魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

風野真知雄『密室本能寺の変』(その十五)

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斎藤義龍像。ウィキメディア・コモンズより。

弥助の供述

光秀は頭を抱えた。一体どういうことなのだ。三人が三人とも信長暗殺に成功したという。
もはや、誰が信長を暗殺したのかは問題ではない、誰でもよいからこの光秀に都合の良い者を暗殺首謀者として討ち果たして、天下に号令をかけるのが一番利口だ。合理的だ。
斎藤利三の言う通りだ。だが、光秀の心の中では得心がいかなかった。自分自身の信長を慕いながら、信長を討ちたいとの気持ちの整理の付け方がわからなかった。
その時、声がした。
「光秀さま、弥助を見つけました」
南蛮寺の辺りをうろうろしていたらしい。
光秀の前に座らされた弥助は言った。
「何故このようなことを?奇怪な手を使ってまで」
「奇怪な手?」
弥助に強い口調でなじられた光秀が聞いた。
「誰も入れない御殿の中で、どうやって上様を殴り殺したのか?」
「殴り殺されたのか?」
「空とぼけて。わたしは見ました。上様は顔や頭を数度殴られて亡くなられました」
言い終わると、弥助は歯を食いしばった。
「どうなさいます?」
「好きにさせよ。南蛮寺に行かせてやれ」
去ってゆく弥助は、もう一度光秀に憎しみの目を向けた。

光秀、信長撲殺の謎を解けるか?

「何ということだ」
信長は撲殺されていたのか。であれば三人とも暗殺に失敗したのだ。
「では、誰がやったのだ?」
思わず斎藤利三を見た。利三は答えに窮した。
「信長殿の短い本能寺滞在の間に、誰が奇妙な仕掛けを以て暗殺できるというのだろう」
「光秀さま、狙われているのを承知な家康が何かをしたのでは?」
「今日、家康は利休と組んで何かなすつもりでいたが、今頃大慌てで逃げ出しているだろう」
「では秀吉は?」
「今は、四国攻めに勢力を割いている。牙を剝くのはこれからだ」
「では、他には?」
「昨夜手が出せたのは、ここ本能寺に来ていた者に相違ない」
光秀がそう言ったとき、家臣の声がした。
「殿、生き残った女中の中に信長殿の最後の声を聞いたという者が居ました」
「直ぐ連れて来い」
この女中は、ひたすら怯えて、戦の終わるのを待っていたらしい。
「その方、信長殿の声を聞いたというが、まことか?」
「はい、御殿の中から大きな声を聞きました」
「何と言った」
「『何者だ』と仰いました」
「ではやはり、御殿の中に人がいたのか」
光秀が叫んだ。
「そんな筈ございません」
高田竹虎が言った。
「それから『其方、斎藤義龍か』と仰いました」
女中が言った。
光秀は、訳が分からなくなった。斎藤義龍は道三の実子で、長良川の戦いで実父道三を死に追いやった人物だ。娘婿の信長も義龍と戦った。しかし二十年程前に、死因不明で世を去った。一時は呪いやら、毒殺やらの噂が絶えなかった。しかし何故今頃?
まさか亡霊でも見たのか?光秀の背筋を冷たいものが走った。だが、信長が亡霊を見たというならば、見るべき亡霊は他にも多数居るのではないか。何故義龍の亡霊が出て来なければならないのか?
しかも、信長は実際に数回頭を殴られて死んでいる。何故だ何故だ。
光秀は、思わずふらふらと庭に出た。雨で一面水浸しとなった庭を呆けたように、二回大きく周回した。

光秀、四人を解放する。

光秀は、焼け残った御堂の部屋に入った。
「お帰り頂こう」
日承上人、近衛前久、花山院高雅、島井宗室に言った。
近衛前久が真っ先に口を開いた。
「よいのか」
「構いません。あなた方の誰も、信長殿の暗殺に成功しなかったのだから」
「何ですと」
島井宗室は呆れて言葉が続かなかった。
「どういうことだ」
近衛は憤然とした。
「最後に信長殿を見た者の話によると、信長殿は頭や顔を殴られて死んだのだ」
「殴られて?」
「撲殺?」
近衛前久と花山院高雅が顔を見合わせた。
「それはむごい殺され様だったとか。そなたたちが用いた方法では撲殺は出来ぬ。だから、引き取ってもらって問題ない。皆無駄骨に終わったな」
光秀は早く去れと言わんばかりに、手早く襖をあけて、その脇に立った。
四人が各々口を開いた。
近衛前久は光秀の脇をすり抜けながら言った。
明智、くさい芝居をしたものだ」
日承上人は言った。
「もともと刺客を忍び込ませていたのだ」
島井宗室は言った。
明智さまならどのような仕掛けでもできます」
「そうか、そうだな」
皆、頷いて同意した。
「そうして、我々が失敗したと分かったから、切り札の刺客を発動した。我々に信長を殺させておいて、おもむろに仇討をする肚心算だったが、自らが暗殺したのだから、夜討ちの成功とするしか方法はなかったのだろう」
近衛は振り返りざま、光秀をきつく睨んでなじった。
「何とでも申されるがいい」
光秀は襖をぴしゃりと閉めた。よくも下らない邪推をするものだ。だが道理は近衛なりに通っている。
まさか撲殺されるとは・・・余りにも惨めな死に方だ。人並の喜怒哀楽を持つこともなく、常に苛烈で傲岸不遜な振る舞いから、さぞかし不特定多数に恨まれていたではあろうが、天下をほぼ手中に収めた信長に相応しい死に方をしてほしかった。そう思うと涙がひとりでに溢れた。何としても下手人を探し出さなければと強く思った。(続く)

密室 本能寺の変 (祥伝社文庫)

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