今から170年ほど前にドイツ語で書かれた詩をご紹介します。私はドイツ語はわからないので、英訳からの重訳になります。ドイツ語原文はこちら。参照した英訳はこちらとこちら。邦訳では井上正蔵教授のものが一番参考になりました。(2024年11月)
俺は夢を見た 夢で見たのは
夏の月夜の廃墟だった
それは在りし日の栄華の 今は見る影もない残骸
ルネッサンス期の遺跡だ
瓦礫の山のあちらこちらに
荘重なドーリア式柱頭を冠した石柱が立ち
その天を摩する高さは
雷さまを見下ろすばかりだった
足もとに所狭しと散乱する
崩れ落ちた門扉や山型の屋根
人や動物の像もあれば ケンタウロスやスフィンクス
サチュロスやキメラなど 幻獣の像もある
おびただしい数の女神像が
伸び放題の雑草に覆われて倒れていた
「時間」という名の梅毒に冒されたニンフの
顔からは 高い鼻がもげていた
大理石でできた 蓋のないエジプト石棺が
このがらくたの中に 無傷で残っていた
その中には一人の男性の遺体が これまた完全体で
悲しみを帯びた静かな顔をして 横たわっていた
首をぴんと伸ばした女人像列柱が
これを頭に乗せて しっかりと支えているように見えた
そうしてこの石棺の両側には およそ雑多な人物像の
淺浮き彫りが認められた
見よ これぞオリュンポス山の栄光と
そこに住む性欲旺盛な神々の姿
そのかたわらにはアダムとイブが
可愛らしいイチジクの葉で前を隠して立っている
ここには没落炎上するトロイ
パリスやヘレネ ヘクトールの姿も見える
すぐそばに立っているのはモーセとアロン
エステル ユディト ホロフェルネスやハマンも一緒だ
また見る愛神アムール
フィーバス・アポロ ウルカヌスとその妻ヴィーナス
プルートー プロセルピナ メルクリウス
酒神バッカス プリアポス そしてシレノス
そのかたわらに立っているのはバラムの驢馬だ
今にも口を利きそうなほど本物そっくりだ
そこにはまたアブラハムの試練の姿
娘たちに泥酔させられるロトの姿
ここにはへロディアの娘の踊る姿
バプティストの首が盆に載せて運ばれる
ここには地獄と魔王サタンの姿
聖者ペテロが天国の門の大鍵を提げている
これに代わって目に映るもの
それは主神ゼウスの欲望と罪の数々
いかにして白鳥となってレダと交わったか
いかにして金貨の雨となってダナエを孕ませたか
ここには野獣を狩る処女神ディアナの姿
あとに従う猛犬たち 身なりのよいニンフたち
ここには女装したヘラクレスの姿
手には糸巻き棒を持ち 紡錘を回転させている
次に見るのはシナイ山
イスラエルは雄牛とともに山麓にある
十二歳のイエス・キリストが寺院の中で
権威を論破している姿も見える
対照的なものがことごとく隣り合わせになっていた
それはすなわちギリシャの官能主義と
ユダヤの精神主義だ アラベスク風の
蔦葛が双方に巻きついていた
ところが奇妙なことに
こうして芸術作品に見とれているうちに
俺はいつしか故人となって
その大理石の棺の中に横たわっていた
そうしてわが枕もとには
一輪の妖花が咲いていた
その葉の色は硫黄色で 紫でもあった
狂った魅力がその花に君臨していた
人はこれを「受難の花」と呼び
昔「神の子」が殺され
彼の贖いの血が流された日に
ゴルゴダの丘に咲いたと伝えられる
人は言う この花こそ流血の目撃者で
「神の子」を処刑するために刑吏が使用した
拷問器具一式の記憶を
そのうてなの額縁の内にとどめているのだと
さよう この拷問部屋全体に
「受難」の小道具がすべてそろっていた
縛る縄 責める鞭 血の杯や茨の冠
十字架があり 鉄槌があり 打つべき釘があった
わが墓のかたわらに その花はたたずんでいた
そうしてわが亡きがらの上に身をかがめると
死者を悼む女性の身振りで 口をつぐんだまま
わが手や わが目や わが額に口づけをした
すると夢とは不思議なもので
この硫黄色の「受難の花」が
一人の女性へと姿を変えた
それは彼女だった わが意中の女だった
それは君だった わが最愛の子よ
その花のキスで君だとわかった
こんなに柔らかいくちびるの花は君しかいない
こんなに熱い涙を流す花は君しかいない
俺は目を閉じたまま 君を見ていた
目を閉じたまま 君の顔をじっと見ていた
君は俺を見ていた 狂喜に満ちた目をして
月光を浴びた亡霊の姿で
われわれは黙っていた だが俺には
君の口に出さない想いが読めた
口に出してしまえば恥知らずな女になる
恋は口に出さずにいてこそ花なのだ
そうして沈黙とは何と雄弁なものだろう
何の隠喩も 何の隠語もなしに
何の言葉のあやも 何の言葉の飾りもなしに
一切をありのままに 正直に告げてくれる
諸君には信じられまい この優しい語らいにも似た
沈黙の対話というものを
歓喜と恐怖とで出来た この夏の夜の甘美な夢のうちに
時間は何とすみやかに過ぎたことか
われわれが何を話したか それは訊いてはならない
蛍には訊け 草地に何を光るのか
河水には訊け 何を流れるのか
西風には訊け 何を吹き 何を嘆くのか
カーバンクルには訊け 何を輝くのか
薔薇や花菖蒲には訊け 何を薫るのか
だが殉教者と殉教の花とが 月光のもと
何を交わしたかは絶対に明かせない だから訊くな
この冷たい大理石の棺の中で
俺は恋人との交歓の夢を
時を忘れて楽しんでいたが この安眠の
よろこびは 出し抜けに打ち破られた
おお「死」よ お前だけが その厳粛な沈黙によって
われわれに最高の快楽を与えてくれる
愛の痙攣や休みなき快感が与えてくれるもの
それは「幸せ」ではなく 卑しむべき「生」なのだ
だが悲しいかな わが至福の時は束の間だった
外から急に雑音が来た
それは侃々諤々たる口論だった
ああ わが花はこの騒ぎで消えてしまった
そうだ 俺はこのとき外界に巻き起こった
囂々たる非難の応酬に
数限りない声を聞き分けた
それはわが棺の淺浮き彫りたちの声だった
古代宗教の狂気が石に取り憑いているのか?
この大理石像たちが言い争っているのか?
野性の牧神の雄叫びが聞こえる
モーセの呪いの声も聞こえる
ああ この諍いは終わらない
「真実」と「美」とは相容れない
人心はヘレネスとバルバロイとに
両断されて 常に葛藤している
甲論乙駁 この不毛な論争は
いつ果てるともなく続き
そこへ現れたのがバラムの驢馬で
神々や聖者たちよりも大声を上げ
この畜生が何度も鳴くその奇妙な鳴き声で
そのおぞましい奇声によって
絶望のどん底に突き落とされたこの俺は
自分自身の叫び声で 目が覚めた