魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

ルネ・ヴィヴィアン『一人の女が私の前に現われた』へのイントロダクション ――ゲイル・ルービン(1)

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2012年6月、サンフランシスコのGLBT歴史博物館で講演するゲイル・ルービン。ウィキメディア・コモンズより。

こちらの記事にも少し書きましたが、ルネ・ヴィヴィアンの『一人の女が私の前に現れた』の英訳本('A Woman Appeared to me' 1976)の冒頭に、文化人類学者のゲイル・ルービン(Gayle S. Rubin, 1949-)が長文の「イントロダクション」を付しており、私は以前これの「謝辞(Acknowledgment)」の部分を除く全訳を「Yahoo!ブログ」で公開しておりましたが、この度こちらのブログで短期間だけ再公開することにしました。ゲイル・ルービンには無断で訳しておりますので、クレームがついた場合は直ちに削除いたしますのでご了承下さい。拙訳『一人の女が私の前に現れた』を読む上で参考にしていただければ幸いです。それではどうぞ。


「歴史とは征服者たちの合意に基づくでっち上げである」(無名氏)
「人類最古の小説、アダムとイヴの物語は、版を重ねすぎた」(ナタリー・バーネイ)
「彼女たちこそ、父たちによって引き離された私たちの真の母たちである。汝の女を知れ。汝自身を知れ…」(バーサ・ハリス)

過去の記憶を維持することは大変難しい。とりわけ社会的少数者の集団と言うものは、歴史家たちの議論の中心からは遠く追いやられるものである。レズビアンたちは、女性であると同時に同性愛者であると言う二重の不適格性により、その歴史を繰り返し剥奪されてきた。1960年代後半の女性運動から生まれ出た世代のレズビアンたちは、その直近の先覚者たちを1950年代に求めなければならなかったが、その1950年代のレズビアンたちもまた、乏しい文献から、さらに前の世代の同類たちを救出するという任務を背負わされていたのであった。レズビアン史の試みをかくも困難なものとしているこの同じ沈黙と空白とが、彼女たちの過去の闡明に成功した者たちの著作をもまた葬ってしまう。
かような認識の上に立てば、この『一人の女が私の前に現われた』の英訳の出版は、近年の快挙であると言ってよい。翻訳者はジャネット・フォスターで、彼女の『文学における女たちの多様な性』('Sex Variant Women in Literature' 1956)は、レズビアン史を語る上での主要な参考文献である。しかしながらこの作品は、今年になってさる女性団体が運営する出版社から再版が出るまで、二十年ものあいだ絶版になったままであった。わたくし思うに、フォスター自身はこの労作に対する世上の無関心にさして驚きもしなかったことであろう。彼女はこの本の中で、レズビアンたちの生涯と作品とが、日常的にどれほど闇から闇へと葬り去られているかを骨を折って立証している。
『一人の女が私の前に現われた』の著者はルネ・ヴィヴィアンで、この女詩人の作品のたどった運命こそ、私が上に述べた歴史的健忘症の生きた実例である。ヴィヴィアンの詩は、今世紀の初め、批評家たちによって盛んにもてはやされたが、その後、忘れられた。
ルネ・ヴィヴィアンの韻文と散文による二十余巻の著作は、現存するレズビアンの著作中、もっとも注目に値するもののうちの一つとなっている。女性同士の恋愛に対する彼女の熱烈な讃美は、文学史家たちが彼女を切り捨てる一因となる一方で、逆に同性愛詩人として、少数の大人しい読者たちに熱狂的な人気を博する所以となった。彼女の詩集(仏語原版)は最近になってアルノ出版の同性愛叢書から再刊され、数篇の英訳がアメリカの『ラダー』誌に掲載された。ルネ・ヴィヴィアンの散文詩、短編小説、および唯一の本格小説(『一人の女が私の前に現われた』)は、彼女の詩よりもなお知られるところが少ない。ヴィヴィアンの存命中、彼女の詩は広く読まれ、ある種のスキャンダラスなセンセーションを巻き起こしたにもかかわらず、彼女の生前においてさえ、その散文作品は版を重ねたことがなかった。彼女の散文作品の多くは美しくかつ魅力に富み、詩よりもとっつきやすいのではないかと思われる。願わくば、この『一人の女が私の前に現われた』の英訳が、ルネ・ヴィヴィアンの全著作に対する関心の復活に寄与せんことを。
たとえ『一人の女が私の前に現われた』が無名の一レズビアン作家による失われた作品に過ぎぬとしても、その出版は喜ばしいことではある。しかしながらこの小説は一つの歴史的ドキュメントでもあり、レズビアン史におけるもっとも重要な時代のうちの一つの文書的遺留品でもあるのだ。『一人の女が私の前に現われた』は、ルネ・ヴィヴィアンが、その恋人でありミューズでもあったナタリー・クリフォード・バーネイとの痛切な交渉に関して綴った熱烈な、夢みるがごとき記述なのである。

「サッフォーとガートルード・スタインとの間にあって、…彼女たちは、近代の西欧世界におけるレズビアン文化の唯一の有効な表現を、身をもって具体化した」(バーサ・ハリス『彼女たちのレズビアニズムのより深い国民性――1920年代のパリにおけるレズビアンソサエティ』1973年)

この小説は恋愛事件とともにそれが起こった環境をも示唆するものであるから、その歴史的および伝記的背景について、いくばくかの予備知識があった方がよりよく理解できるだろう。私はこの小説における二人の主要な登場人物が生きた複雑な世界について、そのいくつかの様相をまず以下に描写したい。