「墓地が見える居酒屋」――「変な看板だ」とわれわれの散策者は独語した。「だが一杯飲りたい気にさせるにはよく出来ている。この飲み屋の主人は、疑いもなく、ホラティウスや、他のエピクロス派の詩人たちを評価するすべを知っている。またおそらく、楽しい酒宴には骸骨や、何か命のはかなさを象徴するものが不可欠だとした古代エジプト人たちの深遠な雅*1すら心得ている」
それで彼は入って、墓地を見ながらビールを飲み、葉巻をくゆらせた。すると何となく墓地へ降りて行きたくなった。草は長く伸びていい感じだし、太陽は燦々と照りつけていた。
事実、そこでは光と熱とが猛威を振るい、滅びを肥料に咲き乱れた花のカーペットの上では、酔った太陽が大の字になって寝転んでいる*2かのごとくだった。広大なるものの命の声、限りなく微小なるものの命の声が大気を満たしながら、隣の射撃場から響いてくる銃声によって周期的に寸断され、それはシンフォニーの静かな楽章中に吹っ飛んだシャンパンのコルク栓のように、異音を立てていた。
こうして脳天を熱する太陽のもと、死が強烈に薫り立つ空気の中で、彼は腰を下ろした墓石の下に、ぼそぼそと呟く声を聴いた。声は言った。「諸君の銃と標的よ、呪われてあれ。死者とその聖なる眠りに対して、慮るところのかくも少ない、物騒な生者たちよ。諸君の野望よ、呪われてあれ。諸君の企みよ、呪われてあれ。死の聖域のほとりに、殺生のすべを学びに訪れる、こらえ性のない生者たちよ。ご褒美を獲得するのが如何にたやすく、目的を達するのが如何にたやすく、死以外の一切が如何に空しいかを知っていたならば、ご苦労な生者たちよ、諸君はみずからをかくも耗すことなく、すでにその目的を達して久しい者ども、忌まわしき生命の唯一にして真の目的を達した者どものまどろみを、かくもしばしば妨げることはなかったであろうに」
*『小散文詩集(パリの憂鬱)』45。原文はこちら。
*1:「金持ちの宴会では、食事が終わると、或る者が一つの棺桶を持って回り、その中には出来るだけ死体とそっくりに彫刻され、彩色された、縦横1~2キュビットほどの木製の人形が入っている。そうして彼は酒を酌み交わしている者たちの一人一人にこれを見せ、『これを見て陽気に飲んで下さい。あなたも死んだらこうなるのですから』と言う。こうして彼らはどんちゃん騒ぎをする」(ヘロドトス『歴史』第2巻78章。George Campbell Macaulayによる英訳からの重訳)
*2:エドガー・アラン・ポーの詩「不安の谷」に「その花々の間で 昼はひねもす/紅い日ざしがごろごろと寝そべっていた」云々。