魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

マイク・フラナガン監督の『アッシャー家の崩壊』をめぐって(レビューではない)

『アッシャー家の崩壊』から、謎の女性ヴェルナ役のカーラ・グギノ。www.imdb.comより。

マイク・フラナガン監督の『アッシャー家の崩壊』というホラー映画が10月12日からNetflixで配信されており、その1ヶ月前からYouTube上で公開されていたのが下の公式予告編(英語版)です。


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マイク・フラナガンという映画監督は、スチーブン・キングの小説を映画化した『ジェラルドのゲーム(Gerald's Game, 2017)』という作品で日本でも有名ですね。その他にも、確か『真夜中のミサ(Midnight Mass, 2021)』という作品がアメリカでちょっとしたセンセーションを巻き起こしたように記憶しますが、日本ではあまり話題に上らなかった。日米間のホラーに関する嗜好の相違の他に、宗教がらみのテーマだったせいで、日本人にはピンとこない面があったのかも知れません。
私はエドガー・アラン・ポーが好きなんですが、マイク・フラナガンのファンではないので、この『アッシャー家の崩壊』の噂を聞いても、わざわざこれを観るためにNetflixに加入しようとは思わなかった。ただポーについて、今のアメリカ人はどういうイメージを持っているのだろう、という点については大いに関心があったので、上の予告編のコメント欄などは興味津々で眺めておりました。
今は作品も公開されて、上の予告編のコメント欄も実際に作品を視聴された方の感想が主になっています。まあ、ROTTEN TOMATOESやIMDbのレビュー欄同様、毀誉きよ褒貶ほうへんこもごも到る、といったところのようですが、特に目立つ批判としては「キャスティングが多様性ダイバーシティに配慮しすぎていて、ために作品全体が滅茶苦茶になっている」というのが多く見受けられます。この「多様性ダイバーシティ」をめぐっては、アメリカのエンタメ界のみならず、文化シーン全体が大きな地殻変動のごときものに巻き込まれているようですね。そうしてこれに混じって目につくのが「ポーに対するリスペクトが足りない」というものです。
この映像作品は、作品全体のタイトルはもちろんのこと、8つのエピソードのそれぞれにポーの作品からの引用を冠している。のみならず、ポーからの引用はドラマのセリフ中にも出てくるようです。
下の動画にはポーの「夢の中の夢」という詩からの引用が出てきます。


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下は「海中の都市」という詩からの引用。


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このように、この映像作品にはポーへのオマージュがちりばめられているかに見えるのですが、実際に観た人に言わせると「これのどこがポーなんだ?タイトルはただの釣りに過ぎない」といった代物らしい。
実はこの「ポーが草葉の陰で泣いている」といった批判は、公式予告編が公開された当初から、「楽しみだ!!」「(配信が)待ち切れない!!」といった大多数の歓迎の声に混じって、結構投稿されておりました。私の目に止まったのは、たとえば予告編が公開されて二、三日目に投稿された、こんなコメントです。

何か新しいものを作ろうとは思わないのか?
Netflixはその代わりに、ポーのあらゆる作品を引っ張ってきて、甲高い効果音ヴァイオリン・スクリーチや、びっくり箱ジャンプ・スケアや、ポーが決して創ることのなかったモンスターなどとごちゃまぜにするのだろう。そうして万人がこの駄作を絶賛する。なぜならNetflixはポーの作品のいいとこ取りをして、何かユニークなものが創造されたかのように披露するだろうからだ。
これが原作の忠実な映像化だったらよかったのに。
知ってるかい?ポーは四十やそこらで金に困って死んだんだぜ。「大鴉」の稿料はたった1ドル25セントで、彼がそこから手に入れたのは近所の子供たちとの遊びだけだった。子供たちはポーの後をこっそりとついて歩いて、ポーがくるっと振りむいて「ネバーモア!」と叫ぶとみんな笑って逃げたんだ。
もし君がこの映画を観るのなら、せめて原作も読んで欲しい。君が読書が苦手なら、丸一日かかるかも知れないが、それで君はホラーの何たるかがわかるはずだ。

確かに、今をときめくフラナガン監督と、今から二百年ほど前にボルティモア野垂れ死にした貧乏詩人とのイメージ上のギャップを思いますと、何か暗澹たる気分になりますね。
なお上のアドバイスに「君が読書が苦手なら(『アッシャー家の崩壊』の原作を読むのに)丸一日かかる」とあるのは、「君が古文を読むのが苦手なら」という意味です。何せ今から二百年前に書かれた小説ですので、その文体は今のアメリカでは立派な古文体であるわけです。確か他の人のコメントで「原作は学校で読まされたが、さっぱりわからなかった」というのもありました。またこの「アッシャー家の崩壊」の原作のAmazon.comのコメント欄に「オリジナルはスタイルが古すぎて何が書いてあるかわからないので、今の英語に書き直したものを読んで、それなりに感動した」とあるのを見た記憶もあります。
このブログにはポーの小説を今の日本語に訳したものを幾つか載せております。これを見に来るお客さんは学生の方が多いようですが、日本の学校では今でもポーの作品を英語教材として用いているのでしょうか?もちろん古典に触れること自体は貴重な体験ですが、ポーの作品を英語教材に使うことは、『雨月物語』を日本語教材として使用するようなもので、とても適切だとは思えません。
上記の通り、ポーの作品について、これが発表された当時の衝撃をじかに感じることは、今のアメリカ人にとってももはや困難なこととなっている。これに対して日本の読者は、ポーの作品を今の日本語に直したものが読めるのですから、別に丸一日家に閉じこもらなくても、たとえばボードレールが初めてポーの作品に接した際の衝撃をリアルに追体験できるわけです。このチャンスをお見逃しなく。

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