一天一笑さんによる吉川永青の歴史小説『毒牙・義昭と光秀』の紹介記事、第十二回目となります。一天一笑さん、どうかよろしくお願いいたします。
戦勝祝いでの異変
光秀は思う。「お前“が”何をした」と問われれば沢山答えられる。比叡山焼き討ちの実行、京都奉行への奉職等、多数だ。軍功では誰にも劣らない。
しかし信長の問いは違うのだ。
「お前は私を裏切ったのではないか?申してみよ」
信長の声とも自分の声とも判別のつかない絶叫が聞こえた。
「ああああああ!」
信長の蹴りを何度も喰らう。光秀は廊下に這い、痛みすら感じなくなった。
「上様!」
「上様、おやめくだされ」
騒ぎを聞いた家臣たちが、顔面蒼白の態で駆け付けて、信長を抑える。
ある者は、袴に縋り付き、ある者は、小袖の袂を掴みます。そして駿河一国を賜った”同盟者“家康まで駆け付けます。家康は、信長に平伏し、声を震わせて言上します。
「どうか、お心をお鎮めくだされ。光秀殿に許しがたい粗相があれば吟味の上、切腹をお申し付ければよろしいかと存じます」
人心を読む達人の家康はさすがです。
肩で息をしている信長は、やっと動きを止めました。何も言わず、歯軋りをして、家臣を払い除けて、どかどかと足音荒く廊下を去ってゆきました。
廊下に蹲ったままの光秀。辺りで様子を窺っている家臣たちの中に、上野清信(嘗ての足利奉公衆、光秀の上役)の顔を見つけたところで意識は途切れました。
痛みの余り、気が付いた光秀は、腫れた顔面と脈打つ度に襲ってくる痛みに耐えながら、自分の身に起きたことを夢ではなかったと認識せざるを得ませんでした。光秀の胸の中に、信長の「お前は何をした」の言葉と、上野清信の青ざめた面体が交互に浮かんできました。
もしかして、嘗て義昭と書状を交わしていたと告げ口されたのか?織田家の内情が漏れるので脇が甘いと言われれば甘いが、当時義昭は敵ではなかった。何分昔のことだ。否!
自問自答する光秀に、義昭の言葉がリフレインする。
『人の目には弾正が執念深いと映るやも知れぬが、あのものが手管を選ばぬのはいつものことよ』
では佐久間信盛は使い捨てか?主君を信じられなければ家臣は終わりだ。二つの気持ちが相反します。
その夜、光秀は、輾転反側して眠れませんでした。
「光秀殿、お加減は如何にござろうか」
翌朝、廊下から信忠寄騎・川尻秀隆の声がしました。
「お入りあれ」
「上様の伝言でござる。光秀殿には、しばし休まれてから安土へ戻られよ。拙者は、甲斐・信濃を拝領したので、お世話を仰せつかりました」
光秀は、腫れあがった顔で動かしにくい口を懸命に動かしながら、小さな声で言った。
「よろしくお頼み申す」
内心、川尻は私の見張り役かと疑うも、上半身を起こすのも一苦労の現状では、数日間、下知に従って法華寺のこの宿坊で療養に専念するしかない。後日改めて上様に目通りを願い出るしかないと決めました。
一旦決めると心迷わず、失念せず、数日間は穏やかな時間が過ぎゆきました。
神となる野望
1582年4月3日午後、法華寺の雰囲気が変わり、俄かに慌ただしくなります。川尻家中の小姓が廊下を駆け回まわる足音が聞こえてきました。光秀は小姓に尋ねます。
「何が起こったのか?」
「恵林寺が信長殿に焼き討ちされました」
「ならば、快川紹喜殿は如何なった」
「恵林寺諸共に・・・では御免」
信忠が父信長に命じられて、甲斐の恵林寺(開祖・夢窓疎石)を焼き討ちしました。
理由は、恵林寺が匿っている六角義定(六角義賢の子)の引き渡し要求を断ったからです。
確かに、以前南近江に領国を所有していた六角義賢は、三好三人衆と誼を通じ、1569年の信長上洛の折、従いませんでした。その後も暗躍し、信長を苦しめます。しかしそれは私怨です。
恵林寺を焼き討ちする理由にしては、誰が見ても無理筋です。
恵林寺の焼き討ちは、比叡山の焼き討ちの再現です。つまり、信長に従わない古い秩序・組織(何れも古い歴史を持つ法灯)、神聖にして不可侵な場所を見せしめに焼き討ちするのです。住持の快川昭喜和尚は、1581年、正親町天皇から“大通智勝国師”の国師号を賜っています。信長は天皇が国師と認めたのを否定し、恵林寺ごと快川紹喜を焼き殺します。この世の秩序を毀します。この時詠んだ快川昭喜の漢詩が有名です。
“安禅不必須山水 滅却心頭火自涼”
(安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭滅却すれば火も自ずから涼し)
しかも今回、恵林寺焼き討ちの頃、当の信長は常日頃の短気に似合わず、のんびりと富士山見物をしています。
今の上様は昔の些細な事でも許せないのだ。いつものように手段を択ばないのだ。光秀は、髪の毛が逆立つ程の恐怖を覚えました。
呆然と立ち尽くす光秀の胸の奥底に、閉じ込めていた義昭の幾つもの言葉が木霊します。
『世の人々は、弾正を、逆らう者を容赦せぬ男と見るはずじゃ。さればその方が焼き討ちを命じられたのも、異を唱えたがゆえに仕返しを受けた・・・と見てくれるでな』
『やはり弾正を諫めねばなるまい。己が益あらば、上を弑するも辞さず。・・・左様な男と思われてはならぬ』
光秀の胸の中で思いが噴き出したら、止まりません。嵐は渦を巻く形をとります。
極めつけは、嫌でも比叡山焼き討ちに関わるこの言葉でした。
『機に臨んで動けぬ男と見られてはなるまいぞ。ほら、叡山の折にそのような男がいた』
追放された佐久間信盛も信長に逆らい、焼き討ちを断りました。光秀の背筋は凍り付きます。
『自らの心に負けてはならぬぞ。何を命じられようと・・・な』
この言葉の意味は?
それは、自分を押し殺して、何も考えず、疑問を持たず、信長に仕えることなのか?
光秀の胸に吹き荒れる嵐は、何処へ進むのでしょうか?出口はあるのでしょうか?
光秀は転がりながら、何時かの鷹狩りの折の義昭の言葉を思い出しました。
織田が力を得れば、世には秩序が生まれる。信長の作り出す秩序をもって世の中を支配する。
もっと言えば、自らがこの世の摂理となろうとするなら、もはや人間業ではない。自分自身を神に擬えるというのか。何と愚かな。人の命には限りがあるというのに。
織田信長という秩序がなくなったらその時は、未曾有の混乱が起きるだろう。正親町天皇を頂点とする古い秩序が否定されている今は尚更だ。世を守る為に、今のうちに、信長を弑すべし。信長が、今以上の権力・武力を持たない間に。
たまらず起き上がった光秀は、自分の脳天に稲光りが落ちたのを感じました。
稲光りが作った裂け目を目掛けて、長い間、無意識に溜め込んだ怒りの渦が噴出します。
光秀自身にもコントロール出来ない、怒りの“箍”の外れる、乾いた音が聞こえました。
光秀は、震える息を整えて言った。
「義昭さま、貴殿が誠に正しゅうございました」
私は、万難を排して、何としても、信長を討たねばならぬ。