
以下の短文は、ボードレールの仏訳による、エドガー・アラン・ポーの短編集の三冊目『グロテスクでシリアスな物語』(1865年)に収録されたもので、同じくボードレールによる、ポーの詩「大鴉」の仏訳、およびポーのエッセイ「作詩の哲学」の仏訳の、合わせて三つの記事で、ワンセットの読み物となっております。これを通してお読みになれば、のちにポール・ヴァレリーによって大成される純粋詩論の萌芽が、ここに鮮やかに示されていることがおわかりになると思います。原文はこちら。
一般に、詩法というものは、もろもろの詩篇が書かれたあとに成立するものとされている。ここに一人の詩人がいて、彼の詩は、彼の詩法に基づいて製作されたと主張する。彼は確かに偉大な天才の持ち主だったし、もし霊感という言葉が、エナジーと、知的熱狂と、自身の能力を覚醒状態に維持する能力とを指すのであれば、彼は誰よりも霊感に富んだ詩人だった。ところが彼は、これに加えて、誰にもまして苦吟を好んだのである。この一点非の打ち所のない独創的人物が、口を酸っぱくして繰り返したのは、独創性とは努力して手に入れるものであって、棚ぼた式に得るものではないということであった。偶然と神秘とは彼の二大強敵だった。あるいは彼は、奇妙で愉快な虚栄心から、あえてみずからを、持って生まれた天性よりも、はるかに霊感に乏しい人物としたのだろうか。天から無償で与えられた能力を低く見積もることで、意志の力により重きを置こうとしたのだろうか。そう信じてもいいかも知れない。ただここで忘れてはならないのは、彼の天才は、いかに熱烈で活発であろうとも、それは同時に分析、結合、計算に、狂おしく魅せられていたという点である。彼の好んだ格言の一つに曰く、「詩作品においても散文作品においても、ソネットにおいても短編小説においても、一切は結末に向かって組織立てられていなければならない。優れた作家は、最初の一行を書く際に、すでに最後の一行を念頭に置いている」この素晴らしい手法のおかげで、作者はまず最初に終わりの部分を書き、あとは好きな部分から書き続けることができる。詩的狂気の信奉者たちは、この冷笑的な格言に対して憤慨するだろう。だがそれは各人が勝手に解釈するがいい。芸術が刻苦精励からいかに恩恵をこうむるものか、ことにこの詩と呼ばれる贅沢品が、作者にどれほどの重労働を課するものか、世間一般の人々に示してやることは常に有益なことであろう。
何よりもまず、ちょっとしたペテン師気取りは天才には常に許容されるところだし、それで彼の値打ちが下がるわけでもない。それはすっぴんでも美しい女があえて差す頬紅のごとく、精神面における新しい風味付けとなるのだ。
他のいかなる詩にも似ていない詩。それは深遠にして謎めいた一語、無限のごとく恐ろしい一語、劫初より数えきれない引きつった唇によって反復されてきた一語、夢うつつの人間が、ペンの書き味を確かめるべく、テーブルの端に書き付けるものよりも、もっとありふれた絶望の習慣から発せられる一語、すなわち「もう二度とない」という一語をめぐって展開される。死によって妊娠させられた無限は、この観念によって埋め尽くされ、決して茫然自失したわけではない「人間」は、この一語が含有する逃れられない絶望から逃れるために、堕地獄をも大よろこびで甘受するのである。
詩を散文の鋳型にあてはめることは、必然的に、詩を台無しにしてしまう*1。だが韻文の猿真似は、もっとひどいことになるだろう。広範にして重層化された脚韻が弔鐘のごとく鳴りわたるこれらの詩行の深刻にして沈痛なるひびき、力強い単調性は、これに関する正確な観念をお伝えすることは難しい。それはまさしく絶望による不眠の詩である。何ひとつ欠けてはいない。そこには観念の熱病がある。色彩の暴力がある。病的な推理があり、わけのわからない恐怖がある。そうして苦痛による狂ったよろこびすら存在するが、それは苦痛をより恐るべきものと化するのである。読者諸氏の記憶の中の歌声に耳を澄ましていただきたい、すなわち、ラマルティーヌのもっとも哀調切々たる数節を、あるいはヴィクトル・ユーゴーのもっとも荘厳にしてもっとも錯綜したリズムを。これにテオフィル・ゴーチェのもっとも霊妙にして万人の共感を呼ぶ三行詩節の数々の記憶を――たとえば「暗闇」*2における、死と虚無に関する一連の恐るべき奇想、そこでは三重の脚韻が頭に取り憑いて離れない悲しみとよくマッチしている――これらを混ぜ合わせていただきたい。さすれば諸君は韻文作家としてのエドガー・ポーに関するおおよその観念を得ることができよう。ただ、これはあくまでも韻文作家としてのポーに関する話だ。彼の想像力については、駄言を弄する余地はない。
だが私の耳には、読者がアルセストよろしく「それでは拝見いたそう」*3とささやく声が聞こえてくる。以下が問題の詩篇である。