魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

川上富江さんの写真うつりが悪い件およびその他(2)

富江ービギニング』をツタヤで借りたとき、たまたま『マリア様がみてる』の実写版があるのを見つけ、一緒に借りました。あまり期待はしていませんでしたが、一応「マリみて」ファンの端くれとして、チェックしておく必要があると思ったからです。しかし何せ『富江』を観たすぐあとに観たものですから、小笠原祥子さまのツンと澄ましたお顔がどうしても富江の顔に見え、また薔薇の館もお化け屋敷にしか見えませんでした。
では、川上富江さんの人となり(?)の紹介にもどります。

4)「性格不美人」である

「悪女の深情け」という言葉がありますね。お世辞にも美人とは言えない女性が献身的に人に尽くしている姿を見ますと、われわれは強い感銘を受けます。逆に美人でありながら性格の悪い女性というものも心に焼きつくものですが、この「悪女」という言葉自体、「容姿の悪い女」から「性格の悪い女」という風に時代とともに意味が変わりつつある様子を見ますと、このような「性格不美人」は世間で増殖しつつあるのかも知れません。
川上富江さんはこの「性格不美人」の代表選手です。まず彼女の頭の中には、自分が不死身だからかも知れませんが、「人命は尊重すべきだ」という基本的な観念がまったくありません。だから何か気に入らないことがあると、すぐに相手を殺そうとし、しかも自分の手を汚すことなく人をそそのかして殺させようとするので、見ていてよけいにむかむかしてまいります。「人を人とも思わない」という言い回しがありますが、これこそ川上富江さんの行動パターンを表現するのにぴったりで、かくも醜い心にかくも美しい肉体を与えたもうた神様は錯乱していたのではないかと思われるほどです。要するに彼女こそ「悪女」の典型であり、人間のクズと申しても過言ではないでしょう。もっとも以上はすべて、彼女が人間だったとすればの話ですが。

5)普通の死に方が出来ない

こんな大悪人を畳の上で死なせたりしたら、それこそ「人類の恥辱」ということになるかも知れません。ありがたいことに、川上富江さんの肉体は老いも病いも知りませんので、無理やり破壊しないと彼女は死にません。
こちらの記事に書いた通り、『富江ービギニング』という映画では、彼女は山中、クラスメイトたちに見守られながら息を引き取ります。しかしあんな美しい死に様は、富江さんとしては非常に珍しいので、大体において「天罰覿面」といった感じの惨めな死に方をすることが多いようです。
確かに富江さんには敵が多い。いつも誰かに命を狙われていると言っても過言ではない。少しずつ毒を盛り、足が付かないようにして殺してしまおうと考えた比較的冷静な人間も中にはいた。しかし大体において彼女を殺してしまう人というのは、ついカッとなって、あとさきを顧みず、一番手っ取り早い方法で殺しますので、彼女の肉体は大変なダメージをこうむることが多い。
また死後も手厚く葬ってもらえないことが多い。私の考えでは、どんな極悪人でも一度死んだら仏さまですから、それなりに供養をしてやればいいのにと思うのですが。また事実普通に火葬に処されて墓に入れられた場合が、彼女としては一番再生が困難なのです。ところが彼女を手にかける人の中には、潔く自首して罪を償おうと考える立派な心がけの人はほとんどいない。たいてい凶行が発覚するのを恐れて、彼女を山に埋めるか、バラバラにして川に流すかいたします。
首を絞められたりするのは比較的穏やかな方です。包丁などでめった刺しにされるのが一つのパターンですが、斧で首を打ち落とされたり、あるいは生きたままガソリンをぶっかけられて焼き殺されたのも確か一度ではなかったと記憶します。
極め付けは生きたままコンクリート詰めというやつですね。これは彼女の再生を防ぐ最後の手段と考えられました。結局失敗しましたが。
何せこの『富江』という作品自体、まず彼女が殺されなければ話が始まらないので、あるいは『富江』ファンの中には彼女の死に様を楽しみに映画館に足を運ぶという方もいらっしゃるかも知れません。私自身はそこまで悪趣味ではない、と言いたいところですが、白状しますと、ある映画の中で、彼女がナタで脳天をかち割られて死んだ時には、「してやったり」というか、「ざまあみろ」というか、胸がすくような痛快感を覚えたことがいまだに忘れられません。とにかく富江さんの場合、日ごろの行ないが悪すぎます。自業自得ですね。