一天一笑さんによる吉川永青の歴史小説『毒牙・義昭と光秀』の紹介記事、第十三回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。
6月1日夜
中国攻めの準備が整いました。6月1日夜10時頃、待機していた総大将光秀は、松明を燈し、丹波亀山城から、1万3000の軍勢を率いて行軍を開始します。信長の下知は、備中高松城で戦っている羽柴秀吉を援護せよ。余り気乗りしない光秀ですが、それを気取られないよう普段通り振る舞います。用心します。競争相手を助ける中途半端な任務です。
馬上の光秀は些か緊張した面持ちです。その日は、亀山から東に離れた柴野に宿営しました。
6月2日、早朝の戦評定
夜明けとともに光秀は、何れも信頼するに足りる5人の近習を呼び、戦評定を開きました。
その5人の顔ぶれは、娘婿明智秀満、一族の明智次右衛門、家老の斎藤利三、古参の藤田伝五、溝尾茂朝(庄兵衛)です。
光秀は息を詰めて言います。
「これより我らは京にのぼる」
5人は雁首を揃え、目を丸くして、視線で互いに「何故?」と尋ね合った。
1拍、2拍以上置いて、尚一同の空気が戸惑っている状態の頃、明智秀満が口を開いた。
「京を経るより、真っすぐ摂津に出て、備中に向かう方が早うございましょう」
秀満は眉を顰めます。他の4人も頷きます。そして斎藤利三が訝しげな小さな声で言います。
「或いは、今、上様は京におられます」
そうです。信長は、家康を招いて京見物をさせています。なので、お供は50人ばかりの小姓と女房衆のみです。宿泊場所は京都の南に位置する本能寺です。既に入っています。
「我らが陣容を検分させよと仰せつけられましたか」
光秀は乾いた声で「はは」と笑った。
「それは良いな。利三、物頭たちには左様に伝えておけ」
「ということは、違うと?されど上洛しては、毛利を叩きに参れと上様からお叱りを受けるのでは」
5人一様に不安な表情を浮かべでいます。
実は光秀も別な理由で不安なのです。しかし、迷いを捨て、丹田に気を込めて、口を開きました。
「敵は・・・備中にはおらぬ」
更に目をギラリと光らせて言います。
「敵は本能寺にあり」
5人一同、顔色を失います。我が殿は謀反を起こされるのか?相手は”あの第六天魔王信長“。一同の雰囲気を見た光秀は、やおら床几を外して、土下座をしました。
そのまま小さいがはっきりした声で、光秀は言います。
「何も言わずに従ってくれ。私だけが気が付いたのかも知れぬが、なさねばならぬのだ」
日頃緻密で、論理明快な光秀にしては、情緒的・抽象的で、まるで別人の言動ですね。
誰も何を言いません。戦評定は重苦しい空間へと変化しました。どれくらいの時間が経過してからか、明智秀満が小さな声で言いました。
「承知仕りました。義父上がこれ程思い詰められておられるのは、余程大事な訳がおありと存じます。されば、何も訊かず、仰せに従いましょう」
「某も同じですな」
溝尾茂朝が続く。藤田伝五も頷いた。
「分かり申した」
「恩に着る。次右衛門、利三。其方らはどうじゃ」
次右衛門がニコリと笑う。利三は、土下座した光秀の脇に廻り、
「お立ちなされ」
と手を差し伸べました。そして言います。
「一刻を争うのでしょう。なので、今は訳を聞きませんが、事が成就した折か、枕を並べて皆討ち死にする折にでも、必ずや訳を聞かせてください」
「相分かった」
光秀は目元を拭い、腰を上げ、床几に掛け直した。眦を決し、軍配を振った。
「敵は本能寺にあり!進軍開始!」
葉室麟『墨龍賦』に桂川渡河の場面が出ています。お読み下さると幸甚です。
毛利家に与する義昭は自分自身を嗤う。羽柴秀吉は動く。
義昭の御所は、数年前に小松寺から津之郷に移転していた。芦田川の流れを見やりながら、義昭は言う。
「戦の潮目はどうなったであろう」
一方、羽柴秀吉は、武田家滅亡の翌月から、3万の織田勢をもって、備中高松城を囲んでいた。
城主毛利家家臣、清水宗治は猛将として知られ、城に立て籠る3000人の城兵の士気も高いです。手を焼いた秀吉は戦法を変えます。有名な高松城の水攻めに舵をきります。
黒田官兵衛の献策が清水宗治を苦しめます。低湿地に位置する高松城を堰堤で囲みました。
“墨俣の一夜城”等で有名な土木工事の名人を抱えている羽柴軍団?の面目躍如です。
5月20日には堰堤を切ると、高松城は湖面に浮かぶ城となります。雨季に突入すると堪りません。高松城の後詰をする毛利家は秀吉方に何度か和議を申し入れますが、秀吉は頑として応じません。
しかし6月4日、急転直下。羽柴秀吉は毛利家に和議を申し入れます。
真木嶋昭光からその報せを聴いた義昭は、眉を顰め「怪しい」と呟いた次の瞬間、言います。
「然らば、余の下知を毛利に伝えよ。この和議は断じて受け入れてはならぬ!」
「御意!」
真木嶋は早馬の伝令を出しますが、毛利家は既に和議を受け入れていました。毛利家使者は安国寺恵瓊です。清水宗治は小船に乗り、猛将の名に恥じない見事な最期を遂げます。
6月6日に和議成立の伝令が義昭の御所に到着します。
6月9日、陣引き払いの挨拶に御所へ来た小早川隆景は驚くべき報せを運んできました。
「織田信長殿、去る6月2日、京都本能寺にて討ち死にされた由」
「何じゃと」
義昭にとっては青天の霹靂でした。
「確かな・・・報せか?」
「然り。京都に潜ませた透破によれば、謀反を起こしたのは明智光秀と」
「み、つ、ひ、で、・・・」
義昭の全身にぞくぞくした喜悦が走りました。止まりません。
「ほほほほ・・・あははは・・・」
何とも表現しがたい義昭の哄笑が虚しく響きます。
光秀の中で何が起こったのかは、努々知ることはできないが、注ぎ込んだ言霊の毒は無駄ではなかったのだ。嘗ての奉公衆・上野清信が織田家に鞍替えした時に諦めた野望が、形を変えて成就されたのだ。あの光秀によって。
「隆景、然らば羽柴が和議を求めたのはそれ故か」
「左様。城の受け取りの者以外は全て引き揚げておりますゆえ」
秀吉が全軍引き揚げを開始したのは、6月6日の3日前。まだ京都への道は途中であろう。
義昭は、昂った気持ちを抑えきれず、涙の混じった裏返った声で言った。
「それを知りながら、其の方は、なにゆえ軍を引き揚げて参ったのか。今からでも遅くはない。疾くと兵を返し、羽柴を追撃するのだ。光秀を助けて、織田を討つのじや!」
信長の死んだ今、光秀が京都を押さえた上で秀吉を叩けば、頭を失った織田軍は纏まらないから足利の天下が蘇る。
「そのお下知は聞けませぬ」
隆景は細い顎を重々しく動かして言った。
「何、何を申している。何故じゃ?」
義昭は、全身に怒気を含ませ、右手の扇で膝下の畳を強く叩いた。
「愚か者!今が天下を取る絶好の機会ではないか」
隆景は、大きな切れ長の目を吊り上げ、射抜くような眼差しを義昭に向けて言った。
「毛利は天下を望んでおりません。上様を奉じたのもひとえに毛利の領国・毛利を頼む国衆を安んじるためでございます。ゆえに羽柴殿の背を襲わず、織田軍の乱れを衝かず。恩を施す。起請文を守る。武士の恥を知る。我らのこれに勝る上策はございませぬ」
隆景は、憤慨に満ちた言葉を言うだけ言うと、軽く一礼して、猶鋭い一瞥を加えて速足で御所を去っていきました。
「上様、我ら毛利家を使い捨てて天下を取ろうとしても、そうは行きませんぞ」(続く)