魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

ルネ・ヴィヴィアン『一人の女が私の前に現われた』へのイントロダクション――ゲイル・ルービン(7)

f:id:eureka0313:20190821060412j:plain

映画版『淑女の暦』(2017年)の広告用画像。公式ホームページより。

www.theladiesalmanack.com


「『ある女は海のウシのようだし、ある女は陸のブタのよう。その他の女たちは、私たちの暦のまわりを這い回るイモ虫みたいね。けれど中には天上の姉妹たちのような女たちもいて、私たちはそんな女たちの後を、脇目もふらず追いかけていかなければならないのだわ』とミュゼット姫は仰せられました」ジューナ・バーンズ『淑女の暦(Ladies Almanack, 1928)』

イデオロギー上は同志ではあっても、ルネ・ヴィヴィアンとナタリー・バーネイとは必ずしも相性がいいとは言えなかった。確かに『一人の女が私の前に現れた』は二人に共通のレズビアンとしての自覚を反映してはいるが、これはもともと二人の性格的不一致の記録なのである。ルネ・ヴィヴィアンは『一人の女が私の前に現れた』を1904年の和解の少し前に書いた*1。この小説は大体において1899年から1903年にかけてのヴィヴィアンの人生における出来事と人々とに基づいたもので、その美学は世紀末的なものである。
この小説は自伝的だが、内的な思想や感情を織り交ぜた特性を持っている。それが記録しているのは出来事そのものよりも、出来事に対するルネの情動的応答である。しかもルネはその情動を大変象徴的に体験したのだった。おそらくは彼女の詩的工作物の延長として、特定の人々が、あらゆるレベルのイメージやあらゆるレベルの意味深さに関連づけられた。ルネの内的宇宙論は、色彩や、花々や、伝説的人物や、彼女の個人的アーキタイプなどにつながっていた。
ルネが『一人の女が私の前に現われた』を書くきっかけとなった内面的動機は二つある。一つはナタリーとの破局であるが、同じころ、彼女はもう一つの精神的危機に直面していた。親友のヴァイオレット・シリトーが1901年に亡くなったのだ。ヴァイオレットの死はルネの残り少ない生涯を通じて彼女に付きまとい、これがナタリーとの関係を複雑化させていた。
この小説の前半部分は1899年から1901年までの出来事をカヴァーしている。『一人の女が私の前に現われた』は「私」(ルネ・ヴィヴィアン)のヴァリー(ナタリー・バーネイ)に対する悲恋の物語である。ヴァリーは人を愛するすべを知らない、まことに不実な人物として描かれる。「私」はヴァリーが他の女たちと浮気するのを見て苦しむが、何よりも「私」を苦しめるのは「売春夫」、すなわちヴァリーに求婚している男性の存在である。事実、この頃のナタリーは数人の男性から求婚されていて、ナタリーは彼らをもてあそんでいた。とは言え男性は彼女にとって、決して精神的にも肉体的にも心惹かれる対象とはならなかった。
「私」は自分がヴァリーに夢中になっていることで、これまでずっと親友だったイオーネ(ヴァイオレット・シリトー)との関係が蝕まれつつあることに気が付いている。初期設定における他の登場人物としては、東洋学者のペトルス(ナタリーの友人でアラビアン・ナイトの仏訳者であるJ.C.マルドリュス)、ペトルスの妻(リュシー・ドラリュ=マルドリュス)、およびサン・ジョヴァンニがいる。
サン・ジョヴァンニは合成的なキャラクターである。サン・ジョヴァンニはある意味では「私」の自我の分身である。彼女はルネのより良き半身であり、その良識であり、大胆不敵なサフィズム詩人である。要するに、サン・ジョヴァンニとは報われぬ恋によって荒廃したヴィヴィアンの内面にあって、無傷のまま持ちこたえていたそのアイデンティティの中核である。時として、「私」が1900年の何も知らないヴィヴィアンであるのに対して、サン・ジョヴァンニは1903年の少し知恵のついたヴィヴィアンである。またサン・ジョヴァンニは「中性人」*2、すなわちヴィヴィアンの個人的神話におけるアーキタイプの一つでもある。
ヴァリーと「私」とサン・ジョヴァンニとは共にアメリカへ旅立ち、ブリンマー女子大学を訪れる。彼女たちがパリに戻ってほどなくイオーネが病み、死去する。「私」はイオーネの死に打ちひしがれ、ヴァリーの浮気に逆上する。サン・ジョヴァンニ――賢明なもう一人の「私」――は「私」に警告する。『もしあなたがその激しい嫉妬心と純情とを抑制することが出来ないならば、あなたはヴァリーを失うでしょう。彼女はあなたが閉じ込めようとしている濃霧の中から逃げ出すわ、さもなければ窒息してしまうもの。彼女には外界が、空間と太陽とが必要なの』(第14章、原文イタリック体*3)。そうして事実、ヴァリーはやがてその聖なる住まいから「私」を追い出してしまう。
この小説の残りの部分は1901年から1903年までの出来事をカヴァーしている。「私」はダグマー(オリーヴ・カスタンス)との関係に慰めを得ようと試みるが、ダグマーは「王子様」(アルフレッド・ダグラス卿。1902年にオリーヴ・カスタンスと結婚したが、それ以前はオスカー・ワイルドの恋人だった)と出会って結婚してしまう。それから「私」はエヴァと出会い、幸福な愛の暮らしが一年続く。
サン・ジョヴァンニと同じく、このエヴァもまた正確な分類を受け付けないキャラクターである。エヴァは部分的にはエヴァ・パーマーをモデルとしている。ルネはエヴァ・パーマーに恋をしたことがあるようだが、エヴァ・パーマーはルネの求愛を優しくしりぞけた*4。ルネはこの小説では人類最初の女性のイメージを想起させるために「エヴァ」という名前の響きを利用している。サン・ジョヴァンニがルネの理想の自分自身であるように、エヴァはルネが夢みる理想の恋人である。最終的にはエヴァはまたザイレン・ド・ニーヴェルト男爵夫人エレーヌ(Baroness Hélène de Zuylen de Nyevelt, 1863 – 1947)をも意味するようになる。エレーヌは1901年にルネがナタリーと別れたあとでルネの愛人となった人物である。
「私」がエヴァと幸せに暮らしているところへ、ヴァリーが舞い戻ってきて「私」を取り返そうとする。小説の最後の部分は「私」の運命を握るこの二人の「大天使」の間で決断を下そうとしてもがき苦しむ「私」の姿を記録している。

*1:原注:1904年の和解ののち、ルネ・ヴィヴィアンは『一人の女が私の前に現れた』をすっかり書き改め、物語に最新の情報を盛り込み、ナタリーの名をヴァリーからロアリーに変えた。いずれの版も出版され、初版は1904年に、新版は1905年に出た。今回フォスターが英訳したのは初版の方である。ナタリーがいずれの版をも好まなかったのは驚くにあたらない。彼女は自分がこの小説のいずれの版においても正当に評価されていないと感じていた。とは言え、1905年のヴァージョンはナタリーに対してややお手柔らかな書き方がなされている。

*2:訳者注:「中性人」ルネの仏語原文では'Androgyne'。「中性人」というのは私の造語ですが、「両性具有者」というような訳語よりは当たっているだろうと思います。

*3:訳者注:拙訳第14章をご参照下さい。

*4:原注:ルネの詩集『エヴォカシオン』(1903年)の余白にサロモン・レーナックが施した注によると、この詩集中の「黄昏の女神へ」と題された一篇はエヴァ・パーマーを歌ったものだと、エヴァとナタリーの両者が言っていたとのことである。『一人の女が私の前に現われた』に登場するエヴァも「黄昏の女神」と呼ばれている。同じ余白の書き込みに、レーナックは「エヴァ・パーマーとヴィヴィアンは決して深い仲になったことはない」とリアーヌ・ド・プージイとナタリーの二人が確言したと書いている。