魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

ボードレール「イカロスの嘆き」他四篇

ベアトリーチェ(La Béatrice)*1

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D. G. ロセッティ作「ベアトリーチェはある結婚式の披露宴でダンテと出会いながら、挨拶を拒否する」。ウィキメディア・コモンズより。

その日 一木いちぼく一草いっそうも生えてはいない 灰燼の
焦土に 俺はただ一人 悲運をかこち あてもなく
さまよいながら じっくりと 自分自身の心臓に
突き立てるべき短剣を 心の中で研いでいた
その折も折 真昼時 嵐をはらむ暗雲が
俺の頭上に舞い降りた その雲上の住人は
みにくい餓鬼の一群で 好奇の念に燃えている
およそ残忍酷薄な小人こびとのごとき連中だ
この連中は 道すがら 狂人を見て 手をたたく
馬鹿者のごとく 白い目で 俺をじろじろ見まわして
何度も顔を見合わせて 何度も目と目で合図して
時にげらげら笑っては ひそひそ話し合っていた

「こいつはとくと眺めたい この傑作なカリカチュア
ポーズを真似ているだけの この似せもののハムレット
髪振り乱し うろうろと道に迷っている男
この夢想家ボン・ヴィヴァンが ごろつきが 役にあぶれた俳優が
われは自分の適役の妙手とばかり 悲しみを
猛禽たちや虫たちや せせらぎたちや花々に
歌おうとして あまつさえ 当の茶番の作者たる
俺たちにさえ 人前で 不平不満をたらたらと
訴えたいと願うとは 何と悲惨なことだろう」

威厳に満ちたこの顔を 軽くそむけていただろう
なぜなら俺のプライドは 巨峰のごとくそびえ立ち
空飛ぶ雲も 餓鬼どもの声も 見下げていたからだ
あの醜怪な集団に もしも ちらりと見なければ
(この大罪に 太陽はよろめかないで済んだのか)
かの比類なき明眸の わが最愛の美少女が
有象無象ともろともに 俺の苦悩をあざ笑い
時として あの餓鬼どもと あらぬ行為におよぶ姿を

 

イカロスの嘆き(Les Plaintes d'un Icare)*2

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ハンス・ボル(Hans Bol, 1534 – 1593)作「イカロスの墜落のある風景」。ウィキメディア・コモンズより。

少女らの性を買う男性たちは
幸せで 健康で 満ち足りている
僕はといえば 腕を折ってしまった
なぜなら 僕は雲を抱きしめたから

はるかなる天涯にぴかりと光る
比類なき星たちの恩恵により
つぶされた僕の目に映じるものは
数々の太陽の思い出だけだ

空間を旅しても 得るところなく
中心も限界も見つからなくて
不可解な眼球が燃えているだけ
その下で 両翼がばらばらになる

美を愛するがゆえに 火だるまとなり
堕ちてゆく奈落こそ 僕の死に場所
その場所に ご自分の名が付くという
最高の栄誉など 知る由もなく

 

悲しくてさすらいの(Moesta et errabunda)*3

ねえアガサ あなたの心 時として空を翔けるの
 それはこの不潔な都会 この黒い海を逃れて
けがれない少女のように 蒼明で 底が深くて
 きらきらと光を放つ も一つの海をめざして
ねえアガサ あなたの心 時として空を翔けるの

海 広大な海こそは 人の心を慰める
 疾風はやてのパイプオルガンの音をバックに歌うたう
この濁声だみごえの歌い手に 子守り女の至高なる
 職を授けた存在は どんな魔性の者かしら
海 広大な海こそは 人の心を慰める

馬車よ 私を運び去れ 船よ 私を連れ去って
 遠く遠く この街の泥は涙で出来ている
私のアガサ 本当に あなたの心 時として
 言うのでしょうか「後悔も 罪も責め苦もまぬかれて
馬車よ 私を運び去れ 船よ 私を連れ去って」

香気に満ちたパラダイス お前は何と遠い国
 その青空の真下では すべてが愛とよろこびで
人が愛する一切は 愛するに足るものであり
 心はすべて純粋な気持ちのよさに耽るだけ
香気に満ちたパラダイス お前は何と遠い国

幼い恋の花が咲く そんな緑のパラダイス
 それは競走レースや歌声や 優しいキスや花の束
丘のかなたで呼ぶものは いとをふるわすヴァイオリン
 そして夕べの森かげに 酒酌み交わす大ジョッキ
とは言え 恋の花が咲く そんな緑のパラダイス

秘密の恋に満ちていた あの童心のパラダイス
 それはもうインディアよりも シナよりも 遠いのかしら
悲しみの叫びを上げて 呼びもどすことはできぬか
 銀色の声ふりしぼり 呼びさますすべはないのか
秘密の恋に満ちていた あの童心のパラダイス

 

顔の約束(Les Promesses d'un visage*4

色白の美女よ あなたの弓なりのまゆの黒さは
 暗闇がしたたるみたい
そのひとみ つぶさに見れば あくまでも漆黒ながら
 不吉さを感じさせない

そのひとみ そのつややかな頭髪と和音さながら
 黒髪と黒いひとみと
そのひとみ やや物憂げに言うことに「よろしかったら
 造形の美の恋人よ

この色が その胸中にかきたてた思いを遂げて
 その趣味を満足させて
真相を突き止めるべく おへそからおしりにかけて
 お探しのものを探して

この白く 豊かな胸のいただきを登りつめれば
 ブロンズのメダルがあるわ
日本にっぽんの僧侶の肌の褐色の すべすべとした
 下腹部の下を探せば

見つかるわ この大量の頭髪の 実の妹
 こんもりと繁る草むら
しなやかに巻き縮れつつ その黒い色の濃いこと
 星のない夜空さながら」

 

吸血鬼(Le Vampire)*5

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ドイツのホラー・メロドラマ「ネクロマンティック(Nekromantik)」のワンシーン。元画像はこちら

めそめそと悲しむ俺の胸中へ
ぐさりとばかり 斬り込んだ君
狂おしく着飾りながら 魍魎もうりょう
力をもって 押し入った君

今はもう 俺の恥ずべき人格は
君の寝る場所 君の領地だ
淫売よ 俺と君とは 囚人と
鎖のごとく 切っても切れず

さいころ博徒のごとく
酔漢と酒杯のごとく
蛆虫と死体のごとく 同体だ
君を呪ってやる 呪ってやる 呪ってやる!

ひと突きで 吸血鬼との悪縁を
断ち切りたいと 凶器にはか
腰抜けの俺に代わって はたらけと
効き目の弱い毒にも言った

されどああ 毒も凶器も この俺に
恥を知れとて 見栄を切った
「呪われし奴隷のごとき身分より
解放すべき価値があろうか

われわれの獅子奮迅のはたらきで
たとえ妖女を討ち取ったとて
馬鹿者よ 君が死体を抱くことで
よみがえるのが 吸血鬼だ」と

 

*1:悪の華』初版86。

*2:悪の華』第三版105。

*3:悪の華』初版55。

*4:『漂着物』11。

*5:悪の華』初版29。