのガッチリとした身体つきの島井宗室だった。茶席に慣れているらしく、堂々と振る舞っている。
蘭丸は気を引き締めた。今の上様は、もろもろの理由をもって複数の刺客に狙われている可能性があるのだ。囲炉裏は客から離れた場所になるが、四人の小姓を部屋の四隅の三方に配置し、蘭丸は、全体の警護を見守るために信長から遠い位置に控えることにした。咄嗟の闖入者から信長を守るためだ。
長谷川宗仁は、優雅な自然な動作で、袱紗を捌き、茶を点て、主客の島井に勧めた。
島井は慣れた手つきでいただき、丁重に、
「結構なお点前でございます」
と言った。
「明日は、千利休が来る」
と信長が言った。
「そうですか。それで家康どのはいつこちらに?」
島井宗室が尋ねた。
「明日には来るのではないかな」
「ははあ」
島井宗室は何かを察したようだった。
蘭丸は家康と島井宗室の間に深いつながりがあったのかと、記憶を巡らせたが、何も引っかからなかった。
だから商人は虫が好かない。武器や様々な物資調達の為に付き合いは必要だが、自分には奴らの肚の内は読めない。
「おっほっほ」
公家達の甲高い笑い声がした。襖で隔てられただけなので、筒抜けだ。
静謐が求められる茶席に、何と言うことだろう。蘭丸は公家達を窘めようと立ち上がったが、島井宗室がその場の空気を読んだ。忖度した。
「上様、今日は他に用はありません。大事な話は殿上人たちがお帰りになってからに致しましょう」
「そうじゃな」
「お公家様たちは、茶の湯はあまり嗜まれませんな」
「あんなに茶の湯の似合わぬ奴らはおるまい」
信長は、これまでにない大声で言った。わざと公家達に聞こえるように。
(続く)