魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

リェーナ・カーチナ vs. t.A.T.u.(Elena Katina vs. t.A.T.u.)「時速200キロで逆走」篇


風に当たろうとして
ぶらりと通りに出る
すべてが不当だと感じる
だけどこんなの慣れっこだ
私はこんなの慣れっこなんだ

――リェーナ・カーチナ「Wish on a Star(星に願いを)」

はじめに

t.A.T.u.とはリェーナ・カーチナ(Elena Katina)とユーリャ・ヴォルコヴァ(Yulia Volkova)の二人から成るロシアのポップデュオ。1999年末ごろから活動を開始し、2000年12月、シングル「ヤー・サシュラー・ス・ウマー(Ya Soshla s Uma)」で公式デビュー。2002年には元「イエス(Yes)」のトレヴァー・ホーンTrevor Horn)のプロデュースによるこれの英語版「オール・ザ・シングス・シー・セッド(All the Things She Said)」が世界中で馬鹿売れし、一躍スーパースターの仲間入りを果たす。2011年3月解散。

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デビューシングルの宣伝用ビデオのワンシーン。英語版ウィキペディアより。
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ビデオ撮影直後、びしょぬれの二人。eng.tatysite.netより。

上の画像、右側の黒髪の子がユーリャ・ヴォルコヴァですが、彼女はほんとは金髪で、後で出てくる天才的な悪徳プロデューサー、イワン・シャポヴァロフ(Ivan Shapovalov)が「イメージ作り」のために黒髪に染めさせたものです。
ついでに解散後の彼女たちの動向についても触れておきましょう。まずリェーナ・カーチナですが、彼女は現在2枚目のソロアルバムを製作中で、リリースは目前に迫っているようです。現在先行発売されている数枚のシングルからそのニューアルバムの内容に関する情報をまとめてみますと、まず、前回のアルバム『This Is Who I Am(これが本当の私)』(2014年)がすべて英語の曲を集めたアルバムで、のちにスペイン語版は出たものの、ロシア語版は結局出なかった関係から、今回は全曲ロシア語のアルバムになりそうです。また『This Is Who I Am』ではすべての曲にリェーナの名がクレジットされていて、みずからも積極的に曲作りに参加していた様子がうかがえましたが、今回はアンナ・バストン(Ana Baston)というウクライナのシンガーソングライターから多く楽曲の提供を受けているようです。

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アンナ・バストンさん。vk.com/ana_bastonより。

一方、ユーリャ・ヴォルコヴァは、英語版ウィキペディアによれば、2012年に甲状腺がんと診断され、これの除去手術の際に喉頭神経を損傷して一時ほとんど声が出なくなった。声を取り戻すための手術をドイツで二度受けたが失敗し、2014年、ソウルで受けた三度目の手術でようやく事態の好転を見たということです。これも後で触れますが、彼女はどうも歌手としては大成できない運命にあるようです。
二人は2014年2月、ソチオリンピックの開会式直前のセレモニーで共演し、t.A.T.u.再結成の噂が流れましたが本人たちはこれを否定。その際にリリースされたシングル「Love in Every Moment 」は正式にはt.A.T.u.名義ではなく、「by ユーリャ・ヴォルコヴァ featuring リェーナ・カーチナ(他2名)」という形を取っておりました。しかし公平に見て、t.A.T.u.復活を求めるファンの声には未だに根強いものがあります。
2015年11月、ロシアのテレビ番組で、元「セレブロ(Serebro)」のエレナ・テムニコワ(Elena Temnikova)が、リェーナ役に8歳年下の女優アグレイア・シロフスカヤ(Aglaya Shilovskaya)を迎えてt.A.T.u.の「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」をカバー。


Елена Темникова. Тату — «Я сошла с ума». Точь-в-точь. Фрагмент.

宣伝用ビデオの世界が忠実に再現されています。さすがにキスシーンはありませんが(ない方がよろしい)
t.A.T.u.の音楽は若い世代に着実に継承されているように見える。下はイギリスのガールズバンド「エヴァローズ(Evarose)」による「オール・ザ・シングス・シー・セッド」のカバー。2016年7月公開。


Evarose - 'All The Things She Said' (Tatu Cover) OFFICIAL VIDEO

ついでにこちらはイタリアのロックバンド「ハーフライヴズ(Halflives)」による実にクールなカバー。カナダのバンド「カーレッジ・マイ・ラヴ(Courage My Love)」より、ヴォーカルの双子の姉妹のうちの一人メルセデス・アーンホーン(Mercedes Arn-Horn)がゲスト参加。2016年11月公開。


t.A.T.u. - All The Things She Said (Halflives cover feat. Mercedes from Courage My Love)

「大喧嘩」から始まるストーリー

ここからはしばらく私の(苦い)思い出話になります。
私のような世事に疎い者の耳にもこのt.A.T.u.の名が頻繁に聴こえるようになって来たのは2002年の末ごろだったでしょうか。明けて2003年になると、私はもろもろの事情から、このt.A.T.u.に関する最新情報をあるサイトに投稿していくこととなりました。
ここで、クイーンの場合もそうでしたが、脱帽しなければならないのは日本の女子高生たちの情報収集能力と行動力です。このころには彼女たちはすでに立派な日本語のファンサイトを立ち上げていて、私もいろいろと恩恵をこうむることができました。そこで思い出すのが、私がそのファンサイトへ通い始めたちょうどそのころ(2003年2月)、そのサイトで話題になっていたユーリャとリェーナの「大喧嘩」の件です。確かに私もそれ以前にアメリカのあるゴシップサイトで以下のような短い記事を読んだ記憶がありました。

t.A.T.u.の二人は、ステージ上では恋人同士のふりをしているけれど、プライベートでは喧嘩ばかりしていて、恋人どころか友だち同士にさえ見えないよ(笑)

私も最初は驚きましたが、彼女たちの言動を追っていくうちに、むしろそれが彼女たちの「常態」であると知りました。しかしそのころ騒ぎになっていた「大喧嘩」というのはそれとはわけが違い、何でもプロモーション・ツアー先のチェコのホテルで、ユーリャがリェーナに暴行を加え、リェーナは救急車で病院に担ぎ込まれたという話だから穏やかでなかった。
しばらくすると、この「大喧嘩」の背景が見えてきました。ユーリャは妊娠していたらしい。相手はモスクワに住む彼女のボーイフレンドです。十代のアイドル歌手が妊娠と言えば、それだけでも大スキャンダルですが、その上この頃のt.A.T.u.レズビアンのイメージで売っていたので、このイメージに傷がつくことを恐れたプロデューサーのイワン・シャポヴァロフは、秘密裏にユーリャをモスクワへ送って中絶手術を受けさせ、その後ツアー先へととんぼ返りさせた。そのストレスから(彼女は本当は産みたかったのかも知れません)、いつも一番そばにいるリェーナに八つ当たりしたというのが真相のようでした。この妊娠と中絶のうわさはまずロシアの大衆紙にすっぱ抜かれ、それがくだんの日本のファンサイトに紹介されたのですが、その後イギリスのタブロイド紙にも転載され、英語圏のファンにも知れ渡るところとなりました。
ここでお断りしておかなければならないのは、以上のようなt.A.T.u.をめぐるもろもろの事件の元ネタのうちには、それが掲載されていたサイトが閉鎖されたり、記事が削除されていたりして、今では出典を明示することができなくなっているものも少なからずあることで、そのような場合、私の衰弱した記憶力を信じていただく他ないことを、どうかご了承いただきたいと思います。

イワン・シャポヴァロフという男

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2005年10月、モスクワのガウディ・アリーナで催されたt.A.T.u.のコンサートに姿を現したイワン・シャポヴァロフ(中央)。ちなみに左に写っている美しい女性はシャポヴァロフの元カノで、「ヤー・サシュラー・ス・ウマー」の歌詞を書いたエレーナ・キーペル(Elena Kiper)です。ウィキメディア・コモンズより。

ここらへんで、t.A.T.u.の初期のプロデューサー、イワン・シャポヴァロフについて触れておかなければなりません。
彼はもともと音楽業界の人ではなく、広告業界の人です。また彼が大学時代に児童心理学を専攻していた点も、メディアではよく取り沙汰されます。
1999年の初め、彼はアレクサンドル・ヴォイチンスキー(Alexander Voitinskyi)という作曲家とともに、若い女性歌手を使った音楽プロジェクトを立ち上げることにして、400人もの応募者を対象にオーディションを行なった。その結果選出されたのがリェーナ・カーチナ(当時14歳)で、ヴォイチンスキーは彼女に自作の「ユーゴスラヴィア(Yugoslavia)」という反戦歌を与えてデビューさせました。

下は2012年9月にサンクトペテルブルクで開催されたLGBT支援のためのイベント「クィアフェスト2012(QueerFest 2012)」において、幻のデビュー曲「ユーゴスラヴィア」を熱唱するリェーナ・カーチナ。ちなみにこのイベントが行なわれたのは「同性愛宣伝禁止法」なるものがサンクトペテルブルクの立法議会で可決されて間もないタイミングで、この悪法への反対の立場を明確に示すという意味で、このイベントへの参加はリェーナ自身のキャリアにとっても重要なものとなりました。

Lena Katina (t.A.T.u.) - "Yugoslavia" Live @ QueerFest

さて、デビューを果たしたリェーナですが、彼女の「ユーゴスラヴィア」はまったく反響がなかった。ヴォイチンスキーの回想によれば、シャポヴァロフはこの時こう言ったそうです。「もう一人女の子が要る。二人の方が活気がある」と。おそらくシャポヴァロフは無口で地味な性格のリェーナひとりだけでは人気を集めるのは難しいと、広告マンとしての直感で気づいたのでしょう。こうしてこれまた最終選考まで残った少女のうちの一人、ユーリャ・ヴォルコヴァ(リェーナより四ヵ月半だけ年下)がメンバーに加わることとなりましたが、シャポヴァロフが何をやろうとしているのか理解できなかったヴォイチンスキーはやがてプロジェクトを離れ、その時点で、シャポヴァロフはこの才能にあふれた二人の美少女を、自分一人の思いのままに操ることができる権限を手に入れました。以後、シャポヴァロフ、リェーナ、ユーリャの三人は、t.A.T.u.のデビューアルバムのタイトルどおり、「反対車線を時速200キロで暴走」するのですが、暴走車のハンドルを握っていたのはあくまでもシャポヴァロフで、他の二人はたまたま同乗していたに過ぎません。(続く)