魔性の血

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ルネ・ヴィヴィアン『一人の女が私の前に現われた』へのイントロダクション――ゲイル・ルービン(6)

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2019年7月23日にリリースされた『一人の女が私の前に現れた』の新しい英訳本の表紙。ジャネット・フォスターの英訳が出たのが1976年ですから、実に43年ぶりの新訳ということになります。1904年版と1905年版との両方を収録し、特に1905年版の英訳が公刊されるのは今回が初めてかも。ブライアン・ステイブルフォード訳、スナッグリー・ブックス刊。

ルネ・ヴィヴィアンは主としてその詩によって回顧されるが、そのほとんどすべてが女性同士の恋愛に捧げられたものである。彼女ほどオープンに、他を顧みることなく、倦まずたゆまずレズビアン・ラヴを歌い続けた詩人は後にも先にも無い。このレスボスの詩人について、コレットは言う。「ルネ・ヴィヴィアンは数多くの偉大な詩篇を遺したが、それらは力強さにおいて、勢いにおいて、美しさにおいて一様でなく、あたかも生きている人間の呼吸のように、病める者の脈拍のように、不揃いなのである」(前出『純と不純』)。ヴィヴァンの詩の多様さの一端なりともここに紹介するには無理がある。それゆえ今は「友への言葉」(『全詩集』下巻所収)から数行を引くことでよしとしよう。


わたくしはもうこんな年 処女ならば こころ弱くも
怖いのを我慢しながら 男性に身をまかす年
わたくしは 誰もが選ぶ道連れを 選ばなかった
あの道の角を曲がって あなたがやってきたから

ヒヤシンス 踏みにじられて血を流す 落日の丘
物思う愛しい人のかたわらを エロスは歩む…
わたくしは女に過ぎず 美を愛でる権利などない
男性の愚劣に耐えて生きるのが 女のさだめ

欲しいのは 風の白さで出来ている 姉妹の愛や
羊歯の葉に傷をつけないひそやかな歩みの足や
夕闇に溶け入るような低い声 甘いささやき
わたくしは 度し難いほど貪欲で 無恥だとされた

その目を見 その髪の毛に触れるのを 禁じられたの
なぜならば あなたの髪は丈長く 芳香に満ち
そしてそのひとみはいつも常ならぬあこがれに燃え
世間への反抗心に波を打ち ゆれているから

わたくしの目が探すのはあなたの目 ただそれだけで
人々は怒り心頭 わたくしに指をさすのよ
すれちがう男女のうちの誰ひとり 信じなかった
わたくしが迷うことなく あなたを選んだことを

わたくしが破った掟 遵守する値打ちはあるの
この愛を どうぞ裁いて 健全なこの感情を
愛し合う男女を結ぶ感情と何ら変わらぬ
単純で 必然的で 運命にひとしい愛を…*1


ルネ・ヴィヴィアンがレスボスの詩人であるとすれば、ナタリー・バーネイはそのミューズだった。バーネイもまた作家であり詩人でもあったが、彼女のインパクトは彼女が書いたものよりもむしろその強烈な個性、その思い上がった慣習軽視、その知的透徹と頭脳の明晰、そうしてその桁違いの女性誘惑能力から来るのだった。彼女は作家たちに取り巻かれて暮らしていたので、多くの作家が彼女の華やかなパーソナリティを自作の正体バレバレの登場人物のモデルとして利用した。『一人の女が私の前に現われた』の中のヴァリーのことはしばらく措くとしても、リュシー・ドラリュ=マルドリュス作『天使と背徳者たち』の中のローレット、ジューナ・バーンズ作『淑女の暦』の中のエヴァンジェリン・ミュゼット姫、リアーヌ・ド・プージイ作『サッフォーの牧歌』の中のフロッシーことフローレンス・テンプル・ブラッドフォード、そうしてラドクリフ・ホールの『孤独の井戸』*2の中のヴァレリーシーモアの姿に、バーネイはその忘れがたい面影を残している。これらのキャラクターにおいて、ナタリーはそのお気に入りの役どころで描かれていた。それはすなわち詩人たちのミューズであり、レズビアニズムの女祭司長であり、信仰心の足りない者を時には教え導き、時には掻き口説く役どころである。ナタリー・バーネイは幸多く健康的な「ゲイ・ライフ」('gay life'「同性愛生活」=「陽気な人生」)の歩く広告塔であった。
ナタリーはみずからの同性に対する魅力の行使に制限を設けなかった。彼女はまた文芸の振興者としても名を成している。彼女のジャコブ通り20番地のサロンは伝説的なものである。ガートルード・スタインのサロンとは対照的に、ナタリーのサロンはフランス文学の一中心地だった。彼女の訪問客名簿は、あたかも欧米の文学および芸術の世界における有名人リストといった観がある。

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パリのカルチエ・ラタン、ジャコブ通り20番地のナタリーの家。1910年1月、ウジェーヌ・アジェ撮影。ウィキメディア・コモンズより。

1920年代、ナタリーの家はまた同性愛者の国際的アングラ組織の集会所でもあった。ラドクリフ・ホールとユーナ・トルーブリッジはその頃ナタリーのもとを足しげく訪れ、ホールはナタリーが創り出した雰囲気について、『孤独の井戸』の中で以下のように述べている。

「そうして神の手によってその額に烙印を捺された人々は、男女を問わず、ヴァレリーシーモアのもとを足しげく訪れるのであった。なぜならヴァレリーはいつも自信たっぷりで余裕綽々としており、人々に勇気をくれる雰囲気を創り上げていたからである。ヴァレリーシーモアのもとで一堂に会すると、誰しもが自分たちは不具ではなく、何も恐れることはないのだという気持ちになれるのだった。そこではこの美しく洗練された女性は、あたかも荒海の中の灯台のごとき存在だった。荒波はその足もとに空しく砕け散るのだった…非難の嵐は、時として勢いを強め、船を覆し、溺れかけている漂流者たちを置き去りにした。しかしながらこの悲運をかこつばかりの犠牲者たちが目を上げた時、彼らの目にヴァレリーシーモア以外の何が見えただろうか。そうしてこの不屈不撓の人物をしっかりと視野に捕えた少数の者たちは、今度こそ陸地を目指して力強く泳ぎ出すのだった」

数多くの才能ある、歯切れのいい女たちが、20世紀の半ばにかけてナタリー・バーネイの周りに集合し続けた。そのうちの何人かはかつて、あるいはそれ以後も、ナタリーの情人で、そこにはリュシー・ドラリュ=マルドリュス、エリザベート・ド・グラモン(クレルモン=トネール公爵夫人)、ドリー・ワイルド(オスカー・ワイルドの姪)、そうしてロメーヌ・ブルックスといった人たちの名が数えられる。彼女たちはお互いについて書き、お互いの肖像を描き、互いに詩を贈答し合い、こぞって複雑怪奇な性的陰謀に加担していた。彼女たちは数多くの貴重な作品を残し、それらは世界各地の図書館や美術館に所蔵されている。彼女たちの多くは有名人で、ためにパリの歴史において、この1920年代は特に有名なものとなっている。しかしながら忘れてはならないのは、彼女たちが1900年におけるナタリーとルネ・ヴィヴィアンとの交渉によって培われた土壌の上に咲いた花だということである。

A Woman Appeared to Me

A Woman Appeared to Me

 

*1:訳者注:拙訳をご参照下さい。

*2:訳者注:『孤独の井戸』はこちらのサイトで新訳が無料で公開されています。