夢想にも似た一つの部屋。真に心霊的な部屋。澱んだ空気はかすかに青と桃色とを帯びている。
そこで魂は、悔恨と欲望の薫物を焚き染められた、怠惰の風呂に入る――それは黄昏時の、薄青く、薄桃色の何物か。蝕のひとときにおける快楽の夢。
家具は横長に引き伸ばされて、ぐったりとへばった形をしている。家具は夢を見ているようだ。彼らは植物のごとく、鉱物のごとく、夢遊病者の生命を授かったかのように見える。織物類は花々のごとく、大空のごとく、夕陽のごとく、声なくして物を語る。
壁面にはいまいましい絵など一枚もかかってはいない。純粋な夢、未分析の印象に比べれば、明確なアート、実際のアートなど一つの冒涜だ。ここでは一切が充分な明白さと、甘美なあいまいさとの調和状態にある。
精選された無限少量の香料の薫りが、きわめてかすかな湿気をまじえて、室内を漂い、そこに眠れる精神は温室的感覚によってあやされる。
窓辺にも、ベッドの前にも、モスリンの大雨が降る。それは真っ白な瀑布となって降りそそぐ。ベッドの上にはあの「偶像」が、あの夢の女王が横たわっている。だが彼女はどうやってここに来たのか。誰が連れてきたのか。いかなる魔法の力が彼女をこの夢と快楽の玉座に就けたのであろうか。それがどうした。彼女はそこにいる。俺にはわかる。
そこに輝く眼光は黄昏をつらぬく。この悪賢く恐ろしい手鏡、それはその猛毒によってそれとわかる。この目はこれをうっかり見た者の視線を惑わし、捕らえ、貪り食らう。俺はこの好奇心と絶讚とを要求する漆黒の星について、研究を重ねてきた。
いかなる慈悲深い悪魔のおかげで、俺はこのような神秘と、沈黙と、平和と、芳香に取り巻かれているのか。幸せだ。いわゆる人生は、たとえそのもっとも解放感に恵まれたひとときにおいてさえ、俺が今一分ごと、一秒ごとに感じ、味わっているこの素晴らしい生命と似ても似つかない。
いや、もう分も秒もない。時間は消えた。支配するものは「永遠」だ。楽しい「永遠」のみだ。
ところがその時、重々しいノックの音がドアに響き、俺はあたかも悪夢の中で、胃に鶴嘴を打ち込まれた気がした。
そうして一人の幽霊が入ってきた。それは法の名のもとに俺をいじめに来た執行官であり、俺に窮状を訴えることで、俺の生活苦の上に更なる生活苦を積み増しに来た卑しい商売女であり、さもなくば、原稿の続きをせびりに来た新聞編集者の使い走りである。
パラダイスのごとき部屋も、偉大なるシャトーブリアンがシルフィードと呼んだあの偶像、あの夢の女王も、そのような魔法すべては、幽霊による乱暴なノック一つで消えてしまった。
そうだ、思い出した。この陋屋、この永遠なる倦怠の部屋、これぞわが部屋に他ならない。ここにあるのは馬鹿げた、埃だらけの、角のすり減った家具。痰で汚れた、燃えるものも、燻るものもない暖炉。雨粒が塵の上から筋を引いた悲しい窓。取り消し線だらけの、または書きかけのまま投げ出してしまった手書き原稿。嫌な予定のある日に鉛筆で印をつけたカレンダー。
俺が洗練の極致とも言うべき感受性をもって酔い痴れていたあの別世界の薫りは、煙草の悪臭と、これに入り混じった吐き気をもよおすカビの匂いとによって取って代わられた。今ここに嗅ぐものは酸えた腐敗臭だ。
この狭い、不快きわまる空間に、一つだけ微笑んでいる懐かしい物体がある。アヘンチンキの瓶。それは年老いた恐ろしい恋人で、あらゆる恋人と同様、愛撫と裏切りにおいて多産なのだ。
さよう、時間がふたたび現われて、全権を掌握した。そうしてこの老いたる王とともに、記憶、悔恨、痙攣、恐怖、激痛、悪夢、憤怒、それにノイローゼといった、彼のあらゆる魔性のお供が復帰する。
秒は今や力強く、厳かに鳴り響き、その一つ一つが柱時計から飛び出しながら「われこそは生命、耐え難く、容赦なき生命」と告げる。
人生において朗報をもたらす「秒」、万人が震え上がるほどの朗報をもたらす使命を帯びた「秒」は、たった一秒しかない。
さよう、時間が支配する。彼はふたたび暴虐な専制を開始した。そうして彼は、あたかも俺が役牛であるかのごとく、時針と分針の二本の針で、俺を突くのだ、「ロバよ、歩け。奴隷よ、汗をかけ。呪われた者よ、生きろ」と。
*『小散文詩集(パリの憂鬱)』5。原文はこちら。