魔性の血

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ルネ・ヴィヴィアン『一人の女が私の前に現われた』へのイントロダクション――ゲイル・ルービン(8)

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米国オハイオ州スプリンググローブのシリトー家の墓地に埋め込まれたプレートのうちの一枚。hermetism.free.frより。

『一人の女が私の前に現われた』はナタリー・バーネイとの関係について自分自身を納得させたいというルネ・ヴィヴィアンの欲求から書かれた作品だ。ルネは何が悪かったのか、誰のせいでこうなったのかを理解したかった。この小説にはこの事件に関するナタリーの分析も時おり出て来るが、基本的にはルネ自身の混乱、苦痛、怒り、そして罪の意識の表現である。ナタリーはその回想録(『ぶしつけな回想』および『精神のアヴァンチュール』)と一連の散文詩(『私は思い出す』所収)において、彼女の側から見たこの関係について書いている。それらの記述はすべて客観性を欠いており、実際に起きた出来事とは区別して考える必要がある。
1899年にルネがナタリーと出会った時、ヴァイオレット・シリトーはまだ彼女の感情生活の中心であった。ナタリーとの関係が深まるにつれ、ルネはヴァイオレットとの関係をおろそかにするようになった。1901年の初め、ヴァイオレットはルネとともに南フランスを旅することを望んだ。ルネはナタリーとともにパリにとどまる方を選び、ヴァイオレットに「後から行く」と約束した。ヴァイオレットが急病という知らせを受けて、ルネはリヴィエラへと急いだ。ルネが留守の間、ナタリーはオリーヴ・カスタンスと結局は不首尾に終わった密通を楽しんでいた。ルネの方はニースに駆けつけ、臨終の床に就いているヴァイオレットを見た。ヴァイオレットはカトリシズムに改宗して死んだ。ヴァイオレットを喪ったルネの悲しみは、友を疎んじたことに対する自責の念によって悪化した。彼女は初めての恋で知った肉のよろこびへの耽溺が、自分を友への背信行為へと導いたのだと感じていた。
ルネの悲しみは癒えることがなかった。環境の変化でルネの気が紛れることを期待して、ナタリーはルネを説得し、ともにアメリカへと旅立った。二人は1901年の夏をバーハーバーで過ごし、その地でルネはナタリーの初めての恋の相手、エヴァ・パーマーと知り合った。エヴァはルネの悲しみに対してナタリーよりもはるかに深い理解と共感を示した。ナタリーが社交界のもろもろのイベントに出かけている間、エヴァはルネとともにギリシャ語を研究した。秋が来ると、三人はエヴァが通っていたブリンマー大学を訪れた*1。ナタリーはまたしても舞踏会とパーティに明け暮れ、その間ルネはひと気のない共同墓地で詩を書いていた。最後にルネはロンドンの実家へと旅立ち、ナタリーはワシントンの実家へと出発した。後日パリで再会する約束だった。
ナタリーはその冬を通してルネから何の音沙汰もなかったので不安に駆られたとその回想録に書いている。彼女はまたパリに戻ってみると、ルネが会ってくれないのでびっくりしたとも書いている。ナタリーはルネがザイレン・ド・ニーヴェルト男爵夫人エレーヌ(旧姓ロスチャイルド)と関係していることを確認した。ルネは彼女と連絡を取ろうとするナタリーのあらゆる試みをはねつけ、その中には「ムーンライト・セレナーデ」や、庭の塀越しに投げ込まれたメッセージも含まれていた*2。ナタリーはその回想録の中で、男爵夫人はルネの家政婦に金を握らせ、ナタリーのルネへの手紙をすべて差し押さえることで、ルネにナタリーが彼女を見限ったのだと思い込ませようとしたと推測している。確かに男爵夫人は焼きもち焼きで、ルネとナタリーの仲を裂こうとはしていたけれども、しかしナタリーの記述には少し嘘が混じっている。その頃のナタリーとルネとの関係はトラブル続きであり、男爵夫人が何を企んでいたかには関わりなく、ルネがナタリーを避けるようになっていたことはナタリーも重々承知していたはずである。
事の発端から、ルネはこの恋の淫らさと力強さに活気づけられると同時に恐れおののいていた。ナタリーは彼女の夢の化身であり、身を焦がすような情熱を呼びさます思慕の対象であった。ところがルネの心にはこのような情熱に対する葛藤があった。彼女は一風変わった純愛志向を持っていた。ルネにとってヴァイオレットに対する清純な愛情は、いかなる汚れをも知らない情熱の具現化であった。どちらかと言えば、彼女がナタリーとともに重ねた経験は、このコントラストを重症化させるに足りるほど不可解な経験だった。
これとは逆に、ナタリーの誘惑能力の多くはその肉体的快楽に対する宗教的信仰の結果だった。ナタリーの早くからのルネに対する不満の一つは情熱的な言葉よりも情熱そのものが欲しいということだった。彼女はルネの愛が主として想像の世界の産物だと感じていた。彼女はルネが愛することよりも、愛を歌うことの方に意欲的だとして非難し、次のように書き送った。

「それではあなたはその勇気とポエジーとをすべて詩に注ぎ込んでしまって、人生を楽しむ分などほとんど残っていないと言うのですか。
「これらの大胆にして美しい言葉を書き綴ったのは本当にあなたなのですか。そうして私はあなたが歌ったものを、たった一人で生きようとしているのでしょうか」(ジャン・シャロン著『ある誘惑者の肖像』*3

ルネとヴァイオレットは幼い頃から死と宗教に対するあこがれを共有していた。ナタリーはルネと出会った際、みずからが信奉している淫祠邪教の洗礼を受けさせることで、ルネが人生に対して興味以上のものを持つようになるのではないか、と考えていた。ナタリーのヴァイタリティは、ルネを楽しませると同時に傷つけもしたが、ルネが何とかこれと渡り合っているところへ、ヴァイオレットの死というドラマによって、彼女が心に感じていた矛盾が表面化した。ナタリー――そしてセックス――それらはヴァイオレットとの友情関係からの許すべからざる逸脱について責任がある、とルネは考えた。彼女の果てしのない愁嘆は、ある意味で、ヴァイオレットの思い出に対して彼女が感じていた罪を償おうとする努力であった。これに対してナタリーは死について考えることを好まず、葬式に顔を出すのも嫌がるほどだった。彼女にはルネの嘆きは非常識だと思われた。ルネは自分には死者を悼む権利があると反論し、「死者をして死者を葬らしめよ」という詩を書いた*4。ナタリーは詩集の余白に書き込みをした、「しかし生者を、ではない」と*5

レスボスの女王―誘惑者ナタリー・バーネイの肖像

レスボスの女王―誘惑者ナタリー・バーネイの肖像

 

*1:原注:『ぶしつけな回想』(1960年)の中で、ナタリーはブリンマー大学で過ごした多くの時間、「ミス・G―」という先生にお世話になったと書いている。彼女たちのブリンマー訪問の時期と考え合わせると、「ミス・G―」とはミス・メアリー・グウィンである可能性が高く、この女性とヘレン・キャリー・トーマス、およびアルフレッド・ホッダーとの三角関係は、ガートルード・スタインの初期作品のうちのいくつかに顔を出している。ブリンマー大学におけるこの事件と彼らの関係については『ガートルード・スタイン初期作品集』(1973年)の冒頭でレオン・カッツが論じている。

*2:訳者注:「ムーンライト・セレナーデ」云々についてはこちらの記事をご参照下さい。

*3:訳者注:邦題『レスボスの女王』1996年、国書刊行会刊。

*4:訳者注:拙訳をご参照ください。

*5:原注:このヴィヴィアンの詩集『灰と塵』(1902年)の中の書き込みはサロモン・レーナックによってコピーされたもので、オリジナルはナタリーの蔵書中の一冊で、彼女もまた本の余白に書き込みをする癖があった。ナタリーはいくつかの詩について書き込みをした後でこれをルネに贈り、ルネもまたそこに書き込みを加えたものと思われる。この本はルネが死んだ後、売りに出された。ある古本屋がこれを見つけてナタリーに返した。1917年にナタリーはこれをレーナックに見せ、レーナックはその中の書き込みをすべて書き写したのち、その上に自分自身の書き込みを加えた。ナタリーの死後、この本はふたたび売りに出されたか、さもなければジャック・ドゥーセー図書館にあるはずである。