『悪の華』第二版(1861年)の掉尾を飾る雄篇。この痛烈なペシミズムは今なお輝きを失わないどころか、現代においてこそ、よりいっそう輝きを増している気がいたします。原文はこちら。
マクシム・デュ・カンに捧ぐ
I
銅版画やら地図やらを見るのが好きな子にとって
世界は彼の食欲と同じ程度に広大だ
夜のランプに照らされた世界の何と広いこと
なのに記憶の目に残る世界の何と狭いこと
ある朝 僕らは鹿島立つ 脳髄を炎上させて
苦渋に満ちた欲望と未練に胸を焦がしつつ
僕らは船を進ませる 波のリズムに身をまかせ
有限の海のゆりかごに 無限の夢をあやさせて
悪名高い祖国からさっさと逃げる人もいる
ふるさとだから去る人も また美女の目に魅せられた
恋の占星術師たち*1 危険な香りを身にまとう
冷酷な魔女キルケから逃げようとする人もいる
魔法によって動物とされないうちに逃げ出して
ただ空間に 光明に 炎の空に酔い痴れる
肌に噛みつく氷雪が 肌身を焦がす太陽が
切ないキスの傷跡を 時間をかけて消してゆく
とはいえ真の旅人は ひとえに旅をするために
旅に出ようとする人だ 気球のごとく気も軽く
持って生まれた宿命を逃れるすべもない彼ら
わけもわからず四六時中言っているのだ「行こうぜ」と
その欲望は浮雲のかたちをまとうこの連中
新米兵が大砲を夢見るごとく 夢に見る
移ろいやまぬ 未知にして しかも偉大な快楽を
人間たちが今もなお呼び名を知らぬ快楽を
II
残念ながら僕たちは クルクル回る独楽のよう
ポンポン跳ねる鞠のよう 睡眠中も僕たちを
なぶり いたぶり もてあそぶ「好奇心」とは 太陽を
発止発止と鞭で打つ非道きわまる「天使」のようだ
変なゲームだ このゲーム ゴールが絶えず動くのだ
ゴールは無いにかかわらず ゴールはどこにだってある
これに加わる「人間」は 断じて絶望しないから
安住の地を追い求め 狂ったように駆け回る
イカリア島を探す船 それが僕らの魂だ
甲板上で声が呼ぶ「そろそろ何か見えないか」
マストの上で 熱狂に駆られた声が絶叫する
「愛だ 名誉だ 幸福だ」やれやれ それは暗礁だ
見張りによって指呼された小さな島という島は
「宿命」によってあらかじめ約束された「楽園」だ
歓喜の渦を巻き起こすこの素晴らしい「想像」が
朝の光に見るものは ただのつまらぬ岩礁だ
おお幻想の国々に恋する不憫なる者よ
その錯覚は海水をひとしお苦くするだけの
「新大陸」の発明者 この泥酔の船乗りは
鉄の鎖に縛りつけ 海に投げ込むべきなのか
この年老いた浮浪者は 泥濘に足を取られつつ
大気に鼻をそばだてて 桃源郷を夢に見る
魅せられている彼の目は キャンドルの火の輝きが
一陋屋に灯るたび 花の都を発見する
III
たまげた旅のおじさんよ 海より深い君の目に
僕らは何と高潔な経歴を読むことだろう
星と霊気でできているその財宝の数々を
君の記憶の宝石箱を どうか僕らに見せてくれ
蒸気船にも帆船にも乗らずに旅がしたいのだ
どうか僕らの牢獄の闇に明かりを灯すため
白紙のごとく広がった僕らの精神の上に
君の記憶を 水平線の額縁つきで 航海らせてくれ
お言いよ 君は何を見た?
IV
「われわれは星を見た
波を見 そして砂を見た
思いも寄らぬトラブルや多くのショックにかかわらず
この地においてと同様に われわれはよく退屈した
紫いろの海上にのぼる朝日の美しさ
沈む夕日に照らされるもろもろの都市の美々しさは
海に映って人を呼ぶ蒼天に身投げがしたいという
絶えることなき憧れを われらの胸に掻き立てた
もっとも富んだ街々も もっとも偉大な風景も
雲を使って『偶然』が作る影への 謎めいた
浮気心をどうしても抑えることができなくて
欲望は常にわれわれの心を動揺させていた
快楽が欲望を勢いづけてくれるのだ
快楽を肥料に育つ年老いた樹よ 欲望よ
お前の樹皮がしなやかな性質を失うかたわらで
お前の枝は太陽をもっと間近に見んとする
糸杉よりも元気な樹 お前は常に伸びるのか――
とはいえごらん われわれが諸君の飢えたアルバム用に
心をこめて摘んできた この数葉の即興戯画
遠くから来たものならば 何でもよろこぶ兄弟よ
われらは象の鼻を持つ巨神の像にお辞儀した
数え切れない宝石が光る玉座にお辞儀した
諸君の国の銀行が破産の夢を見るごとき
燦然と装飾された大宮殿にもお辞儀した
人の目をうっとりさせるコスチュームにもお辞儀した
爪や歯を彩り飾る女人たちにもお辞儀した
よろこびの蛇が這い寄る蛇使いにもお辞儀した」
V
それから? それから?
VI
「やれやれ 幼稚な脳髄よ
忘れぬうちに言っておく 探し求めるまでもなく
あらゆる国の国民の 上下あらゆる階層の
いたるところでわれわれが目撃したのは他ならぬ
不滅の『罪』というものの愚劣な茶番だったのだ
女 すなわちゲスな下女 自惚ればかり強い馬鹿
自己崇拝も大真面目 自己を愛して嫌悪せず
男 すなわち暴君だ 助平にして粗野粗暴
女郎に奉仕する下郎 ドブを流れる泥水だ
大喜びの処刑人 涙にむせぶ殉教者
流血により絶妙に味つけされた大宴会
毒に中った暴君を骨抜きにする権力病
自分自身を無能と化す鞭に恋する愚民ども
われわれの宗教に似た 世のかずかずの宗教は
天をめざしてよじ登る 苦行に挑む聖者らは
虚弱な体質の人間が羽毛布団に包まるごとく
針の筵や馬毛の床に 安眠を探し求める
おしゃべり好きな『人類』はその天才に酔っ払い
今も昔も変わらない乱痴気ぶりを発揮して
生きるつらさに耐え切れず 天に向かって泣き叫ぶ
『おお主よ 俺の同類よ 貴様こそ地獄に落ちろ』と
これより少しましな者 『狂気』を愛でる勇者らは
『運命』に翻弄される世の人々と手を切って
麻薬が魅せる広大な夢の世界へ逃避する
以上が世界各地から届く不変の速報なのだ」
VII
苦い知識だ 旅人が旅からもらう教訓は
今日も明日も明後日も 退屈で狭い世界に
僕らが垣間見るものは 僕ら自身の影なのだ
倦怠の砂漠で出会う それは恐怖のオアシスだ
発つべきか 留まるべきか 留まれるなら留まるがよい
発つより無くば発つがよい 僕らの命を付け狙う
「時」という名の敵の目を欺かんとて 僕たちは
走り あるいは蹲る 中には絶えず駆け回り
さまようユダヤ人のよう または布教の使徒のよう
この忌まわしい網の目をかいくぐらんと 山を越え
海を越えてもまだ足りぬ連中もいる 一方で
揺籃の地を去らずして「時」を殺せる人もいる
「時」が僕らを蹴飛ばして 背を踏みつぶす日が来ても
絶望しない僕たちは なお叫ぶのだ「前進」と
かつて未知なる「中国」をめざして発った日のように
目をきらきらと輝かせ 髪をふさふさ靡かせて
血気盛んな若者の頃と少しも変わりなく
僕らは闇に閉ざされた「冥府の海」へ船出する*2
お聞き あたかもあの世から聞こえるような 甘美なる
あの歌声を「さあおいで この芳しい蓮の
実が欲しいなら 旅人よ あなたが夙に飢えていた
奇跡の果実 それはこの地の特産なのよ
おいでよ そして酔い痴れて この永遠に打ち続く
午後の時間の 理性では理解できない気持ちのよさに」*3
その打ち解けた物言いで 誰の声だかすぐわかる
両手を振って呼んでいる あれは僕らのピュラデスだ
「泳いで われはエレクトラ 心の傷を癒やします」
かつて僕らがその膝にキスした女の声が言う
Ⅷ
「死」よ 年老いた船長よ 時間だ 船を出してくれ
この地にはもううんざりだ 「死」よ 他界へと出帆だ
黒いインクに海空は塗りつぶされていようとも
僕らの胸は 知る通り まばゆい光に満ちている
元気をくれる猛毒の波を僕らにぶっかけろ
その火によって脳髄を炎上させた僕たちは
「天国」だろうが「地獄」だろうが 底の底まで堕ちに堕ち
「未知」の奥地に 新しい何かを探し求めたい
*1:エドガー・アラン・ポーの短編小説「ライジーア」に「彼女の明るい双眸は、俺にとっては双子座の二恒星、俺はその観察に生涯を捧げた一介の占星術師となった」云々。
*2:エドガー・アラン・ポーの短編小説「エレオノーラ」に「彼らは『名状しがたい光』の大海へ、舵もコンパスも持たずに突入し、ヌビアの地理学者の冒険を再現するかのごとく、『そこに何があるかを見究めようとして、暗黒の海に入る』」云々。
*3:この数行についてはアルフレッド・テニスンの詩「ロータス・イーター」参照。