魔性の血

拙訳『吸血鬼カーミラ』は公開を終了しました。

(日本語訳)ボードレール「メス女(Mademoiselle Bistouri)」

アンリ・ジェルベクス「手術前(サン・ルイ病院にて、自身が開発した止血鉗子について他の医師たちに説明するジュール・エミール・ペアン医師)」。ウィキメディア・コモンズより。

ガス灯のもと、パリの郊外の果てまでたどり着くと、俺は腕の下を腕が流れるのを感じ、耳に「医師の方ですよね」という声を聞いた。
見ればそれは背が高く、体格のいい娘さんで、薄化粧をして、ぱっちりと目を見ひらき、髪とボンネットのあご紐とを風になびかせているのだった。

ポーク・ボンネット(あご紐のついたボンネット)。学校教科書用のイラスト。ウィキメディア・コモンズより。

「いいえ、俺は医者ではありません。さよなら」
「いいえ、あなたはお医者様です。まるわかりだわ。うちにいらして。いい思いをさせて差し上げますよ。さあ」
「もちろん、伺いますとも。あなたが医者にかかった後でね。何なんだ…」
「あら」彼女はなおも俺の腕を取ったまま、からからと笑った。「面白いお医者様ね。そのような方も何人か存じ上げておりますわ。さあ」
俺はミステリアスなものが大好きなのだが、それは謎解きが好きだからだ。それで俺はこの謎の女に心惹かれてというよりも、この女の謎を解きたくて、あとに従った。
ボロ家の描写は省略する。それは昔のフランスの詩人たちがしばしば歌ったものだ。ただ、レニエの中にも見られないのは、二三の名医の肖像が壁にかかっていた点である。

ドラクロワが描いたマチュラン・レニエ。ウィキメディア・コモンズより。

俺は結構な思いをさせてもらった。大きな火、ホットワイン、そして葉巻。このような快楽を俺に提供しながら、また彼女自身も葉巻に火をけながら、この珍獣ブフォン・クレアチュールは言うのだった。
「くつろいで、先生、快適になさって。こうしていると若い頃を、病院勤めの頃を思い出すでしょう。あら、この白髪しらが、どこでもらってきたの。L病院の研修医だった頃のあなたは、それほど昔のことではないけれど、こんな風ではなかった。あなたが大手術のお手伝いをなさっていた時のことを覚えています。切ったり刻んだりが大好きな先生がいる。その先生にメスやら糸やらスポンジやらを手渡すのがあなただった。手術が終わると、先生は懐中時計を見ながら、何と得意げに言ったことか、『諸君、5分だよ』と。ええ、私はどこへでも参りまして、医師の方々と親しくさせていただいておりますの」
しばらくして、タメ口での対話となると、彼女はまたしてもあの復唱句アンチエンヌを再開した。
「あんた医者よね、ダーリン」
この不可解なリフレインに、俺は飛び上がった。「違うノン」俺は憤然として叫んだ。
「執刀医よね」
違うノン違うノン。首をちょん切られたいのか、こん畜生」
「待って」彼女は続けた。「見せたいものがあるの」

ジョルジュ・キュヴィエの肖像。ニコラ・ウスターシュ・モーラン(Nicolas Eustache Maurin)によるリトグラフウィキメディア・コモンズより。

そうして彼女は戸棚から紙の束を取り出してきて、それは他でもない、当代の名医の肖像のコレクションだった。モーランの手になるリトグラフで、ヴォルテール通りの古書街に何年も展示されている、お馴染みの品だ。

ヴォルテール通りの古本屋。1821年。ウィキメディア・コモンズより。

「これが誰だかわかるかしら」
「ああ、これはXだ。下に名前が書いてあるね。だが俺は個人的にも知っている」
「でしょ。ほら、これはZ。講義中、Xのことを『魂の闇が顔に出ているこの怪物』と言った人。同じ問題について意見が合わないという、ただそれだけの理由でね。学生時代、そのことでどんなに大笑いしたか、覚えているかしら。これはK。自分の病院で治療を受けていた反逆者たちを政府に突き出した人。あれは暴動の時代だった。こんな美男子が、あんなにも薄情だったとはね。これはW。イギリスの名医。パリへ旅行に来た時に引っかけたの。女の子みたいでしょ」
そうして俺が同じく小円卓ゲリドンの上に乗っている、紐のかかった包みに手を伸ばすと、「ちょっと待って」と彼女は言った。「そっちの包みは医者のタマゴアンテルヌ、こっちの包みはそのまたタマゴエクステルヌ
そうして彼女が扇形にひろげて見せてくれたおびただしい写真には、青少年の顔が写っていた。
「今度会ったら、あんたの写真もちょうだいね、ダーリン」
俺は俺で、当初からの疑問にこだわっていた。
「お前はどうして俺を医者だと思うんだい」
「それはあんたがいい人で、女に優しいからよ」
「謎が解けない」と俺はつぶやいた。
「そう、私はめったに間違えない。私はお医者様をたくさん知っている。そうしてお医者様たちがあまりにも好きなものだから、時には病気でなくても、ただ会うためにだけ会いに行くの。中には『あなたはどこも悪くありません』などと冷たく言い放つ人もいる。でも他の人たちはわかってくれるわ、私が変顔をするから」
「で、わかってくれない時は」
「その時は、いたずらに心をかき乱したお詫びのしるしとして、暖炉の上に10フラン置いてくるの。みんな優しくていい人たちばかりよ。――ある日、私は慈善病院で、まだ子どもの研修医を見つけた。天使のように可愛い子で、しかも礼儀正しいの。それなのに、彼は苦労しているのよ、かわいそうに。彼の同僚たちの話によると、彼のご両親は貧しくて、お金を送ってくれないものだから、彼は素寒貧すかんぴんなんだって。それが私に勇気をくれた。何たって私って超美人だし、大人だし。私は彼に言った。『会いに来て。ちょくちょく会いにいらっしゃい。私のところでは気を使わないで。お金は要らないから』でも私はこれを遠回しに言ったの。強引に迫ったりはしなかった。彼を傷つけたくはなかったから。ただね、私がどうしても口に出して言えなかった愉快な夢が、あんたにわかるかしら。私は彼が手術道具一式を携えて、少し血の付いた前掛けをしたまま、会いに来てくれたらいいなと思っていたの」
彼女はこれを、まるでシャイな男性が推しの女優さんに向かって「あなたがあの当たり役の衣裳を身に着けた姿が見たいナー」とでも言うような調子で、およそ天真爛漫に言った。
俺は執念深く食い下がった。「いつ、どんなきっかけで、お前の心にその奇妙な欲望が生まれたか、思い出せるか」
これを合点がってんさせるのは至難の技だったが、俺はとことん頑張った。だが「わからない…思い出せない」と答えた時の彼女の様子は実に悲しげで、俺の錯覚でなければ、目が泳いでさえいたのである。
大都会を逍遙し、観察するすべを知っている者は、何たる怪事件に出くわすことだろう。この世は無邪気な怪物たちに満ちている。よ、万物の造り主よ。「法則」と「自由意思」とを造りたもうたよ。事物の発生を認め、裁き、赦したもうよ。原因と結果とに満ちみちたよ。メスの先端に癒しを置くごとく、おそらくはわが改心のため、わが精神にホラーへの嗜好を置きたもうたよ。心狂える男女の上に憐れみを垂れたまえ。このような狂人たちが存在する理由について、このような狂人たちが出没するからくりについて、ただ一人ご存じのなればこそ、彼らの狂態を目にしていないわけがないのだから。

*『小散文詩集(パリの憂鬱)』47。原文はこちら