魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

ボードレール「聖ペテロの否認」他一篇

無題(Que diras-tu ce soir, pauvre âme solitaire)*1

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オーギュスト・クレサンジェ作「蛇に噛まれた女」。ウィキメディア・コモンズより。こちらの記事をご参照ください。

わが心 今宵彼女に そも何を告げんとするか
このひとに この善良で 美しく 優しいむすめ
冬枯れの景色に春をもたらした 神々こうごうしい目
わが心 その持ち主に いま何を告げんとするか

――佳き人をほめ歌うこそ われわれのこよなき誇り
そのひとのいと甘美なる驕慢に 勝るものなし
すっぽりと 人を光で包み込む 清きまなざし
霊的なその肉体の発するは 天使の薫り

たとえ真夜中 人々と遠く離れてあろうとも
たとえ白昼 人々のうちに混じりてあろうとも
松明たいまつの炎のごとく その影はひらめきやまず

時に言う「君が恋しているひとは 美貌の女
さればこそ 君は美のみを愛すべし 君をみちびく
わたしは天使 詩の女神 君が信奉すべき聖母マドンナ

 

聖ペテロの否認(Le Reniement de Saint Pierre)*2

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ミケランジェロ作『サン・ピエトロのピエタ』。ウィキメディア・コモンズより。

天にまします神様は 天に向かって放たれる
日々夜な夜なの雑言ぞうごんを いかがなされるおつもりか
酒池肉林に飽き足りた専制君主さながらに
神は 世人の冒涜を 楽しく聴いて寝てるのよ

殉教者らや犠牲者ら 彼らすべての慟哭は
神にとっては必ずや 心とろかすシンフォニー
天人てんにんたちの快楽に 人間の血は不可欠で
かつて彼らの欲望は 満たされたことがないからよ

ああイエス様 橄欖ゲッセマネの園に思いを馳せたまえ*3
そこであなたが愚直にも 膝を屈して祈った「神」は
死刑執行人たちが 生きたあなたの肉体に
釘を打ち込む音を聞き 天の高みで笑ってた

おそれを知らぬ看守らや まかながた下衆げすどもが
「神の子」であるイエス様 あなたに唾を吐いた時*4
茨で出来た王冠が すべての人を救うべき
「愛」の思想が住んでいる頭蓋の骨を噛んだ時*5

完膚なきまで傷ついたその全身の重量が
その伸びきった両腕を 引っこ抜くほど引っ張って
割れた額も蒼白に 血を垂れ 汗を噴いた時
あなたが皆の嘲笑の的のポーズを取った時

あなたは何を見たかしら あの栄光の日々かしら
かの永遠の約束を果たそうとしてやってきて
優しい驢馬にまたがって 花と小枝を踏みしめて
都に着いた日の夢を いまわのきわに見たかしら*6

夢みたかしら 蛮勇をふるって 神の住まいから
商人たちをことごとく追い出した日を*7 万人の
師と仰がれた日のことを 槍より先に 後悔が
その脇腹に ぐっさりと 刺さったのではないかしら

ええ わたくしは出て行くわ 何の未練も悔いもなく
夢とうつつが睦まじき姉妹たりえぬこの世から
出来ることなら剣を取り 剣でこの身を滅ぼそう*8
聖者ペテロはキリストを「知らぬ」と言った…あっぱれでした*9

*1:悪の華』初版37。

*2:悪の華』初版90。

*3:さて、一同はゲツセマネという所にきた。そしてイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」。そしてペテロ、ヤコブヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき、また悩みはじめて、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」。そして少し進んで行き、地にひれ伏し、もしできることなら、この時を過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、そして言われた、「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。それから、きてごらんになると、弟子たちが眠っていたので、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか、ひと時も目をさましていることができなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。(『マルコによる福音書』14:32 - 14:38)

*4:それから、彼らはイエスの顔につばきをかけて、こぶしで打ち、またある人は手のひらでたたいて言った、「キリストよ、言いあててみよ、打ったのはだれか」。(『マタイによる福音書』26:67 - 27:68)

*5:それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。(『マタイによる福音書』27:27 - 27:30)

*6:さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。すなわち、

「シオンの娘に告げよ、
見よ、あなたの王がおいでになる、
柔和なおかたで、
ろばに乗って、
くびきを負うろばの子に乗って」。

弟子たちは出て行って、イエスがお命じになったとおりにし、ろばと子ろばとを引いてきた。そしてその上に自分たちの上着をかけると、イエスはそれにお乗りになった。群衆のうち多くの者は自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの者たちは木の枝を切ってきて道に敷いた。そして群衆は、前に行く者も、あとに従う者も、共に叫びつづけた、

ダビデの子に、ホサナ。
主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
いと高き所に、ホサナ」。(『マタイによる福音書』21:1 - 21:9)

*7:それから、イエスは宮にはいられた。そして、宮の庭で売り買いしていた人々をみな追い出し、また両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえされた。そして彼らに言われた、「『わたしの家は、祈の家ととなえらるべきである』と書いてある。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。(『マタイによる福音書』21:12 - 21:13)

*8:そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。そのとき、イエスは群衆に言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。(『マタイによる福音書』26:47 - 26:56)
シモン・ペテロは剣を持っていたが、それを抜いて、大祭司の僕に切りかかり、その右の耳を切り落した。その僕の名はマルコスであった。すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」。(『ヨハネによる福音書』18:10 - 18:11)

*9:そのとき、イエスは弟子たちに言われた、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散らされるであろう』と、書いてあるからである。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先にガリラヤへ行くであろう」。するとペテロはイエスに答えて言った、「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」。イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。ペテロは言った、「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは、決して申しません」。弟子たちもみな同じように言った。(『マタイによる福音書』26:31 - 26:35)
ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。(『マタイによる福音書』26:69 - 26:75)
以上、福音書からの引用はすべてウィキソース版『口語 新約聖書』(日本聖書協会、1954年)による。