皆様あけましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願いいたします。
さて、新年早々待ち受けていたものは魔王でした。表題作につきまして、一天一笑さんからレビューをいただいておりますので掲載します。一天一笑さん、いつもありがとうございます。
吉川永青『第六天の魔王なり』中央公論新社を読了して。
『修羅の海道』『治部の礎』で武人でありながら、一人の人間として自分自身の内面の懊悩に翻弄されまいとする今川義元・石田三成らを描いた吉川永青の最新作です。1560年~1582年の日本を舞台に、織田信長の視点から描かれた長編歴史小説です。
プロローグ
京都本能寺に押し寄せる水色桔梗紋を確認した織田信長の胸中に去来するものは何か?
有名な「女子は苦しからず」「是非に及ばず」などの言葉はどの様な心境の下に生まれたのかが明らかされてゆきます。
信長、魔王への扉を開く
信長は桶狭間の戦いを制し、今川義元の首級を挙げた。改めて自分自身の堪え性の無さ、寛容性の無さを、どうリカバリーできるか思案します。
学問の師匠、臨済宗沢彦宗恩の知恵を借り、平定した美濃・井ノ口を岐阜と改めます。
出典は古代中国の“文王岐山に立ちて周朝八百年の泰平を築く”に拠る。平穏を得て武王(文王の子)は徳政を布いた。先ず戦の無い世の中をつくり、それから民に篤い徳政を布くの意味です。
これを漢字四文字で表すと“天下布武”となる。信長は果たして、どの様な方法を用いて天下布武を成し遂げるのでしょうか?いずれにせよ、まず上洛しなくてはなりません。
ほぼ同時期に、浅井賢政改め浅井長政と、同母妹の市との婚約を決めます(六角氏と離れ、実父浅井久政を押し込めにした胆力を買って?)。
琵琶湖・湖北を治める浅井家と盟約を結ぶ事により、京への上洛の道が開けました。
浅井長政の裏切り
1568年、高貴な遺伝子を持つ足利義昭は、明智光秀を使者に将軍宣下を狙い、信長に供奉を要求する。信長は義昭と明智光秀のひととなりに注目します。
浅井長政と会見する。信長は、長政が戦巧者ではあり、天下布武で語り合うが、守旧派の一地方大名で家の存続を図ろうとする(朝倉家との交誼を捨てられない)長政に懸念を抱く。それでも、自分が見込んで妹と娶わせた長政を信頼する。情を信じる事とする。
しかし信長は間違っていました。浅井長政裏切りの知らせに呆けた顔をし、判断力を失ったかのよう。悔しさに奥歯が折れる程噛み締めます。金ヶ崎城での撤退戦を強いられ、甲賀忍びに狙撃されるが奇跡的に生き延びます。
浅井・朝倉・顕如の連合軍の前にホウホウの体でひたすら逃げる。比叡山延暦寺は織田家に従いません。信長は、天下人たらんとするならば、人間の情を捨て、武力でねじ伏せねばならぬと決意を新たにする。「情を以て人を制すること能わず」と。
恥を捨て、右筆武井夕庵を召し連れ、足利義昭と面会します。義昭は腐っても将軍。その力を借りて、浅井・朝倉・延暦寺との和議を成立させる。
天下人になるためなら、つまらない誇りなど要らない。
魔王への階段が見えてくる。
魔王への道
信長は、劣勢を跳ね返し、天下布武を達成するため、人の心の箍(たが)を外して、第六天の魔王になる決心を固める。光秀はそれをしたら、もはや後戻りできないと説くが、聞き容れず、光秀に比叡山延暦寺の焼き討ちを命じる。比叡山は阿鼻叫喚の巷と化します。
足利義昭も河内若江城に追放する。
信長は、南蛮具足を身に着け、ビロードのマントを着用し、第六天魔王への階段を登り始めました。
織田方でない者は総て焼き払え。織田家に臣従するならば助けてやる。これに恐れをなした朝倉景鏡は調略に応じ、朝倉義景の首級を手土産に降参しました。
そして金ヶ崎で自分を狙撃した杉谷善住坊を探し出して、体を地中に埋め顔だけ出して、有名な竹の鋸ひきの刑にしたのです。竹を鋸の代わりに使うのですから、これは残酷ですね。しかもひくのは一人一回のみ。鋸をひかねば善住坊の仲間とみなす。ひけば賞金をあたえる。信長は魔王に相応しく振舞うようになります。
自分の叔母(父織田信秀の同母妹)に当たる岩村城主夫人おつやの方を、岩村城落城後、河原にひきだして、素裸で逆磔にして、死体をそのまま烏の餌にします(前夫の一周忌も過ぎないのに、武田家の武将秋山虎繁に再嫁した裏切者として)。
朝倉家を屠った勢いそのままに、倍増した織田軍は、長政がかつて採用した戦法を用いて、小谷城を落とします。
長政夫人お市の方と浅井三姉妹は、無事逃げ延びる。お市の方は夫長政の助命を請うが、無論信長は聞き容れません。生首になった長政を見て、何を思う。その信長の脳裏に、明智光秀の“上様は御心が強すぎて、民はそれが怖いのです”という言葉が響く。
その迷いを振り切るように、小谷城が落城した翌年の正月、新年の挨拶の杯に趣向を凝らし、浅井久政・長政父子および朝倉義景の頭蓋骨に薄濃(はくだみ)をほどこした杯を用意させたのです。
第六天魔王の面目躍如ですね。その信長を労しそうに眺める光秀の視線。
エピローグ:魔王、天に召される
1581年の京都の馬揃えで、少しは気が晴れたかのような信長は、かねてより懸案であった武田殲滅戦を開始する。武田家の重臣の木曽義昌を調略にかけ、一門衆の穴山梅雪にも裏切らせる。徳川家康の活躍もあり、案外手間取ることなく、天目山で武田家は滅びます。
武田家滅亡がきっかけであったのか、第六天魔王の仮面を被っていた信長の心の箍(たが)が緩み、光秀の“我らの労苦が報われましたな”の一言で、制御できなくなり、光秀を打ち据える。今のことばでいうと、気を失うまで、光秀をボコボコにする(大勢の家臣の面前で)。
そして、ボコられた光秀は決心する。第六天魔王を人間に還すべく、つまりこの世の苦しみから救うために、叛旗を翻す。名門土岐氏の血を組む水色桔梗紋の旗を掲げ、本能寺を取り囲む。“上様、天下人の重荷を降ろして差し上げます。天下布武は斯様に重うございます”
光秀の心情を悟った信長は、白絹の寝装束のまま赤子のような笑みを浮かべて旅立った。
光秀は恨みではなく、深き慈しみの心を以て、信長弑逆の汚名を着たのでした。
天下布武の由来が気になる方、戦国時代に興味のある方、年始め、何か読んでみようかなと思われる方にお薦めします。
一天一笑