魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)ボードレール「宝石」他二篇

薄暮の曲(Harmonie du soir)*1

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振り香炉。www.eyeofthetiber.comより。

ほら今だ その時が来た ゆらゆらゆれる茎の上
花という花はことごとく 香炉のごとく くゆり立つ
音も薫りも 夕風の中でくるくる輪を描き
つらいめまいが 悲しげなワルツにつれて訪れる

花という花はことごとく 香炉のごとく くゆり立ち
傷ついた心のごとく 声をふるわすヴァイオリン
つらいめまいが 悲しげなワルツにつれて訪れて
空は悲しく美しく 巨大な聖餐台のよう

声をふるわすヴァイオリン 傷ついた心のごとく
広大にして真っ黒な「虚無」を嫌がる心のごとく
空は悲しく美しく 巨大な聖餐台のよう
太陽は今 みずからの血のかたまりに溺れ死ぬ

広大にして真っ黒な「虚無」を嫌がる 優しい心は
輝かしい過去のかけらを 欠かさず集め かき集め
太陽は今 みずからの血のかたまりに溺れ死ぬ
そうして私の胸には あなたの思い出が ご聖体のように光り輝いている

 

宝石(Les Bijoux)*2

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アングル作「ユピテルとアンティオペ」。ウィキメディア・コモンズより。


あのひとは 着ていなかった わたくしの好みに合わせ
身に着けていたものはただ さらさらと鳴る珠玉だけ
スルタンの寵ある日々の ハーレムの女性のように
絢爛たるアクセサリーで あっぱれに着飾りながら

さらさらと鳴る装身具 からからと笑いさざめく
宝石と貴金属との燦々と閃く世界
わたくしをうっとりさせる わたくしは 何を措いても
きらきらと光って 音の出るものが 大好きなのだ

あのひとは 身を横たえて わたくしに愛されていた
わたくしの愛に応えて 寝椅子からほほえんでいた
わたくしの愛の深さと優しさは 海に似ていた
打ち寄せる大波の激しさが 海に生まれた

馴らされた虎の目をして わたくしを凝視しながら
茫然と夢見るごとく さまざまなポーズに挑む
あのひとのメタモルフォシス 可憐さと いやらしさとの
合体が その変貌に 新しい魅力を添えた

あのひとの両手両足 あのひとの腰部臀部は
白鳥のごとくしなやか 塗油されたごとくつややか
わたくしの透視力ある目の前を 通過しながら
その腹と わが葡萄樹にうるわしく実った胸は

背徳の天使たちより愛らしく 迫るのだった
わたくしを わが安住の住まいより 追い払うため
わたくしを 一人さびしく 安らかに占拠していた
水晶の岩の上なる玉座より 追い落とすため

半身は美童のごとく ふくよかな下半身こそ
アンティオペ この結合は斬新な一つの趣向
絶妙なくびれによって 骨盤は突き出していた
褐色の素肌を魅せるお化粧も 美しかった

みずからの死を受け容れたランプの火 静かに果てた
その部屋に 暖炉以外の照明は 一切なくて
時として 暖炉の熱いため息は 暖炉をあふれ
そのたびに 琥珀の色の柔肌を 血潮に染めた


Julie Desmetさんによる朗読。ちなみに仏語原詩はこちら

Les Bijoux (BAUDELAIRE, redonné en 2008)

 

地獄落ちを宣告された女たち / デルフィーヌとイッポリート(Femmes Damnées / Delphine et Hippolyte)*3

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クールベ作「眠り」。ウィキメディア・コモンズより。

消えかけたともしびたちの 青白い光のかげで
悩ましい匂いの沁みたクッションに深く沈んで
そのひとは その純潔のカーテンをふたつに裂いた
力ある愛の行為を ぼんやりと考えていた

旅人がうしろを向いて はるかなる水平線に*4
今朝発った港の影を探しても 空しいように
そのひとも 嵐のような情交に かすんだひとみで
うしなった純真無垢の青空を 探していたのだ

うつろな目 そのまなこから ぽろぽろとこぼれる涙
放心と 意気消沈と やるせない悦楽感と
力尽き 無用の武器をさながらに 捨てられた手と
一切は その繊細な麗容にかしずいていた

その足もとに身を寄せて 静かに そして楽しげに
イッポリートを燃える目で凝視しているデルフィーヌ
猛獣が 獲物の肉をがつがつとむさぼる前に
噛み傷を負わせた上で 様子見をしているようだ

はかなげな美少女の前にひざまずく このたくましい
美少女は 勝利の美酒の芳香に酔い痴れながら
甘美なる感謝の念の収穫を試みるべく
満面の笑みを浮かべて 恋人ににじり寄った

この者は その蒼ざめた犠牲者のひとみの中に
快楽を謳歌する歌 聴こえない讃美の歌を
そしてまたそのまぶたから 溜息のようにこぼれる
荘厳な無限の謝意を 探し求めていたのだった

「愛らしいイッポリートよ どうだった? 気持ちよかった?
咲きそめたあなたの薔薇の神聖な全燔祭ホロコースト
その花を枯らしかねない一陣の風の暴挙に
ゆだねてはならないことが あなたにもわかったかしら?

「わたくしの捧げるベーゼ そよ風も吹かぬ夕暮れ
湖の上をかすめる かげろうのように軽やか
男性はそれにひきかえ 農機具のようにたがやし
荷車のようにわだちを刻み込む とても残酷

「心ないひづめの牛や馬たちをつないだ車
その重い車輪の下に あなたを轢いてゆくでしょう
妹よ イッポリートよ その顔をこちらに向けて
わが心 わが魂よ わがすべて わが半身よ

「わたくしに見せて 星降る蒼天のようなその目を
神聖なる芳香よ その美しいひと目のために
わたくしはさらに秘密の快楽のヴェールをひらき
果てしない夢路の果てに あなたを昏睡させましょう」

さりながら イッポリートは 童顔をもたげて言った
「わたくしは 感謝を知らぬ者でなく 悔いてもいない
デルフィーヌ ただわたくしは 豪勢に過ぎる夜食の
ひとときを過ごしたように 苦しくて心細いの

「のしかかる恐怖とともに 目にも止まらぬ化け物の
真っ黒な群また群が この身へと襲いかかって
血の色の水平線が ぴったりと四方よもを閉ざした
揺れ動く大街道へと わたくしを導いてゆく

「それならば わたくしたちがしたことは 過ちですか
できるなら これほど胸が騒がしいわけを教えて
『可愛い』とあなたが言うと わたくしは身ぶるいをする
それでいて このくちびるは あなたへと向かってしまう

「そんな目で どうぞ見ないで デルフィーヌ わが想いびと
選ばれたわたくしの姉 わたくしの永遠のひと
構わない たとえあなたが仕組まれた罠だとしても
神様の教えに背く 滅びへの道だとしても」

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ジョン・コリア作「デルフィの巫女」。デルフィ(デルポイデルフォイ)の巫女ピュティアは、三脚台の上に腰かけ、地の裂け目から立ち昇る火山性のガスを吸ってせん妄状態となり、神託を口走ったとされる。ウィキメディア・コモンズより。


鉄製の三脚台に腰かけて 足踏みをする
ギリシャ悲劇の巫女のよう そのひとは髪振り乱し
刺すようなまなざしをして 有無を言わせぬ声で応えた
「恋愛を目の前にして 堕地獄を語るのかしら

「難解で得るものもない問題に夢中になって
恋愛に属するものと 道学に属するものを
一体のものにしようと いちばん最初に考えた
無用なる愚か者こそ 永遠に呪われてあれ

「寒と暖 昼と夜とを 不可思議な調和のうちに
同一化させようとする空想家 夢想家たちは
人々が『恋』と名づけたこのくれないの太陽に
鈍感なその肉体をあたためるすべも知るまい

「行きなさい 行って愚かなフィアンセを探しておいで
心ないその接吻に 純情を捧げてごらん
後悔と恐怖に満ちて舞い戻る あなたの胸の
乳房には 家畜のように 烙印が捺されていよう

「人はふたりの主人には仕えられないものだから」*5
だが処女は その限りない苦しさを 藪から棒に
吐き出した「自分の中で あんぐりとひらいた口が
裂けてゆく それはまさしく わたくしの心のかたち

「活きている火口のようで 虚空より底が知れない
泣き叫ぶこのけだものの食欲は 飽くことがない
そしてまた のどの渇きも止まらない 化け物の血を 
エリニュスが 松明を手に じりじりと焼いているから

「願わくは このカーテンが 世間から二人をへだて*6
願わくは 疲労の果てに 休息がありますように
わたくしは あなたの深い抱擁の中で果てよう
その胸に さびしい墓地の涼しさを見出しましょう」

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ブーグロー作「オレステスの後悔」。松明を手にした地獄の三姉妹エリニュスボードレールの原詩では「ユーメニデス」)が、実の母を手にかけた男を責めております。ウィキメディア・コモンズより。


堕ちてゆけ 堕ちてゆけ あわれなる犠牲者たちよ
永遠の地獄へ続く道筋を さらに下へと
地と地との裂けた狭間に身を投げて そこにおいては
天空を渡る風ではない風が あらゆる罪を

荒天のひびきとともにかきまぜて 泡立てている
狂おしい二つの影よ 欲望の果てまで走れ
欲求はつのるばかりで 絶えて満たされることはなく
あなたたち二人の罰は 歓喜から生まれるでしょう

ほら穴のような住み家は ひと筋の光もささず
あちこちの壁のひびから 不浄なる瘴癘しょうれいの気が
忍び込み ランタンのよう あかあかと鬼火をともす
あなたたち二人のからだ そのせいでぷんぷん匂う

子作りをしない恋愛 その苦い不毛性から
そののどの渇きはつのり その肌のうるおいは失せ
情欲は暴風となり あなたたち二人の肉を
ぼろぼろののぼりのように はたはたとはためかせます

世間から姿を隠し 転々と流浪している
罪びとたちよ 狼のごとく荒野を駆けてゆけ
心乱れた処女たちよ つらいさだめを覚悟して
自分自身の内に在る神から逃げて 逃げ切れるなら

フランスのシンガーソングライターDamien Saezさんによる音声作品。第7節から末節までの詩節を前後させて組み合わせ、なかなか巧妙な仕上がりを見せています。動画はファンが作られたものでしょうか。ちなみに仏語原詩はこちら

Baudelaire par Saez

*1:悪の華』初版43。

*2:悪の華』初版20、禁断詩篇

*3:悪の華』初版81、禁断詩篇

*4:われわれ日本人は「旅」というと、どうしても「奥の細道」みたいなところを徒歩で旅するイメージを持つのですが、ボードレールの場合、「旅」と言えばほぼ間違いなく船旅を指します。

*5:新約聖書「マタイによる福音書」第六章二十四に「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」(『口語 新約聖書日本聖書協会、1954年)。

*6:こちらの記事もご参照ください。