表題の歴史小説につきまして、一天一笑さんから紹介記事をいただておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。
澤田瞳子『吼えろ道真 大宰府の詩』(集英社文庫)を読了して。
『泣くな道真 大宰府の詩』の続編です。
前作では、左大臣・藤原時平の謀略に敗れ、大宰府に“権帥”のポストで左遷され、悲嘆にくれる菅原道真が、周囲の人々を振り回しながらも、骨董屋・橘花斎の評判の目利き・管道三として活躍し、果ては自ら書家の腕を揮って、本物の偈を作り、大宰府庫の欠損金千三百余貫(約一億六百万円)の穴埋めをします。
太宰大弐(大宰府長官)の小野葛絃は、全て承知していますが、知らぬふりをしています。彼は、ふっくらとした色白の面差しと芥子粒のような目鼻立ちのため、穏やかそのものの外見に、似合わない胆力をもっています。
西暦901年7月14日、改元が行われる。
「うたたね殿」こと太宰少典・龍野保積は、太宰大弐の小野葛絃に呼び出され、肝を冷やした。
用件は、都から届いた改元の詔を、今夜中に南館の道真に見せて戻せとの仰せであった。
ついては甥であり、自分の右腕の太宰少弐・小野葛根を供にして、文筥に納められ、緒をかけられ、更には白い絹布に納められた詔を運べとのこと。内容は、ざっくり新元号は延喜、改元の理由は「老人星(カノープス)の為」「辛酉の為」です。
保積にとっては、元近衛府将曹の、鰓の張った顎を持つ葛根は、苦手な上役である。
南館は、都からただ一人召し連れてきた従僕の安行により、左遷された人物の館とも思えぬほど、手入れが行き届いている。
保積はただ一人、道真と面会します。道真は詔を捧げ持ってから躊躇いなく音読します。保積は眠くなります。
音読が止まり、怒号に変わります。
「ふざけるな!」
“鯨鯢”の文字が道真を刺激します。
「おのれ、時平。そんなにしてまでわしを貶めたいのか。わしを帝の恩に背いて政道を奪おうとし、すでに西海に葬られた鯨になぞらえている。改元の理由の一つとされている」
保積が止めようとする間もなく、道真の真っ白になった指先は、詔書を二つに引き裂きます。
四つに八つに引き裂き、庭に向かって投げる。裸足のまま庭に飛び降り、足でグリグリと踏む。文机の硯がひっくり返り、墨が庭の苔についた。
「いかがなさいましたか」
安行が問う。
「おやめください、道真様」
我に返った龍野保積は、庭中に散った黄紙をかき集める。
「安行、火を持て。偽詔を燃やすぞ」
「どうした、何事か?」
葛根と道真が揉みあいになり、道真の勢いは止まった。
都に道真が詔を破り捨てた事実が知られたならば、保積は免官、葛根と葛絃は左遷である。
甥の葛根から報告を受けた葛絃は、すぐ作紙所の漉子に、黄檗混じりの紙を漉かせた(無論、漉子には、他言無用と言い含めてある)。葛絃は暗い堂宇で、朗々と詔を詠む。
詔の内容は、幸い葛絃と保積が覚えていた元号と改元の理由で誤魔化すことができた。
詔を引き裂いた道真に聞こうにも、自室に籠って出てこない。
曲がりなりにも、改元の儀式は無事終了した。詔は西国に送られ、京都に戻り、宮城内の倉庫に戻る。決して検められる事は無い。儀式は無事終了し、宴会が開始された。
公文所大典・秦折城が、葛根に聞いた。
「近々、都から唐物使が下向されるそうですな。しかも、太宰大弐のご子息さまも同行されるとか。上のご子息は元服されたばかり、弟君は七歳の頑是ないお年とか」
「すまんが、用事ができた。皆ゆっくり飲んでくれ」
葛根の心は穏やかではなかった。
ひと月か二月の滞在見込みだが、小野葛絃の息子たち、好古と亜紀の兄弟が大宰府にやってくる。
しかも、唐物使は利け者と評判の藤原俊陰であり、何故か異例に中原貞遠を先触れに遣わしている。長年にわたり、博多津から偽唐物が献上されている疑義があると調査にやってくるのだ。
すでに中宮職として、少属として宮仕えをしている好古はともかく、自分にまとわりつき、書で身を立てたいなどと言っている亜紀をどう扱えばいいのだろう?
今回も、道真が気ままに振る舞い周囲を振り回してはいるが、やがて意外に“鯨鯢”の文字と折り合いをつけます。そして、南館に娘・紅姫と亜紀の賑やかな声が響きます。
道真は、亜紀(のちの小野道風)の帰郷後も交流を続けます。
感情の起伏は激しいが、決して挫けない道真の物語をお楽しみください。
一天一笑