魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

BAND-MAIDの「I still seek revenge」

2023年4月1日、幕張りメッセ(千葉県千葉市)でのノットフェスティバル。公式インスタグラムより。

謎のバンド

BAND-MAIDは私にとって、依然として謎のバンドです。
BAND-MAIDに対する一番ありきたりな批判は、以下のようなものです。いわく「このバンドには注目に値するものなど何一つない。女がメイド服を着てる、だから受ける。それだけだ。同じ音楽ものを男がっても、誰も見向きもしないだろう」と。
そう言われると、私も「そうかも知れんナー」などと同調しかけたりもするのですが、しばらくすると考えが180度変わる。「違う。全然違う。BAND-MAIDの魅力は余人の追随を許さない、斬新にして独立独歩、唯一無比のものだ」と。ただこの魅力を端的に表現する言葉がないので、「音を聴いてくれ」としか言えないのが歯がゆいのです。
女子プロレスというものがありますね。私はこの種のスポーツのファンではないが、木村花さんが亡くなった時、彼女の生前の活躍を偲ぶべく、YouTubeで二三本動画を探して観たことがあります。男性のプロレスに比べれば、迫力の点ではかなり見劣りするが、やはり女子ならではのがある。今日では女性格闘技の種類も増え、それぞれにファンもついて、興行的に成り立っているのなら、私などが口を差し挟む筋合いもない。ただ調べてみると、この女子プロレスに代表される女性格闘技の起源は、男性格闘技の前座もしくは余興にあると言う。
わたくし思うに、世のいわゆるガールズバンドファンの心理も、これと一脈通じるところがあるのではないでしょうか。要するに「男の方がもっとうまくれることはわかっているが、女にらせてみるのも一興かも」といった心理です。こうした人たちはガールズバンドの演奏に、男性バンドのパロディを見ているのだと思います。
BAND-MAIDの魅力はこれとはまったく次元の違うものです。とはいえ他の的確な表現が、今の私の頭には思い浮かばない。ただ彼女たちは彼女たちにしかできない音楽ものっている、これだけは確かです。

「ん」の美しさ

日本語における「ん」の音は、一拍として発音され、母音のようにアクセントを置いたり、引き延ばしたりすることができる。BAND-MAIDの楽曲においては、t-shinji さんが「ん」の包摂(Inclusion of 'n')と呼ぶテクニックによって、この「ん」の音が直前の母音と結合(?)し、一拍として発音される例が多々見受けられる、という話をしました。この手法は日本語を英語っぽく聴かせるには適しているが、その反面、日本語の発音の美しさをそこなう恐れがあることも指摘しておかなければなりません。
日本語の「ん」の音に初めて独立した音符が割り当てられたのは、土井晩翠作詞・瀧廉太郎作曲の「荒城の月」(1901年)という楽曲においてだと言われてゐる。

春 高楼の花の宴…

この「はなのえん」の最後の「ん」の音に、瀧廉太郎は直前の母音「え」とは独立した音符を割り当てた。当時、西洋音階は日本においてはまだ普及しておらず、西洋の歌は西洋音階で歌われ、日本語の歌は日本独自の音階で歌われている状態だった。この作品は西洋音階と日本語とを初めて合体させた、画期的な作品でした。その頃、瀧廉太郎は二十歳の学生で、その三年後に亡くなりました。
この日本語の「ん」の音の美しさについて思い出されるのは、遠い昔の話ですが、ある日、八神純子さんの「サマー イン サマー 〜想い出は、素肌に焼いて〜」という曲を(スタジオ録音ではなく、ライブ盤で)聴いていた時のこと。

でもいいの
今わたしは
真夏のヒロイン…

この「真夏のヒロイン」という歌詞が歌われる際、

まなーつのひろいんーーーー!!

という風に、最後の「ん」の音が、何か常軌を逸した、異常なパワーで引き延ばされる、そこが実に美しかった。これが英語の歌なら、

まなーつのひろいーーーー…

という具合に、「い」の音ばかりが引き延ばされて、あの美しい「ん」の音は、いつまで経っても姿を現わさなかったことでしょう。
下は八神純子のトリビュートバンド「six'I's」によるカバー。


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「I still seek revenge」*1の歌詞

クリアに
ひびき
わたっていく…

という「サビ」の部分が印象的(印象的な部分のことを「サビ」というんですかね?)なこの曲、いい曲だと思いますが、今から約一年前、Redditという英語圏掲示板サイトのBAND-MAIDの板へ投稿されたこの歌の英訳に寄せられたコメントに、この歌詞がエドガー・アラン・ポーの短編小説「しゃべる心臓(The Tell-Tale Heart)」を思わせるというものが複数あって、無理もないと思いました。
「しゃべる心臓」に興味のある方は拙訳をご参照下さい。内容は殺人を犯した一人の狂人が、おそらく警察の取調室で、犯行の動機および一部始終を物語るというもので、ほとんど支離滅裂だが、本人は理路整然と話しているつもりでいる。一番筋が通らないのは動機で、自分でもよくわからないらしく、きっと被害者(同居していた老人)の「ほの蒼き瞳ペール・ブルー・アイ」のせいだ、などと言う。こんなものを今風の口語体で書かれたら、とても読むに堪えないところですが、ポーの文体はシェイクスピアかよ!?と言いたくなるほど格調高いもので、その迫力には圧倒されてしまいます。残念ながら拙訳にはその辺までは写し得ておりません。
この犯人(私は彼を若い男性だと思うので、そのように訳しました)は、明確な殺意を抱いたことを自覚すると、逆にくだんの老人に対して過度に優しく、親切に接するようになる。それと同時に彼は毎晩十二時きっかりに、老人の寝室のドアを少しだけ開けて、真っ暗な部屋の内部の様子を窺い、犯行の好機を探る、ということを繰り返します。奇妙なことに、老人がすやすや眠っていると、彼は犯行におよぶ踏ん切りがつかないのです。そしてある晩、遂に運命の時が訪れます。
この暗闇における対峙のイメージが、「I still seek revenge」の歌詞に繰り返し現われる。

Because there's darkness !
秘密いて向かえ
Darkness is shining in my heart !

例によって小鳩ミクの名人芸ですね。

You're not singing
But it looks like you are
(あなたは歌っていない
なのにあなたの歌声が聴こえる気がする)

確かにホラー映画っぽい雰囲気を感じます。

未来なら要らない
隠し通せない
黒々くろぐろ染まった醍醐味を味わえ!

というわけで、この歌詞を英訳で読んだファンが、錯覚を抱くのも無理はないが、日本人にはこの歌の初めの方の、

心むしばんだ快楽に溺れては

との台詞を聴き分けた時点で、この歌の内容が犯罪小説よりもむしろ官能小説に近いことに気がつく。この歌は自分をアメとムチによって支配している男性に対する、女性の叛意を歌ったものだと思います。彼が押し付けてくる「」なるものに対して、彼女は「感謝」の気持ちなどひとかけらも持ち合わせてはいない。彼女が感じているのは「屈辱」のみです。彼女はいつの日か、立場を逆転させて、彼を自分に対して従属的な立場に置くことで「復讐リベンジ」を遂げたいと激しく願っている。そうしてそのための好機は刻々と近づいている。こうした男性の支配に対して反旗を翻すという内容の歌詞は、BAND-MAIDのナンバーに非常に多いように感じますが、これは小鳩ミクが意識して書いているというよりも、彼女がメインヴォーカルの女の子のイメージを念頭に置きながら、曲に合わせて言葉を紡いでいるうちに、発想がおのずとそういう方向に傾いてゆく、ということなのかも知れません。


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*1:アルバム『Unseen World』(2021年)所収。