魔性の血

拙訳『吸血鬼カーミラ』は公開を終了しました。

(無修正版)エドガー・アラン・ポー「ベレニス(Berenice)」

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「ベレニス」。Abigail Larsonさんがdeviantart.comに投稿した画像。元画像はこちら

コロナ渦中の「黄金週間」、外出を自粛して自宅でひっそりと過ごされる心憎いあなたのために、この拙い訳文がささやかな消閑の具となれば幸いです。テキストは『サザン・リテラリー・メッセンジャー』誌1835年5月号に掲載されたヴァージョンに拠っております。原文はこちら。(2021年4月28日)


わが友ら曰く「亡きひとのお墓参りをなさることで、あなたの悲しみはいささか癒されるかも知れません」――エブン・ザイアト

不幸は一様ではない。

不幸は一様ではない。下界の惨事は種々様々だ。あたかも虹のごとく地平を越えて架かりながら、その色は虹のごとく多彩であり、それぞれの色は明らかに異なっていても、しかも渾然と一体を成しているかのように見える。あたかも虹のごとく地平を越えて、と俺は言った。どうして俺は美から醜を導き出し、平和の象徴から嘆き悲しむべきもののたとえを借りるのだろうか。だがこの通りなのだ。倫理学において「悪」が「善」の結果であるごとく、悲哀は実は歓喜から生じる。過去の幸せの記憶こそすなわち現在の不幸せであり、今現にある苦痛はあるいはあったかも知れない快楽に起因している。俺はこれからそれ自体、恐怖ホラー以外の何物でもないような話をするが――それは事実の記録という以上に感情の記録であり、でなければ俺としては握りつぶしてしまいたいところだ。
俺は洗礼名をエギアスと言う。名字は伏せておこう。とはいえ陰気で、灰色をした、先祖伝来の我が屋敷ほど古い建物はこの国にはない。俺たちの家系は幻視者ビジョナリーの家系だと言われてきたが、それは多くの強いこだわりに――たとえばこの家の建て方や、大広間のフレスコ画や、寝室のタペストリーや、武器庫の控え壁バットレスに施された彫刻や――なかんずく、古画のギャラリーや、書庫の作りや――そうしてとどのつまり、書庫の蔵書の極めて特異な性質に、そのような思い込みを裏付ける十二分な証拠エビデンスがある。
俺の幼時の記憶はこの書庫と蔵書に結びついている。このうちの後者についてはこれ以上何も言うまい。この部屋で俺の母は逝き、この部屋で俺は産声を上げた。ただだからと言ってそれ以前に俺が存在しなかったことにはならず、魂に前世が無いことにはならない。諸君は否定するか。議論はすまい。俺は自分が確信していることを人にも確信してもらいたいとは思わない。とはいえ俺には空気的エアリアルな姿や、霊的スピリチュアルで意味ありげな目や、音楽的ミュージカルだが悲しげな声の記憶がある。俺のかたわらを決して離れない記憶――影のごとくはかなく、おぼろげで、移ろいやすい記憶。それは俺の正気の光が照らしている限り俺につきまとう、という意味でも影に似ている記憶だ。
この部屋で俺は生まれた。こうして一見非実在ノンエンティティのようで実はそうではない存在の長い夜から抜け出して、お伽の国で、想像力の宮殿で、浮世離れした思想と知識との未開拓領域で急に目覚めたこの俺が、目を輝かせてあたりを見まわし、少年期を読書に費やし、青年期を夢みることで使い果たしたのは何ら怪しむに足りなかった。怪しむべきは、それから歳月が流れ、いよいよ男盛りの年代に達しながら、なおもこの先祖代々受け継いできた家にとどまっていたこの俺が、やがて生きて行く上でいかなる困難に直面したかであり――俺の頭に浮かぶあらゆる平凡な考えのうちに、いかに完全なる倒錯が生じるに到ったは奇怪としか言いようがない。この世の現実リアリティは俺にとってはもはや単なるヴィジョンとしてしか作用せず、それに代わって、夢の世界の常軌を逸した妄念が、俺の日常生活の素材マテリアルというよりも、むしろその実質となったのだった。

俺とベレニスは従兄妹だった。

俺とベレニスは従兄妹いとこで、俺の父方の家で共に育ったが、二人は全然似ていなかった。俺が病弱で無口なのに対し、彼女は敏捷で、優美で、活気エナジーにあふれていた。彼女の日課は山野の逍遙であり、俺の日課は家に閉じこもって本を読むことだった。俺が外界に興味を持たず、苦痛を伴う内省に全身全霊で没頭していたのに対し、彼女は生涯を通じて行く手をよぎる影にも、音もなく飛び去る黒い翼の生えた時間にも気を取られることなく、不用心に遊び歩いていた。ベレニス!俺は彼女の名を呼ぶ。ベレニス!するとこれに応えて記憶の灰色の廃墟の中から数知れぬ思い出が嵐のようによみがえる。ああ、彼女の少女時代の姿は今も俺の目の前にある。彼女は華麗ゴージャスにして幻想的ファンタスティックな美貌の持ち主であり、アルンハイムの森に遊ぶシルフであり、森の泉に戯れるナイアードであり、それから――それから、すべては恐怖と謎であり、語るすべもない一つの物語だ。病気が――ある致命的な病気が――シムーンのごとく彼女の五体に襲いかかり、俺がかたわらで見守っている間にも、彼女の考え方マインドや性格や習慣が一変して、そのきわめて微妙かつ恐るべき変化のせいで、彼女の人としての同一性アイデンティティまでもが疑わしいものとなってしまった。死神デストロイヤーは来たりて去った。そして犠牲者は――彼女は別人となった。
ベレニスの精神と肉体の両面にわたってかくも恐るべき激変レボリューションをもたらしたもっとも根本的で致命的な病気は、他にもおびただしい病気を併発させたが、それは一種の癲癇てんかんで、きわめて悲惨な難病で、しばしば昏睡状態トランスに――決定的ポジティヴな死の状態とほとんど差のない昏睡状態トランスに行き着くことがあり、またほとんどの場合、彼女のそこからの回復の仕方は驚くほど唐突だった。一方、俺の病気は――人に言わせれば俺も病気らしいから――俺自身の病気も、急速に進行し、阿片の乱用によって更に悪化しながら、やがて新しい例外的な形態のモノマニアの様相を呈するようになり、時々刻々と力をつけて、遂には俺に対してわけのわからない猛威をふるうようになった。このモノマニア――そう呼ばなければならないとすれば――の症状は、精神科学メタフィジカル・サイエンスにおいて注意力と呼ばれている知的能力に対してじかに働きかける神経の病的な興奮のうちにあった。と言っても諸君には理解できまい。俺としては、世のもっとも平凡な事物に対してさえ精神を集中することに忙殺され、言わば埋没してしまう(わかりやすく言えば)妄想のパワーを伴う関心の強さというものについて、単なる一般読者に適切な概念を伝えることはまず無理なのではないかと心配になる次第だ。
本の欄外のつまらない装飾バイス印刷の体裁タイポグラフィをいつまでも飽きずに眺めていたり、夏のひと日の大部分をタペストリーや床の上に斜めに伸びる奇妙な影を見て過ごしたり、オイル・ランプの揺れない炎や暖炉の燠火おきびを一晩中見つめていたり、ある花の香りについて一日中ぼんやり考えていたり、ある何でもない単語を、その響きが精神に何の意味をももたらさなくなるまで復唱したり、長時間からだを動かさず、辛抱強くじっとしていることで、生命活動や生存の感覚を全く失うに到ったり――といったことが、この前例がないわけではないとしても、分析も説明もできない知的能力の一状態が引き起こす奇行中、もっとも一般的かつもっとも無害なもののうちの幾つかだった。

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「癒しの炎」。photo-ac.comより。

とはいえ誤解してはならない。些細な事柄によって掻き立てられるこの不当で、激しい、病的な精神力の集中を、誰もが普通に持ち、特に想像力豊かな人間が耽溺するあの夢想癖と混同してはならないのだ。絶対にいけない。それはそのような性癖の極端な場合、あるいは誇張ですらなく、根源的かつ本質的に異なったものなのである。後者の場合、通常どうでもよくはない対象に関心を持った夢想家は、そこから生じる演繹と連想との荒野をさまよううちに、その対象をいつの間にやら見失い、しばしば多大な快感を伴うその白昼夢デイ・ドリームの終わりには、その誘因すなわち最初のきっかけはすっかり忘れ去られている。これに対して俺の症例では、最初のきっかけは必ずどうでもいい事物であり、俺の狂った視覚という媒介を通過することで、屈折した虚偽の重要性を帯びているに過ぎない。演繹はたとえなされることがあったとしても無きに等しく、そうしてこの数少ない演繹も、もとの対象オリジナル・オブジェクトを言わば中心として、最終的にはそこへと回帰するのだった。そうしてこの夢想は決して楽しくなく、その終わりには、その最初のきっかけは、忘れ去られるどころか、超自然的スーパーナチュラに誇張された一大関心事インタレスへと成り上がっていて、この関心の大きさこそが、この病気の主たる特徴をなしていた。一言でいえば、ここで特に多く行使される知的能力は、先に述べたとおり、俺にあっては注意力夢想家デイ・ドリーマーにあっては思弁力なのだった。
この当時の俺の愛読書は、たとえ俺の妄想癖を実際に刺激することはなくても、その内容の非現実性とどうでもよさとの点で、これと通じるところが大いにあった。中でもよく覚えているのはイタリア人貴族チェリオ・セコンド・クリオ-ネの論文『地獄よりも天国の方が大きい件』、聖アウグスティヌスの大著『神の国』、そしてテルトゥリアヌスの『キリストの肉について』で、この本の中の「神の子が死んだということ、これはそのまま信ずるに値する。何故ならそれは不条理だからだ。そして、墓に葬られ、彼は復活した。この事実は確かだ。何故なら、それは不可能だからだ」*1などというわけのわからん文言のおかげで、俺は何週間にもわたって草臥くたびれるばかりで何ら得るところのない考えごとにかかりきりになった。

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ステンドグラスに描かれた聖アウグスティヌス像。ルイス・カムフォート・ティファニー作。ライトナー博物館蔵。ウィキメディア・コモンズより。

俺の正気は、このように、つまらないことでバランスを崩すという点で、プトレマイオス・ヘパイスティオンが語るところの海の岩山に似ており、それは人間の暴力にも、また更に激しい暴風や怒濤の攻撃に対しても頑として動じないにもかかわらず、アスフォデルという花が触れた時だけぐらついたと言われている。そして浅はかな者は、不幸な病いによって、ベレニスの言動に現れた恐るべき変化こそ、俺が先ほどまで骨を折って説明してきたあの激しい、病的な妄想力を行使する上で、多くの対象を提供したに違いないと思うかも知れないが、事実は全く異なっていた。俺の精神疾患が小康状態で気が確かな折りは、俺も衷心から彼女の災難に胸を痛め、一人の美女の人生が台無しになってしまったことを不憫に思い、かくも奇怪な激変レボリューションをかくも唐突にもたらし給うた神の御業みわざについて、しばしばくよくよと思い悩まざるを得なかった。とはいえこのような苦悩は俺の病気の特異性イディオシンクラシーとは何の関係もなく、同じ状況下に置かれれば、誰もが経験するであろうものであった。一方、俺の病気はその本来の性質に忠実な症状を取って現れ、彼女の肉体におけるそれほど重要ではないがより驚くべき変化、すなわち彼女の人格的同一性パーソナル・アイデンティティに対して加えられた醜怪きわまる変形ディストーションに夢中になった。
彼女がもっとも美しかった頃でさえ、俺は彼女に恋をしたことはなかった。俺の生涯にわたる奇妙な変則アノマリーにおいて、俺の感情は心から来た試しがなく、俺の情熱は常に知的なものであった。朝は明けやらぬ日ざしのもとで――昼は森の四阿あずまやの木陰で――夜は書庫のしじまの中で――彼女の姿は俺の視界をかすめ、俺は彼女を生きている女ではなく、夢の中の女として――この世の女、俗世間の女ではなく、さような存在の抽象として――見惚みとれるべきものではなく、分析すべきものとして――思慕の対象としてではなく、極めてとりとめのない、とはいえ極めて深遠な考察のテーマとして眺めていたのだった。、俺は彼女の前に出ると怖気おぞけをふるい、彼女が近づいてくると青くなった。それでも俺は彼女の境遇を心から痛ましく思い、また彼女の長年にわたるおもびとが自分であることを知っていたので、ある呪われた瞬間に、彼女に「結婚しよう」と言ってしまった。
そうしてやがて俺たちの結婚式の日が近づいてきた頃、それは冬、「美しきアルキュオネの乳母ナース*2と呼ばれる季節外れに暖かく、物静かで、霧深い日々のうちのある日の午後、俺は書庫の奥の間インナー・アパートメントに座っていた。一人でいると思っていたが、目を上げると、前にベレニスが立っていた。

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H. J. ドレイパー「アルキュオネ」 。海岸で夫を捜している。頭上を飛ぶのは二羽のカワセミウィキメディア・コモンズより。

彼女の姿フィギュアがことさら大きく浮かび上がって見えたのは、興奮していた俺の気のせいだったか、それとも霧深い大気の影響か、それとも夕暮れどきの部屋の暗さのせいか、それとも彼女が身に着けていた灰色の巻き衣ドレーパリーのせいか、それはわからなかった。彼女は病気をして背が伸びたのかも知れなかった。とはいえ彼女は何も言わず、そうして俺はといえば、たとえ一音節なりとも発音することはできなかった。冷たい悪寒が俺の全身を駆けめぐった。手に負えない誘惑が俺の上にのしかかった。身を焦がすような好奇心に駆られて、俺は椅子に深くかけ直し、目を彼女のからだに釘付けにしたまま、しばし凝然としていた。彼女はすっかり痩せこけて、そのからだの輪郭をなすいかなる曲線にも元の体型の痕跡を見出すことはできなかった。俺の熱い視線はやがて彼女の顔に注がれた。
秀でた額は蒼白で、奇妙に静かだった。かつては金色だった髪がそれを部分的に覆い、縦ロールリングレットとなってくぼんだこめかみのあたりにかかっていたが、その髪が今は真っ黒に変色しており、その奇矯ファンタスティックな点において、顔全体を支配している痛々しさとまるでちぐはぐだった。目は死んでいて、が消えたようで、俺は思わずその動かない視線から目をそらし、薄く、しなびた唇を見た。唇はひらいた。そうして意味ありげな笑いとともに、変わり果てたベレニスの歯がゆっくりとその姿を現した。俺はそれを見なければよかった。あるいはそれを見たからにはいっそ死んでしまえばよかったものを!

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マントノン侯爵夫人フランソワーズ・ドービニェの肖像。17世紀中頃。ウィキメディア・コモンズの「絵画に見る縦ロールリングレットの女性」のカテゴリーより。

俺はドアが閉まる音で我に返った。

俺はドアが閉まる音で我に返った。目を上げると、ベレニスは部屋から出て行ったあとだった。とはいえ彼女の恐ろしい歯の残像スペクトラムは俺の頭の荒された部屋から出て行かず、追い出すこともできなかった。その表面のいかなる汚点しみも――そのエナメル質のいかなる影も――その位置配分コンフィギュレーションにおけるいかなるラインも――その尖端さきのいかなるギザギザも――彼女がにっこりしたほんの一瞬のうちに俺の脳裡に焼きつけられた一切がそのまま残っていた。俺にはさっきよりもの方がそれがはっきりと見える気がした。彼女の白い歯並びは、初めて展開された時と同じ姿で、俺の目の前のそこにも、ここにも、到るところにまざまざと浮かびただよい、その周囲には蒼ざめた唇がのたうっていた。そうして俺の精神疾患モノマニアが全力を上げて襲いかかり、俺はその影響と空しく戦った。彼女の歯以外のことはもはや何も考えられなかった。他のすべてはこの一事に吸収されてしまった。ただそれだけが俺の心の目の前にあり、その唯一無二の個性によって、俺の精神生命メンタル・ライフ本質エッセンスとなるに到った。俺はそれをあらゆる光に照らし、あらゆる向きにひっくり返した。俺はその特性を調べ、その特徴を吟味した。その並び方コンフォメーションや変質について思案した。俺はそれが意識や感性を持っていて、唇の支援がなくても意思表示ができるのではないかと考えて戦慄した。マリー・サレについて、人はいみじくも「彼女の歩行はその一つ一つが感情サンチマンであった」と言うのが常だが、俺はベレニスについて「彼女の歯はその一本一本が想いイデーである」ともっと真剣に思った。

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ニコラ・ランクレ「マリー・サレ」。ウィキメディア・コモンズより。

こうして日没が近づき――夜が来て、ぐずぐずしながらも立ち去り――ふたたび朝が訪れ――やがて次の日の夕靄が立ち込める時刻となった。そうして俺はいまだにその侘しい空間に孤座していて、彼女の歯の亡霊ファンタズマはいまだにその恐るべき支配力を維持しており、室内の移ろう光と影の中を、ぞっとするほど鮮明に、生き生きと漂っていた。とうとう恐怖と狼狽の叫びが来て、俺は我に返った。しばしの沈黙ののち、何人かの者が難儀している声に混じって、多くの低い呻吟が聞こえてきた。あわてて椅子から立ち上がり、書庫のドアのうちの一つを開け放つと、次の間アンティチェンバーにメイドが立っていて、泣きながら俺にベレニスが死んだと言った。ベレニスはその日の早朝、癲癇てんかんの発作で死んで、日没が近づいた今、墓穴が掘られ、埋葬の手筈がすべて整ったとのことだった。

俺は故人の寝室へと向かった。

痛惜の念を抱きながら、それでいて嫌々ながら、そうして恐怖に押しつぶされそうになりながら、俺は故人の寝室へと向かった。部屋は広く、とても暗く、その陰鬱な神聖区域プリシンクト内を一歩進むたびに、俺は埋葬のためのもろもろの品々パラファナリアに出くわした。下男の一人が言うことには、棺は向こうのベッドのカーテンの閉ざされた中にあって、「お嬢様はその中に眠っておいでです」と彼は小さな声で請け合った。「故人とご対面なさいませんか」と俺に尋ねたのは誰だったか。俺は誰の唇が動くのも見なかったが、この質問は確かになされたので、その語の余韻エコーは今なお部屋にとどまっていた。いやとは言えなかった。息が詰まりそうになりながら、俺はベッドのかたわらへと足を引きずって行き、黒いカーテンをそっと持ち上げた。
手を離すと、カーテンは俺の肩の上にかかり、それで俺は外界から隔てられて、死者と完全に二人きりになった。
その場の雰囲気は死でけがれていた。棺特有の匂いに、俺は吐き気がした。死体からはすでに有害な臭気が発散しているように思われた。俺は逃げ出したかった。死のしき影響から逃れて、不死なる天空のきよき息吹きを今一度胸に吸い込みたかった。だかもはや動く力がなく、俺は膝から崩れ落ち、その場にじっとしたまま、蓋のない暗色の棺の中にのびのびと横たわっている恐ろしい長さの硬直した死体を見つめた。
まさか。俺の頭がおかしいのか。それとも俺の目の前で、白い包帯を巻きつけられた死者の指が本当に動いたのか。恐怖に凍りついたまま、俺は目をおもむろに死者の顔へと移した。顎を縛りつけていたバンドが、どうしてか知らないが、二つに裂けた。鉛色の唇がめくれて笑顔のごときものが作られ、そうして深まりゆく夕暮れの闇の中に、ベレニスの白く輝く歯がもう一度、あまりにも生々しい現実味リアリティを帯びて浮かび上がった。俺は咄嗟にベッドを離れ、口を閉ざしたまま、この恐怖と謎と死の部屋から一目散に逃げ出した。

気がつくと、俺はふたたび書庫にいた。

気かつくと、俺はふたたび書庫にいて、またしてもたった一人で座っているのだった。俺は何か混乱した、不穏な夢から覚めたばかりのような気がした。俺は今が真夜中で、ベレニスが日が暮れてから埋葬されたことも知っていた。ただその二つの時点間に挿入された荒涼たる時間については何ら断定的ポジティヴな、少なくとも何ら確定的な記憶を持っていなかった。とはいえその記憶は恐怖に満ちており、その恐怖は漠然としているが故になお恐ろしく、曖昧さアンビギティ故になおおぞましい恐怖だった。それは俺の人生という本の中の目も当てられぬ一ページで、そこには不分明で、ぞっとするような、わけのわからない思い出がぎっしりと書き込まれているのだった。俺はそれを解読しようとしたが無駄だった。その一方で、折にふれ、亡き音色の余韻スピリットのごとく、女の鋭い悲鳴が耳もとで鳴り響いているような気がした。俺は何かをしたのだった――何をした?すると部屋の四壁が俺に反響エコーを返した――「何をした?」
俺のかたわらに在るテーブルには一つのランプが燃えていて、その近くには小さな黒檀の箱が置いてあった。それは何ら変わった箱ではなく、わが家の侍医の持ち物で、俺自身何度も目にしたことのあるものであったが、それではどうしてそれがそこに、俺のテーブルの上にあって、どうして俺はそれを見た途端、身震いをしたのだろうか。これらのことに説明がつかないまま、俺はやがて開かれた一冊の本のページへ、そうしてその中の下線が引かれた一文へと目を落とした。それは詩人エブン・ザイアトの奇妙ではあるがシンプルな言葉で「わが友ら曰く『亡きひとのお墓参りをなさることで、あなたの悲しみはいささか癒されるかも知れません』」というのだったが、それではどうしてそれを読むと同時に俺の髪の毛が逆立ち、全身の血が血管の中で凍りついたのだろうか。
書庫のドアに軽い剥啄タップの音がして、死人のように青ざめた下男が一人、忍び足で入ってきた。彼の顔は恐怖に引きつり、その声はとても低く、ハスキーで、震えていた。彼は何を語ったのだろうか。俺は支離滅裂な文ブロークン・センテンスを聞いた。彼は夜のしじまを引き裂く悲鳴のことを――家の者が皆集まったことを――声の方角への探索サーチが行なわれたことを語った。それから彼の声は身の毛がよだつほどはっきりと耳に響いてきて、彼は荒らされた墓のことを――墓の周縁マージンで見つかった二目ふためと見られない死体のことを――死人の格好をしてはいるが、まだ息をしている、まだ脈もある、まだ生きている肉体のことを、俺にささやいた。
彼は俺が着ているものを指さした。それは泥まみれで、血がこびりついていた。俺が黙っていると、彼はそっと俺の手を取った。それは人間の爪痕で傷だらけだった。彼は壁に立てかけてある物体に俺の注意を促した。俺はしばらく眺めていた。それはスペードだった。俺は大声を上げてテーブルに駆け寄り、その上に置いてあった黒檀の箱をつかんだ。だが箱は開かず、俺の震える手から滑り落ちて粉々に砕け、そこからがらがらという音を立てて、歯科手術用の幾つかの器具が転げ出し、それに混じっておびただしい数の白く輝く物体が床のあちこちに散らばった。


 


短編映画「ベレニス」。1954年、フランス。原作小説のかなり忠実な映像化。エリック・ロメール監督・主演。


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*1:原文ラテン語。小田垣雅也氏による訳文。日本語版ウィキペディアの「テルトゥリアヌス」の項から拝借しました。

*2:原注:神は冬の間に温暖な二週間を与え給い、人びとはこの穏やかで過ごしやすい日々を「美しきアルキュオネの乳母」と呼んできた。――シモニデス