魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

風野真知雄『密室本能寺の変』(最終回)

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猫大明神祠(佐賀県白石町大字福田)に祭られている化け猫の像。牙をむき、七本の尾を振っている。ウィキメディア・コモンズより。

信長殺害の動機

下手人は寺男の五郎作だった。では動機は?
「何故こんなことをした?誰かに命じられたわけでもあるまい」
光秀は、意識して優しい声で尋ねた。
「信長さまは、おらの人形を踏みにじったからです」
五郎作は猫の人形を差し出した。
「信長さまは、これがおらの懐からぽろりと落ちたのを見咎め、『それは何だ』とお尋ねになりました」
「で、その方は何と答えた」
「『おらの作った猫の人形です。こちらの御女中衆にも、可愛いと喜ばれます』と」
「それで?」
「信長さまは『これのどこが可愛い』と鼻でせせら笑いました。『いい年をして、猫が可愛いもないだろう。くだらないことをするよりもっと仕事をせよ。庭に汚い水溜りができているのは、日々きちんと掃き掃除をしていないからだ』そういうと廊下から降りてきて、この人形をふみにじったのです」
五郎作は、足でグリグリと踏む真似をした。ああ、如何にも信長らしい仕草だ。
「だからおらは、悔しくて」
五郎作の眼から涙があふれた。
「それだけのことで、信長殿を殺したのか?」
「信長さまにとって、くだらない小汚い木偶でも、おらにとっては大事なものだ。女子おなごも笑顔を見せてくれる」
五郎作は唖然としている光秀を前に、微笑んで言った。
「小さな人形をバカにする奴は、大きな人形に殺されるのだ」
「この椅子と卓を使い、木偶を作る仕掛けも、そなたが考えたのか?それとも親父殿の工夫を盗用したのか?」
「そんなのは大したことじゃない。紐の渡し方を工夫さえすれば、誰にでもできる」
光秀はかぶりを振り、フラフラと数歩歩いた。
あの信長が、こんなくだらない理由で殺されたのか。
虎が蚤に食われ、病気を移された挙句、死んだようなものか。
光秀は、鬼の形相をして刀を抜き払った。
「ひっ」
五郎作は回廊に出て、階段を駆け下りようとした。光秀は素早く追いかけて、五郎作の背中を躊躇ためらわず、袈裟懸けに斬った。
五郎作は声を上げず、階段下の石畳の上に倒れた。五郎作の血しぶきが光秀の頬にも跳ね返った。光秀は天を仰いだ、雨は上がりつつあった。
光秀は、天に向かって言った。
「上様、仇は討ちました」

終幕

少年僧の李玄は身体を震わせていた。
日海が言った。
「まさか、こんな成り行きになるとは思わなかった」
「ええ、私も」
「ところで上人様は、何故わざと三劫を作らせたのでしょうか?」
日海が尋ねた。
「信長さまに部屋で碁石を並べさせたかったのでは?」
李玄が答えた。
「あ、そうか。あそこに座れば、細長い三日月鎌ですーっと斬れるはずだった」
日海はポンと手を打った。
「そうですよ。でも、既に木偶に殴り殺され、床に倒れていた。刃は届かなかった」
「お上人さまも随分なことを。余程信長さまが迷惑だったのでしょう」
「仏に仕える我らからしたら、信長さまは困った人ですよ」
李玄が言うと日海も頷いた。
「信長さまは、玉をとれば勝ちという将棋の人ですから、囲碁のように大局を見て、最後に勝てばよしの戦い方にはなじまないのでしょうね」
李玄が言った。
「そうだ。それを三劫で悟っていただこうとしたが、無駄だったな」
日海が、落胆を隠さずに言った。
「今度は明智光秀さまが同じ道を歩まれます」
「ああ、そうだな」
日海が言った。
「仏の教えは、執念を捨てることだ。囲碁も将棋も勝負の為にするのではない。勝負は執念を呼ぶ」
「では何のために囲碁将棋をするのでしょう?」
李玄が尋ねた。
「勝ち負けを遊びにして、執念から遠ざかり、悟りを開くためです。そこが本当の戦と違うところだ」
日海は自分の言ったことをかみしめるように、ゆっくりと頷いた。
「では、明智様の行く末は危ないですね」
「最早危ないなんてものではない。信長さまが変えられた戦の方法による、より惨たらしい兵士たちの屍を踏みこえてゆく。修羅の道を歩いて行かれます。信長さまの執念を背負って、たったお一人で」
「せめて心を込めて、我ら法華宗のお題目を唱えましょう」
二人の僧は、光秀の後ろ姿に向かって、お題目を唱え始めた。

風野真知雄独特の視点からの歴史ミステリー、どうぞお楽しみください。
天一


天一笑さん、長期連載まことにお疲れ様でした。何とも奇想天外な「本能寺」でしたね。

密室 本能寺の変 (祥伝社文庫)

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