魔性の血

リズミカルで楽しい詩を投稿してまいります。

(日本語訳)ボードレール「祝祷(Bénédiction)」

ジュリアノーヴァ(イタリア)の「十字架の道」を題材とした彫刻作品の一つ。publicdomainpictures.netより。

至高の天の命により この退屈な世の中に
いわゆる「詩人」なる者の一人が生をける時
怖気おじけをふるい 冒涜ぼうとくの念に駆られた母親は
憐れみ給う「神」に対して 拳骨げんこつを振り回します

「ああ このような物笑いの種をはぐくむくらいなら
どうしていっそ毒ヘビの群れを出産しなかったのか
わたくしがこの天罰を この贖罪しょくざいを身ごもった
その場限りの快楽に満ちた一夜よ 呪われよ

よくもすべての女性からこのわたくしをり抜いて
悲嘆に暮れる連れ合いの嫌悪の的としてくれた
とはいえこんな虚弱児を こんなひよわな化け物を
艶書のごとく 火中へと投ずることもできぬゆえ

このわたくしを打ちのめす 神よ 貴様の憎しみを
わたくしはこの呪われた楽器の上にぶちまけて
病原菌を撒き散らす花が決して咲かぬよう
枝がつぼみをつけぬよう この木をうんとじ曲げてやる」

母はこうして憎しみの唾液の泡を飲み干すが
もとより『神』の意図などは とんとかいせぬ身ですから
彼女自身の手をもって ただゲヘンナ*1の奥底に
母性の罪を焼き尽くす火あぶり台を築くだけ

とはいうものの 目に見えぬ守護の「天使」に導かれ
廃嫡はいちゃくの「子」は燦々さんさんと照らす日ざしに酔い痴れる
その飲料はことごとくヴェルメイユ色のネクトール
その食料はことごとくアンブロシアの味がする

ヨハン・バルタザール・プロブスト(Johann Balthasar Probst)「幼いアキレウスの体にアンブロシアを塗るテティス」。アンブロシアはギリシャの神々の食物で、不死の薬効があることから軟膏としても有効と考えられた。ウィキメディア・コモンズより。

風と戯れ 雲と語らい
彼はみずから「十字架の道」を歌って上機嫌
そうして彼の巡礼の旅に従う「精霊」は
森の鳥ほど楽しげな彼の姿に涙する

彼が仲よくなりたいと願う男女はことごとく
恐れて逃げる さもなくば大人しいのにつけ込んで
いったい誰がこいつから愚痴の一つも引き出せるかと
思い思いに残忍な仕打ちを敢えて試みる

「詩人」の日々のかてとして割り当てられたパンや酒
そこに彼らは灰を混ぜ きたないつばを吐きかける
さも廉潔れんけつの士のごとく「詩人」が触れたものを捨て
うっかり彼の足跡を踏んだといって自責する

「詩人」の妻はあちこちの公共の場でわめきます
「拝みたいほど綺麗だと彼は思っているのです
だから私は異教徒の神の役目を務めよう
古像のごとく 全身に金のメッキを施そう

そして淫祠いんしの神として甘松かんしょう 乳香にゅうこう 没薬もつやく
跪座礼拝きざらいはいに酔い痴れて 酒池肉林に耽溺する
それはげらげら笑いながら 私に惚れた男から
『神』を敬う信心を僣取せんしゅできるか知るために

とはいえ こんなしからぬ遊びにも飽きたあかつき
この華奢きゃしゃにして強力な片手を 彼の上に置く
私の爪はハルピュイア あの怪物の爪のよう
刺さり 食い込み 貫いて 彼のハートを鷲づかみ

かえったばかりのヒナのよう ピクピク脈を打っている
真赤な彼の心臓を 私は胸からえぐり出す
そして私の大好きなけもののエサとするために
まるで汚物を捨てるよう 地面に叩きつけましょう」

エドヴァルド・ムンクハーピー(ハルピュイア)」。ハルピュイアはギリシャ神話に登場する女面鳥身の怪物で、鋭い爪で死者の魂をつかみ、冥府へ運ぶとされた。ウィキメディア・コモンズより。

「天」に向かって そこにこそ「神」の玉座を見据えつつ
信心深く 落ち着いて「詩人」は両手を差し上げる
その澄明ちょうめいな精神が放つ無量の光芒は
激怒している人々の影をきれいに消すのです

「罪にまみれたわれわれを洗い浄めるみそぎのごとく
または不屈の者どもへ 大快楽に耐えんがための
最良にして至純なる強精剤を下さるごとく
苦悩を俺に下さった神よ あなたに祝福あれ

俺にはわかる わが『神』は聖人たちの『軍団ギオン』の
序列のうちに『詩人』なる者の座席を確保して
座天使ざてんし』『主天使しゅてんし』『力天使りきてんし』などの天使がつど
あの永遠の宴会に 俺を招いて下さることを

俺にはわかる 幽冥ゆうめいさかいを問わず 苦悩こそ
決して曲がることのない気高い血筋のあかしだと
そして『詩人』の不可思議な王冠を編む過程では
あらゆる時間ともろもろの宇宙が協働するのだと

とはいえ 未知の貴金属 海で生まれた真珠など
あのパルミラの伝説の秘密の富を取りそろえ
たとえわが『神』ご自身の手を借りたとて このような
まことまばゆい宝冠を星飾ほしかざるには不充分

なぜならこれは原始的熱線を生む聖炉*2より
抽出された純粋な輝きだけで出来ており
たとえ佳人かじん明眸めいぼうの最も清きものといえども
明度の遠く及ばない悲しい鏡に過ぎないからだ」


*『悪の華』初版1。原文はこちら

*1:ゲヘンナ(ゲヘナ)についてはエドガー・アラン・ポーの短編小説「モレラ」の注をご参照ください。

*2:「原始的熱線を生む聖炉」原文「foyer saint des rayons primitifs」。「太陽」のこと。