魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

松岡圭祐『生きている理由』

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表題の作品について、一天一笑さんよりレビューをいただいておりますので掲載します。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。


松岡圭祐『生きている理由』講談社文庫を読了して。
好評の『シャ-ロック・ホームズ対伊藤博文』で英国を追われ、辛くも日本に密入国しながらも、自分自身のスタイルを保ちつつ生き抜くシャ-ロック・ホームズを描いた松岡圭祐が、日中近代史の中でも謎と噂と流言飛語の多い「東洋のジャンヌ・ダルク」若しくは「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の幼少期から思春期(16歳)迄を、山家亨中尉との叶わなかった初恋も含めて、最後にあっと驚く仕掛けと共に描き出します。最後まで退屈しないで楽しめると思います。

清朝末期の王女として生まれ、日本人野心家の養女に

先ずは、川島芳子の出生について紐解いていきましょう。
川島芳子は1907年、清朝皇族・粛親王善キの第十四王女として生まれました。正式な名前は愛新覚羅顕仔です。生母は日本人の血を引く第四側妃です(余り選択の余地の無い結婚だったらしい)。西暦1900年の義和団事件から後、1911年の孫文による辛亥革命の前ですから、生まれながらにして複雑な家庭環境と、乱世を生きてゆく宿命を背負っています。何故日本人名を名乗らければならなかったのか?も含めてです。
次にこの頃の中国をザックリと言うと、映画『北京の五十五日』にもあるように、内憂外患で国として体をなしているのかも怪しい状況です。中国の中に、租界と言われる中国の法律の及ばない地域ができています。そして、アヘン戦争で打ち負かされて高額な賠償金にも苦しまされます。つまり、粛親王が「我は皇族なり」と唱えたところで、意味も効用もなく只虚しいだけです。北京から旅順へと、およそ50人の粛親王一家は亡命せざるを得ません。使用人も最低限に減らし、住んでいる住居も以前とは比べ物にならないほど狭くなります。
こうした不遇をかこつ粛親王に元陸軍通訳(外国語学校支那語科卒)の川島浪速が近寄ってきます。この川島浪速は大変な野心家で、自分は中国大陸で大きな仕事ができる人間だと信じ込んでいる、所謂大陸浪人ですね。清朝崩壊を嘆く粛親王に、自分ならば満蒙独立運動を成功させられると吹き込みます。そうして独立資金をあちこちで集めるのです。
大法螺を吹いて、人の褌で相撲をとるタイプですね。粛親王がどうしてこんな輩に引っかかったのか?あらゆる面で窮乏していて、根拠のない幻想を信じ込んだのでしょうか?
そして、満蒙独立を進めるため、愛新覚羅家と川島家の絆をより強く結ぶために、愛新覚羅顕仔を川島家に養女として来日させます。これは暗殺からの避難の意味もあったわけです。
いずれにせよ、本人の知らないうちに周囲の大人たちに決められてしまいます。7歳の女の子ですから、大人にはさからえません。
「川島のおじちゃんの子供になりたいか?」
「うん」
随分残酷な問いかけです。私は現代の一般的な家庭でも、たとえ冗談でも「他所の家の子になるか?」というような問いかけは、人としてしてはならない事の一つだと今も信じています。柔らかい子供の心に消えない染みを作る様なものです。

川島芳子として女子校に通い、武術に励む

さて、血筋は清朝王女だが、日本人名川島芳子を名乗るが、その実、養父川島浪速の思惑により、日本国籍は取得していない(彼女の人生に取り返しのつかない結末となります)。
人工的に作られた不自然な家庭環境の下で、川島芳子は学校生活を送りますが、案の定、同級生や周囲とはギクシャクします。護衛をつけて登下校という状態ではどうしても不協和音が生じます。実はこれは川島浪速の陰謀によるものなのですが。護衛が要らないなら、武術を習えと話が纏まり、初めて芳子は自分で選んで、武術の稽古に打ち込みます。自分で意思表示をし、それに伴う結果に対処していく姿が見られます。

親王から託された「玩具」をめぐる死闘

そしてこの物語は佳境へと進みます。満蒙独の目が完全に無くなった川島浪速は東京の住居を引き払い、故郷の信州松本へ転居します。当然芳子も跡見女学校から松本高等女学校へと転校します(いずれも当時一握りの人しか通えないお嬢さん学校です)。
この松本高等女学校在学中に、芳子の人生にとって大事なことがおこります。まず一つは、松本高等女学校の通学路の警備をしていた松本聯隊の旗手山家亨中尉と、馬に乗って通学する芳子とが、ある事件を通じて知り合いになった事。もう一つは、実父粛親王の死去により大陸へ帰っているうちに、校長が土井晩翠に替わり、改めて芳子に日本国籍が無い事が問題となり退学してしまう事です。退学により、芳子は一層川島浪速の監視下に置かれます。自然に蒙古のカンジュル・ジャップとの婚約が整う事になります。川島邸の警護をすることになった山家亨中尉はあるものを発見します。それは川島芳子の出生にまつわる実父粛親王からの川島浪速宛の手紙で、そこに書かれていた「君に玩具を進呈する。養女として可愛がってくれ」の文言の意味するところの謎を、命懸けで解き明かしてゆきます。松本聯隊の陸士仲間の、任務の時間をぬった一方ならぬ協力を得て。
更に、カンジュル・ジャップとの婚約が決まった芳子は、中国大陸まで皇帝溥儀に挨拶に出向きます。幼いころから満蒙独立・清朝復活がお前の使命だと言い聞かされた芳子は、皇帝溥儀にその気があれば、自分はシャルル7世に尽くしたジャンヌ・ダルクとなってみせようと、気持ちが逸るのですが、形ばかりの皇帝の日々を送る溥儀にはその用意はありません。
ジャンヌ・ダルク?それは競馬の話なのか?」では会話がかみ合いません。なかなか中世の賢明王シャルル5世と大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランのようにはいきませんね。ここでも、芳子は失望感を味わいます。自分の生きる場所は何処なのだろう?と。
やがて、粛親王の手紙に書かれていた玩具の正体がわかり、それが実在することも確認されますが、その所有権を巡って、芳子と川島浪速の間でひと悶着あり、さらに芳子なりの養父離れに繋がって往きます。玩具とは何か?意外な展開に中国と日本の文化・習慣の違いを思い知らされます。その玩具を巡って国民党のギャング、川島浪速、芳子、山家亨中尉、そして芳子の婚約者(?)蒙古のカンジュル・ジャップの約8人が血みどろの死闘を繰り広げます。
死闘を辛くもくぐり抜けた芳子は養父川島浪速にむかって叫びます。
「わたしも、人との関わりを避けてきた。お養父さまは自分の価値を高めることで、周りを従わせられると信じている。大物を気取って他人から認めてもらいたいだけ」
そのものズバリ的中の発言ですね。逆上した川島浪速は芳子に掴みかかりますが、そんなことしても親子の仲は元にはもどりません。実体のない清朝王女の血筋をもって、満蒙独立の要となる事を強要する養父です。
これらの事が、関東大震災の発生とほぼ同じくして進行します。なので、死体が3体増えたところで、誰も問題にしないという恐ろしい状況が起きたりしています。
川島浪速の半端ないくだらなさ、屑っぷりが描かれています。対照的にカンジュル・ジャップの誠実さも見えます。所謂男気のあるいい奴みたいな感じです。
せめてもの救いは、玩具と共に箱に入った生母・第四側妃の切々とした心情が伝わる手紙が芳子に手渡されたことでしょうか。そして粛親王の署名の入った大事な書類も芳子の手に入ります。

男装の麗人」の誕生

山家亨中尉、そして芳子本人の知らないうちに婚約者となっていたカンジュル・ジャップ。
この2人の間で、自分はどうしたいのか?どう生きていくのか?自分で決めなければなりません。その結論が断髪・男装の麗人の誕生です。いささか思い込みが強く、突飛なようですが、女性を捨てた上で「生きている理由」を見つけます。

溥儀を含む清朝末期の皇族に興味のある方、日中近代史に興味のある方、作品のタイトルに興味を惹かれた方にお勧めします。
勿論何となくの方にもお薦めします。

天一


天一笑さん、ありがとうございました。ちなみに一天一笑さんはこの川島芳子清朝最後の皇帝溥儀について、昔からよく調べられておられますので、また面白い記事を書いて下さるのではないかと期待しております。

生きている理由 (講談社文庫)

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