魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

風野真知雄『密室本能寺の変』(その十四)

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赤壁の戦い」を前に、詩を吟ずる曹操。中国「頤和園いわえん」(北京市)内「長廊」の装飾画。ウィキメディア・コモンズより。

光秀、島井宗室を尋問する。

斉藤利三は困惑して言った。
「どういうことでしょう、近衛も自分が信長を殺したと」
「奇妙だ。こうなると鳥井宗室にも話を聞かない訳にはいかない」
島井宗室は既に回廊にやってきていて、近衛の話の最後の辺りを聞いたらしい。
「まさか、明智様が信長さまを討つとは」
「どうせ誰かに討たれるなら、わしが討とうと思った」
島井宗室は光秀の言葉の意味が判りかね、光秀の目を見て言った。
明智様は、誰かに討たれるとお思いで。確かに千利休を含め堺商人、博多商人は皆信長さまを疎んじていましたが」
「疎んじる理由は、茶の湯のことか?」
光秀はズバリと言った。
「それもあります。そもそも信長さまは、本当に茶の湯を好んでいたわけではありません」
「では何を好んだのだ?」
「茶器など道具そのものです。いわば物狂いの面があった。武器取集もその一つです」
人を信じず、物を信じる。確かにそういう面が信長にはあった。
「しかも、茶器に価値を持たせ、褒美として下賜する必要があった。領国、朝廷の官位に続く第三の褒美を創り出す。そのために、茶の湯の世界で頂点に立った」
「ほう」
「信長さまは頭の切れるお方でした。領国(不動産)には限度がございます。朝廷の官位も上がつかえてしまいます。手続きも煩雑です。その代わりに名物茶器で褒美を施せば、これ程安上がりなことはございません」
「それはそうだな」
「そもそも、信長さまの安土城や普段のお姿を見ても、わびさびの真反対の派手好みです」
光秀も思った。万事派手好みの信長にはわびさびはそぐわない。信長は、茶の湯などは勿体ぶった所作、茶人などは鼻持ちならない連中だと内心軽蔑していただろう。
「私は、信長さまは魏の曹操を信奉しておられたかと」
魏の曹操?いきなり何だ。魏・呉・蜀の曹操か。光秀にはサッパリ見当がつかない方向に宗室の話が進んだ。
「わしも三国志耳学問で知っているつもりだが、何故そう思ったのだ」
「若き日の信長さまの出で立ち、振る舞いは曹操の真似をしたものかと。曹操の若い頃は、軽い絹の服を着用し、身体には小さな革の袋をぶら下げて、細々としていた物を入れていたらしいです」
信長の若い頃は、茶筅ちゃせんまげを結い、浴衣をだらしなく着用し、風流踊りに精を出していたらしい。腰に搗栗かちぐりや縁起物等を入れて歩いていた逸話が残っている。まさに、曹操の姿は信長の姿そのものだ。
「わしも、京屋敷に僧侶を呼んで、一晩講義を頼んだことがある。軍略についても大いに参考になった。物語の『三国志演義』も面白いぞ」
「信長さまも同じように思われたのでしょう。戦の方法も、真似たところがあります」
「ほう、それは」
袁紹えんしょうを破った官渡の戦いです。袁紹軍十万対曹操軍一万の戦いで、曹操は、袁紹の食糧基地に奇襲をかけて、成功しました。又、石打ち車という新兵器を作らせ、活用しました」
他にも、宗教勢力に厳しいこと。異国に興味を持ち、詳しい者の講義を聞いたこと。
「そうか、信長殿も桶狭間で奇襲を成功させた。南蛮の宣教師ヴァリニャーノの話も熱心に聞いた。延暦寺を焼き討ちし、本願寺とも対立し、妥協しなかった」
「極めつけは、安土城です。京から少し離れた安土山を利用して、豪華絢爛な安土城を建てましたが、あれも曹操の銅雀台を倣ったものと思われます」
「何と、安土城も」
「他にもございます。例えば信長さまは居城を次々と移られた。清州城から岐阜城、そして安土城へと移動しました。他の戦国武将は誰もしなかったことですが、曹操も居城を度々移していました。『蕩王・武王といった天子は天下を支配する前に根拠地を同じくしたことは無い。もし堅固さを拠り所とするならば、機に応じて変化するのは不可能だ』と。信長さまは、この言葉に学ばれたのではないのでしょうか?」
島井宗室は表情を変えず、静かに言った。
「それでは猿真似人生ではないか」
光秀の中で何かが崩れた。
信長は、独自のやり方で天下人となったと思っていたのに。
「そこまでは申しませんが、強い影響を受けていた事は確かです」
島井宗室は言った。
「信長さまは曹操のように、唐土の中原に打って出たかったのでしょう」
それは光秀も感じていた。
「それに、其方たちは反対だったのだな?」
「勿論でございます」
「だが、戦があればお前たち商人は武器の交易で儲かるのではないのか?」
「いいえ、その儲けは一時です。戦は国や民を疲弊させます。やがて命まで脅かされます」
「それはそうだ」
「商売は戦が無いからこそ、栄えるのです」
「となると?」
唐土、朝鮮、ルソン、天竺にまで出兵しようとする信長さまには、何が何でも死んでもらわなければなりません」
「うむ・・・」
「わたしは商人の都合からのみ信長さまの命を狙ったのではありません。この国の民がしなくてもよい戦に巻き込まれるのを、阻止するためでもありました。信長さまがこのまま天下統一を成し遂げ、曹操を超えるために唐土に攻め入ったら、大きな禍根を残したでしょう」
「それはお互いさまではないのか。我が国にも元寇があった」
「幸い食い止められました。海を越えるのは我ら商人のすること。武力を持った者が海を越えても、何も持ち帰れません。混乱を生むだけです。商人なら富を持ち帰る事ができます」
島井の言うことの方に道理があるかも、と光秀は思った。
光秀は、博多商人の目には信長がどのように映っていたのか尋ねた。
「足りることを知らない強い人でした。唐土の王となったとしても、満足しなかったでしょう。茶器も愛でるわけではなく、自分を通して拝領させたかっただけです。信長さまの欲を際限無く膨らませてはいけなかったのです」
宗室は身体をぶるぶると震わせながら言った。
「では、どの様にして信長殿を殺そうとしたのだ?連子窓から撃つのは困難だぞ」
「炭に似せた竹の輪を使いました。竹筒の表面だけ焼き炭に見せかけました。その筒に、火薬を詰めて、鉄砲の弾込め用の筒で押しつぶします。その上にピッタリ塞がるくらいの鉛の弾丸をこれでもかと詰め込みました。火で熱せられると、弾が飛び出します。囲炉裏に置き、筒先は信長さまの座る位置に向けて置きました」
「何と」
「信長さまが湯を沸かそうと灰をかき分け、炭をおこすと、ズトンと」
まことなら、この光秀の前で実演してみせろ。今できるか?」
「勿論でございます」
島井宗室は、偽の炭を焚火に入れ、茶の湯の囲炉裏の中で熱せられるのと同じ状況を作った。
「お下がりください。危ないです」
光秀が固唾を飲んで見守っていると、間もなくパーンと乾いた破裂音がした。
鉛の弾丸が飛び出した。
「おお」
光秀の脇にいた斉藤利三が仰け反った。
危うく弾に当たるところだったらしい。まさに鉄砲の弾が出るのだ。
「そういえば、高田竹虎が、パーンという音を聞いたと言っていた」
「そうでございましょう。こうして信長さまを射殺いたしました」
島井宗室は胸を張って言った。光秀は愕然とした。(続く)

密室 本能寺の変 (祥伝社文庫)

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