光秀、密室の謎に挑む
そうこうするうちに、朝餉の準備が始まった。雨はやや小降りになった。
光秀と側近たちは、焼け残った御堂の回廊と部屋の間の敷居に腰掛けた。
「何とも面妖なことが起きたらしいな」
女中が下がると、光秀は呻いた。
「本当に御堂には誰も入れなかったのでしょうか?」
斎藤利三が御殿の残骸を指さして尋ねた。
「信長殿が亡くなった事だけは本当だろう」
だからこそ、御殿は焼け落ちたのだ。
「わしも入ったことがあるが、中から閂をかけたら、誰も入れない。鉞で扉を叩き毀して入ったというのも嘘ではあるまい。わしは、信長殿がここに何か仕掛けていると思ったので、検分と称して、何度も入った。妙な建物だった」
「どんな風に?」
「恐ろしく頑丈で、三十人程の兵士が立て籠れる上に、中から狙撃したり、弓を射たりすることができる。中から閂をかければ誰も入れぬ。わしは亀山城からこちらに向かっているとき、密室になれば焼くしかないと算段していたのだ」
「だが、御殿は燃え尽きてしまいましたな」
「それは信長殿の遺骸の外に何もないからだ。もし中に信長殿と三十人の兵士が立て籠もっていれば、わしは今でも近つけなかっただろう」
ここには、信長の収集した奇妙な武器、鉄砲、弾薬が有り余る程貯蔵されていた。
「では、誰かがこの難攻不落の建物を逆手に取り、信長暗殺に成功したと?お心当たりは?」
斎藤利三が尋ねた。
「ある」
光秀は大きく頷いた。
「昨日か一昨日にこの建物の特徴を密かに見て取った者だ」
「なるほど」
「その者たちは既にわかっている。信長殿がここに来てからの事は、逐一京屋敷の家来から報告を受けている」
「その者たちが自ら名乗り出ることは?」
斎藤利三が尋ねた。
「まずないだろう。卑劣な手段を用いて暗殺した、と笑い者にされるだけだ」
「それはそうです」
「わしは何としてもこの謎を解き明かして、その者を討たねばならぬ。そうでなければ、わしの謀反が成功したことにはならぬ。天下を取ったことにならぬ」
側近は皆一斉に頷いた。
高田竹虎の供述
「ここから誰かいなくなった者は居ないか?」
光秀は周囲を見回して尋ねた。その者が下手人かもしれない。
「弥助がおりませぬ。弥助が上様を討つ理由はありませんが、何かを知っているかも」
「弥助を見つけたら、討たずにわしの前に連れて参れ」
「はっ」
「ほかには?」
「小姓達の殆どは、御殿の周りで死んでいます」
自分が一番信長を慕っていると自負している光秀は、森蘭丸の話題をあえて避けた。
「竹虎はどうした?」
光秀は斎藤利三をじろりと見て大声で叫んだ。
「ここに」
高田竹虎が庭から回廊まで駆け寄り、光秀の前に跪いた。
「無事だったか?」
「はい」
「わしと通じていたことは露見しなかったか?」
「誰にも知られていません。只最後は一緒に死なねばならんのかと、冷や汗をかきました」
「だろうな」
光秀は倒れている男たちの顔をみながら、虎竹に尋ねた。
「そなたは、信長殿の死を確かめたのだな?」
「それが、丁度攻撃がひどくなってきた時で・・・」
「では、確かめてはいないのだな?」
「離れたところで、ぐったりした遺骸を見ました。あの時の蘭丸や弥助の嘆きようを見れば、信長殿の死は明らかです」
「なるほど。蘭丸は誰かを疑っていたか?」
「わかりません。必死で戦っていました」
「信長殿が御殿に入ってから、何か変わったことは無かったか?」
「闇の中に、細長い光が動くのを見ました」
「細長い光?それは何だ?」
「おそらく刃物の光だと・・・。しかしあんな細長い刃物がこの世にあるのだろうか?それと、女中が御殿の廊下の外に、うどん粉のような白い粉が落ちていたのを見たそうです」
「ずっとあったのか?」
「いつの間にか、風に吹き飛ばされていたようです」
「ふむ、気になるな」
「それと信長殿が御殿に入ってしばらくの後、パーンと乾いた、鉄砲によく似た音がしたそうです」
「そういう時は、一回りしてほしかったな」
「申し訳ありません」
竹虎は頭を垂れた。
「もうよい、下がれ。囲碁の対局をした二人の坊主を呼べ」
日海と利玄坊の供述
光秀と側近たちは、御堂の中に入った。柱や壁に銃弾の後が無数にあり、板の間は血まみれだ。侍大将は素早く、十数体の遺体を片付けさせ、血を拭き取らせて、光秀の坐る場所を作った。
「連れてきました」
「通せ」
「こっちが日海、向こうが利玄坊です」
この体格では、この寺の坊主でも、僧兵の働きは無理だ。囲碁の腕前は兎も角。
光秀は早口で二人に尋ねた。
「囲碁は信長の命令で打ったのか?」
「いえ、日承上人さまが、信長さまを楽しませてさしあげなさいと」
「信長殿は将棋の方が強いのに、何故囲碁を?」
「当寺には将棋に強い僧がおりません」
「なるほど。ところでわざと三劫を作ったのか?」
「そんな」
「二人で示し合わせてそうなる局面を作っただろう。わしは攻撃している間、奇妙に思った。僧兵が一人もいないのだ。この寺には僧兵はいないのか?」
「四、五十人ほどおります。何かあれば兵として戦います」
日海が答えた。
「騒ぎは聞こえていたはずなのに、一人として見なかった。おかしな話だ。攻撃の時、そなたたちは、何処で何をしていた」
「上人さまに、遠くに避難するように言われたので、信長さまのおられる所とは、反対の所に行きました」
「そこには他の坊主もいたのだな」
「はい、殆どの僧が」
「其方たちはもうよい。ご住職を呼んでくれ。」
光秀が怒りを込めた声で言った。斎藤利三が心配そうに光秀の顔を見た。(続く)