魔性の血

拙訳『吸血鬼カーミラ』は公開を終了しました。

風野真知雄『密室本能寺の変』(その十六)

f:id:eureka0313:20210605191656j:plain

蜜蝋の手燭。栃木県茂木町の陶芸作家、樋口美世子さんによる作品。「ハチ蜜の森キャンドル」さんのホームページから。

光秀、本能寺の絵図を描く。

光秀は、再び高田竹虎を呼び、紙と筆を持ってこさせた。
紙に御堂と御殿を真四角の形に書き入れ、御殿の寸法は、御堂の約半分とした。
二つの真四角の間をつなぐ渡り廊下も書き入れた。光秀は竹虎に聞きながら絵図を書いた。
「御堂の中は、正面が内廊下になっていたな」
「そうです」
「御殿の方は?ここには唐土などの奇妙な武器が並べられていたな」
「はい」
「扉を開けて中に入ると、右手が茶室になっていた?」
「はい。そこだけが、四畳半の畳敷きでした」
「うむ」
光秀は頷いて、畳敷きのように書き込んだ。
「信長殿は、一人で茶を飲むときは何処に座った?」
「この壁際の席に」竹虎は指さした。
「信長殿はいつも寝台で寝ていたな?」
「はい、必ず」
「寝台は何処にあった?」
「このあたりです」
竹虎は、奥の左を指さした。
「壁にくっついていたのか?」
「いいえ」
「他に何があった?」
「畳一畳ぶんの南蛮の卓が一つ、その周囲に南蛮の椅子が五脚ありました」
光秀は以前、馬揃えの前後に、南蛮の椅子と卓を見たのを思い出した。
「椅子の配置はどうだった?」
「それは随時動いていたようです。わたしが知る限りでは、卓の長い方に二脚ずつ、短い方に一脚。客が三人の場合、余った一脚は、脇に片付けていました」
「椅子の形は皆同じだったか?」
「はい、ほぼ同じです。ただ信長さま専用の椅子は背もたれがあり、豪華な彫刻がなされていました」
光秀はそれを書き込んだ。
「これで、部屋の中の物は全てだな?」
「そうです」
「明かりはどうした?」
「蜜蠟を使用していました。蜜蠟は臭いので、寝台の左側手前に配置していたようです」
「蜜蠟はどれくらいの時間保った?」
「太い蜜蠟ですので、ゆうに一刻は・・・」
「燭台は、一基か?」
「いいえ、二基です。常時使用するのは一基です」
「なるほどな」
これで昨夜の御殿の様子がおおよそ掴めた。光秀は暫く考えて尋ねた。
「この御殿に昼間出入りしたのは誰だ?」
「小姓たちと女中たちです」
「ふむ。怪しい者は居ないか?小姓で生き残ったのはお前だけだ。女中は?」
「怪しいと言えば皆怪しいのですが、女を信用しない信長さまは勘が鋭いので、怪しい者は側に置かなかったでしょう」
「そうだな」
光秀は頷いた。
光秀は自分自身が思う以上に女に甘いのだ。例えば信忠に言われて、本能寺の台所を手伝いに来たと言っていた人の良さそうな女が、本能寺を辞去した後、誰と会い、どのような会話をしたか、もはや永遠に知る事は出来ない。
「他には、信長さま到着前の支度でここの鍵を開けたので、本能寺の坊主どもは入れます」
「坊主以外に入れる奴は居ないのか?」
御殿のこの様子を知らなくては信長を殺せない。
「そういえば、宴会を中座した信長さまが休憩のため入った折、湿気がひどいので乾拭きをするようにと、五郎作に命じていました」

光秀、五郎作と対面する。

「五郎作?誰だ」
「もう、二十年以上いる寺男です。とてもではないが密偵などが務まる男ではありません」
「今回の戦で死ななかったのなら連れて来い」
「はい」
竹虎は、五郎作を跪かせようとした。その時、五郎作の懐から黒い雑巾のような布が零れ出た。
「何だ、それは。ネズミの死骸ではないのか?」
「違います。おらの作った人形です」
「人形?紐が出ているな」
五郎作は、器用に紐を引いて人形を動かした。まるで生きているようだと光秀は思った。
「そなたが考えてつくったのか?」
「考えたのは父の綿貫与四郎です。若い頃に手伝いました」
「人形作りの名人と言われた綿貫与四郎か。安土城で会ったことがあるぞ」
「あの親父は、そんなふうに言われているのですか」
貧相でいつもぼんやりとした男の表情が変わった。自慢の父、しかし自分は到底父の技術を超えられず、出来の悪い二代目にさえなれなかったことから来る父への憎悪。矛盾した感情が五郎作を揺さぶっていた。

光秀は思い出した。そういえば、安土城では大きな人の形をしたものを作っていると女中たちが噂をしていた。その時たまたま、庭にいた綿貫与四郎と話をしたのだ。
「上様は素晴らしい方です。人智を超えている。これからの戦は、人がするものではない。いかに少ない人の損耗率をもって、大きな勝利を得るか。その工夫を考えるのだとおっしゃった」
「人が戦をせねば誰がするのか?」
光秀は笑って尋ねた事があった。
「それを今作っているのですよ」
綿貫与四郎は真剣な表情をして言った。

「そうか、親父は信長さまのところに。おらたちは親子二代で信長さまに仕えたことになる」
五郎作の言葉に、光秀は現実に引き戻された。
「ところで、お前は何故寺男をしているのだ?」
「親父のように細かい仕事はうまくなかったからです」
五郎作は妙におどおどした様子で、人形を懐に戻した。
光秀は言った。
「五郎作、わしの目を見よ」
「こ、こ、こうですか」
五郎作は、怖じ気づきながら、やっと目を合わせた。光秀は首をかしげて、竹虎に尋ねた。
「こいつは、いつもこのような態度なのか?」
「いいえ、普段はうすらとぼけたような態度です」
「ふうむ」
光秀は、信長が安土城内の小部屋で、綿貫与四郎に作らせていたものが、鎧ではなく等身大の木偶でくだったのだろうと見当をつけた。確か紐で吊るされた木偶だった。
あれを戦場の最前線に、人の代わりとして置くつもりだったのか。
考える光秀に、宗室の言葉が閃いた。三国志演義曹操袁紹と戦う際に、投石を行う車を発明し、実用した物語があった。信長が事実、曹操の行動を真似していたのなら、新兵器の開発にも着手していただろう。新兵器、それは紐を操ることで手足を動かす巨大な木偶だったのだ。
光秀は、思い切った一歩を踏み出す気持ちで竹虎に尋ねた。
「竹虎、五郎作が紐を持ち歩いている所を見たか?」
「はい、乾拭きをするのに御殿に入る時に見ました」
「ここに信長殿が入る時に南蛮の家具を新調したな?」
「はい」
「それから、それ以前も本能寺で南蛮の家具を使っていたな。それは何処にある?」
「はい、使っていました。今も本能寺の中にあるはずです」
「それを持ってきてくれ」
「はい」
四五人の兵士が、急いで卓と椅子五脚を運んできた。
「それから、細くて丈夫な紐も持ってきてくれ」
紐も直ぐに来た。(続く)

密室 本能寺の変 (祥伝社文庫)

密室 本能寺の変 (祥伝社文庫)